お正月小説『君想ふ』
中学三年で迎えた正月は、昨日と同じようにやって来た。
「ピンポン、ピンポン、ピンポーン」
朝7時、玄関のチャイムが鳴る。
朝一番で、二駅離れた大きな神社に初詣に出かけた家族は、まだ帰っていない。
昨晩、紅白歌合戦も見ずに夜遅くまで過去問題集を解いていたから、まだ眠くて、来客を無視したい。
が、チャイムの主に心当たりがありすぎて、仕方なくベッドから起き上がる。
パジャマの上にお気に入りのピンクグレージュのカーディガンを羽織り、玄関の鍵を開けると、その瞬間にドアノブを回して飛び込んできたのは陽菜だった。
「言葉ちゃーん! 古典教えてー!」
「やっぱり、陽菜か。明けましておめでとう」
涙目で抱きついて来た陽菜の頭をポンポンと軽く叩きながら、今年最初の挨拶をする。
私と陽菜は、同じマンションに住む隣同士だ。
私たちが小学に入学する年にこのマンションが出来て、それからずっと一緒に過ごしてきた同い年の親友。
早朝から騒がしく鳴る玄関チャイムにも、慣れたものだ。
特に、冬休みに入ってからというもの、陽菜は毎日、私の元にやってくる。
私たちは、来月にいよいよ高校受験を控え、文系科目の苦手な陽菜は、文系科目がわりと得意な私に、間違えた問題の解説を毎朝聞きにくるようになった。
「塾で先生に聞けばいいのに」
ある日、私が陽菜にそう尋ねると、「言葉ちゃんの方が、私のこと分かってるもん」と言って、私のセーターの裾をきゅっと掴んだ。
「ふーん、そう」
私は、なんとも思ってないみたいな態度を取ったけれど、いつもは生意気な陽菜から頼ってもらえて、内心とても嬉しかった。
親友自慢ではないが、陽菜はとても可愛い。小柄で、肌も白く柔らかくて、まるでウサギのようだ。日に当たると栗色に輝く髪をふわふわに巻いて、おとぎ話に登場するお姫様みたいだといつも思う。
それなのに、なぜか彼女は長い間、一人の男に片思いをし続けている。本当に信じがたい。
もちろん、人に恋をするのに外見だけが重要ではないはずだ。それでも、男であっても女であっても、少しくらい陽菜にときめいてもよいのではないかと、私は思う。
陽菜が中学に入学した頃から恋しているのは、東谷永斗という同級生だ。私は中学二年生の時に、同じクラスになったことがあるが、とにかく洗濯洗剤のCMさながら爽やかな男だ。中学一年の時からバスケ部のエースで、人の悪口を言っているところを見たことがない。
私は、愚痴や悪口を言ってこそ人間らしさがあると思っているが、やつにはそれがなかった。周りの生徒も先生たちも、こぞって彼を褒め称えるが、それでも彼は鼻を高くして調子に乗ることもない。
紫式部の『源氏物語』も、清少納言の『枕草子』も、人間の脆さや醜さがあってこそ輝く物語だ。あんな爽やかなだけの、干したての真っ白なシャツを集めたみたいな塊から、おもしろい物語が生まれるものかと、私はその存在に苛ついていた。
それに、少しでも悪態をついてくれたら、きっと陽菜の恋も冷めるのに。
「言葉ちゃん、この問題、これで合ってる?」
間違えた古典の選択問題を、改めて解き直した陽菜が、私に話しかけた。
「え? ああ、そう、そう。合ってるよ。この『いでか~む』を、『どうして~だろうか』で訳せば、意味が通るでしょ」
「わー! ありがとう! やっとわかったー!」
陽菜は再び私に抱き着くと、「言葉ちゃんに聞いてよかったー」と耳元で繰り返す。
「ねえ、陽菜。今から、近所の神社に初詣に行かない? あそこ、学業のご利益もあるらしいし」
「いいねー! ちょうど頭を使ったし、たこやきも食べたいな」
「まだ一問しか解いてないけどね」
私たちは顔を見合わせて笑うと、初詣に行くための準備を始める。
受験生といえども、私たちはおしゃれが大好きなのだ。新年最初の日は、好きなものを身に着けて出かけたい。
陽菜は、私のクローゼットの中から、小花柄のすみれ色のワンピースを選んで着替える。私が着ると膝下丈だが、陽菜が着るとロングワンピースのようになり、それはまた違った可愛さがある。
私は、セーラー襟とボリュームスリーブという組み合わせのクリーム色のセーターを着て、クリスマスにプレゼントでもらった、大きなリボンの付いたメゾンドフルールのトートバッグを持って行くことにした。
ふたりで鏡を見て髪を梳かしていると、陽菜の頬は淡くピンク色に染まっている。大きな瞳の中には時々星が瞬いて、「東谷くんに会えたらいいな」という期待が滲み出ていた。
正月の朝8時。近所のこぢんまりとした神社は、思ったよりも人で賑わっている。
細い参道の脇には5件ほど屋台が並び、歩いていると、たこ焼きや焼きそばの香ばしいソースの香りと、りんご飴といちご飴の甘い香りが交互に鼻に押し寄せた。
拝殿に近づくと、二人ずつ並んだ列が数メートルほど出来ていて、お参りするまでに暫く待つ必要がありそうだ。
「言葉ちゃん、何をお願いするの?」
「そりゃあ、合格祈願でしょ。陽菜は違うの?」
「うーん。受験する高校に合格したいというよりは、『東谷君と同じ高校に合格したい』の方かな。滑り止めの私立じゃなくて、東谷くんが推薦で決まってる高校に入りたいんだもん」
「ふーん。でも……」
「でも、東谷が好きなのは紗耶香じゃないの?」
真剣な陽菜の横顔にそう言いかけて、言葉を止めた。
そんなこと、陽菜も分かっているのだ。中学三年になって、東谷と同じクラスになった陽菜は、彼が同じくクラスメイトでバスケ部の三波紗耶香とどれほど仲が良いか知らないはずはない。二人が付き合っていないということを噂では聞いているが、そんな二人の姿を一年間ずっと見てきた陽菜は、どんな気持ちだったのだろう。
「東谷くんのタイプはね、優しくて大人しくて可愛らしい子だって!」
中学一年の時、同級生の女子数人がそう言って廊下ではしゃいでいるのを、私は陽菜と一緒にいる時に聞いた。
それから陽菜は、学校での口数が減って、微笑んでいることが多くなった。本当は、今朝みたいに弱音を吐いて、すぐに飛びついてくるような子なのに。本当は、ちょっと強気でわがままで、大きな瞳をキョロキョロさせながら、いつもおしゃれなものを探している子なのに。
東谷が紗耶香を特別に思っていることを私が感じ取った頃、家に泊まりに来た陽菜にこう聞いたことがある。
「陽菜はそのままで可愛いんだし、別に無理に喋らなくしたり、笑う必要はないんじゃない? 本当は違うかもしれないじゃん。東谷の好み」
そう。紗耶香はいつかの女子たちが言っていたようなタイプの女の子ではない。すらりとした日に焼けた手足に、ポニーテールの良く似合う、スポーツが得意な子だ。大きく口を開けて笑いもするし、陽菜の得意な裁縫だってきっと苦手だ。
陽菜は暫く黙っていたが、少ししてから口を開いた。
「言葉ちゃん、私は誰かの代わりになりたいんじゃないよ。私に出来ることを頑張りたいだけ」
陽菜はそれだけ言って、後は眠ったふりをしてしまったけれど、きっと私の言葉が紗耶香の存在を示唆していたことに、気付いていたのではないかと思う。
「なんで、東谷なの? 同じ手芸クラブの侑君の方が、陽菜は仲がいいじゃない」
拝殿までもう少しという所で、私は陽菜に問いかけてみた。東谷と同じ高校に受かろうが、落ちようが、不毛な恋を陽菜に続けてほしくはない。
高校に行っても、東谷の周りには女子たちがたくさん集まって来るだろう。そんな中で、同じ中学の可愛らしい陽菜が彼に近づいて、誰かに嫉妬されたりすると思うと、違う高校にいく私はいても立ってもいられない。
物語の中で語られる、人間の脆さや醜さがいくら魅力的なものであったとしても、身近な大切な人に、現実にそんなものに晒されてほしくはないのだ。東谷の顔の良さや無駄な爽やかさに惹かれているならば、いっそのこと気の知れた穏やかな男がいいじゃないかと、私は思った。
「言葉ちゃんに話してなかったかな。中学に入学したばっかりの頃、本当に早い時間にうちのバニラ(犬)の散歩に行っていたの。そうしたら、毎日、公園からボールの跳ねる音が響いているの。まだ薄暗い時間なのに、毎日毎日。ある日ね、その音の正体を確かめにいったら、一人の男の子が一生懸命、バスケットゴールに向かってシュート練習していたの。それが、東谷くんだった。いまより背も小さくて、バスケットも上手じゃなかったけど、何度うまくできなくても諦めなくて、とってもかっこよかったんだ。それから、毎日練習する姿を見ていたら応援したくなって、目が離せなくなっちゃった。一度だけね、指を怪我した時に絆創膏を貼ってあげたことがあるんだよ。東谷君、ああ見えて、すごく不器用なの。でも、きっと、その時の私のことは覚えていないと思うな」
陽菜は、鼻先を人差し指で軽く触ると、「えへへ」と小さく笑った。
拝殿へ続く列も進み、やっと私たちは賽銭箱の前に辿り着く。
私と陽菜は、お揃いで買ったパステルピンクの財布から小銭を取り出して、同時に賽銭を投げると、二人で一緒に鈴緒を振って「シャランシャラン」と鈴を鳴らした。
二回拍手して、お願い事を心で唱える。
「神様、どうか陽菜が希望の高校に入れますように。そして、陽菜の恋が叶いますように」
陽菜は、東谷の顔と爽やかさに惑わされたんじゃなかった。ちゃんと恋をしていたのだ。
こんなに可愛い陽菜の魅力に気付かない東谷は、本当に馬鹿だ。いつか、彼が陽菜のわがままを聞いて、振り回されて、それはもう絶対に抜け出せない「陽菜沼」にはまればいい。
私は、まじないの如く、何度も何度も、切に願った。
(了)
※本作は、kindle版『電車とリボン』の番外編です。読み切りとしても読めます。言葉ちゃんは、いつもお世話になっているお友達をイメージして、当て書きをしました☺どうか、今年も良き一年になりますように☆
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