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【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第三十四話

「私自身も、『赤い意見箱』がどんな仕組みでひとりの人間に新しい名前や人生を与えているのか、一体誰の力によるものなのか、詳しいことは分からない。けれど、『ある使命』さえ果たせば、学院を去ったとしてもクレールの女性だけで築かれる世界の中で『新しい私』として自由に生きることができる。あなたの知っているクレールの学校や大学、この病院だけじゃない。すでにこの地方には、小さな王国のように私たちだけの世界が広がっているの。学院の多くの生徒たちは知らずに卒業していくけれど、家や学校に縛られず、自由に生きられる道が、本当に困っている女の子のために用意されているのよ。あなたのお友達も、きっと私と同じように新しい人生を歩み出しているはずだわ」
 失踪から十七年。叔母は生きていた。そして、白雪も生きている。この事実には心底安心したが、まだまだ納得できないことばかりだ。
「千景叔母さん、お願い。一緒に帰ろう。父さんに会いたくないなら、私、暫く黙っているよ。でも、ここからは離れよう? 学院のことはやっぱりわけが分からないよ」
 千景は静かに首を横に振る。
「友梨、全てを分かってとは言わないわ。けれど、私は、私たちは、ここを離れては生きてはいけないの。外の世界は恐ろしすぎるの。だから、私の人生を、私のために、ここで生きさせて。本当にごめんなさい……」
 叔母のために、白雪のために、そして、必死に叔母を探し続ける父のために。そう思いながら、真剣にふたりを探してきたつもりだった。だが、叔母や白雪にとって、それは彼女らの幸せを邪魔することでしかなかった。ただの自己満足でしかなかったのだ。
 以前、白雪が話していたことを思い出す。
「友梨ちゃん、知ってる? 蜜蜂ってほとんどがメスなの。オスは一割程度しかいないのよ。メスの蜂は、女王蜂を除いて、みんな働き蜂。女王蜂やその幼虫のために、蜂蜜や花粉を集めて働くの。女王蜂は巣に一匹だけ。別の女王蜂が生まれても、戦いに敗れた女王蜂は巣から追い出されてしまうんですって。もし、たった一匹の女王蜂のために働くなら、素敵な女王蜂がいいって働き蜂たちは思うんじゃないかしら。働き蜂はひと月から三月みつきほどしか生きられない短い命。短いからこそ、素敵な世界であってほしいって、私なら願うわ。だって、蜜蜂たちは生まれた時から死ぬ時まで、同じ巣で同じ仲間たちと過ごすことしかできないのよ。蜜蜂は花粉を求めて出かけても、蝶にも蜘蛛にもなれないことを知っているの。女王蜂と卵を守るために、一度きりの毒針を命がけで使うことが使命だと、きっと生まれた時から心得ているの」
 白雪は、幼い頃から過ごしてきた学院を、「蜜蜂の巣」だと思っていたのだ。幼稚舎からの長い時間を、この学院の中だけで、同じ顔ぶれの少女たちと共に過ごしてきた。もしかしたら、そんな中でも白雪にも幸せな時はあったのかもしれないが、中等部時代にクララと同じクラスになったことで白雪の生活は一変した。クララは「女王蜂」のような少女だ。白雪はいじめにあいながら、彼女が「女王蜂」である世界に絶望していたのかもしれない。全てを捨てて、そんな巣から飛び出してしまいと、想像よりもずっと強く願っていたのかもしれない。
 では、千景叔母さんは? 優しく意思の強い父の「歪んだ愛憎」など想像ができない。当時守りたかった「大切なもの」とは何なのか。それは、目の前にいる「めい」の存在よりも、今でも大事なものなのだろうか。
「なんで? 千景叔母さん……」
 いつの間にか涙が流れだし、声が詰まってしまう。言いたいことがあるはずなのに、言葉にならない。
「あなたが優しい子に育ってくれて良かった。けれど、あなた自身が『父親のために』と正義感に囚われて生きなくてもいいの。大丈夫。あなたは、ここではない外の世界で生きていける強い子だわ。お願いだから、安全な外の世界で自由に生きて」
 千景がそう言い終えた時、「夜間・休日入口」と書かれた扉の窓ガラスの向こうで人影が揺れた。
 千景は、泣き続ける友梨の背中を出口の方に向かって押すと、「さようなら」と言って病院の中へと戻っていった。
 ふと、友梨は父に死んだと聞かされていた、顔も名も知らぬ母親のことを思う。
「もし母親が生きていたら、千景叔母さんのような人だったのではないか」
 そんな気がした。
 
 その秋、クレール女学院の「演劇祭」がホール「シーニュ」で催された。その最終日、『オズの魔法使い』の舞台が上演される前に、友梨は学院を去った。


(つづく)


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