薄味のままで、いい
「このスープ、キャベツの味しかせんくない?」
いつもよりハリの強い声が響き、そのまま私の耳から心へと吸い込まれる。どうやら、彼の口には合わなかったらしい。それは仕方のないこと。透き通ったスープに緑色がゆらゆらと揺れ、私の心と一緒に揺れる。スープのあたたかさだけが救いだった。……文句を言うくらいなら、食べなくていいのに。
濃い味が大好きな元恋人は、暴力的なくらい調味料に頼る。お醤油も塩もソースも全部。ヤケクソのようにかけていく。もう調味料の味しかしないんじゃないかなぁ……。わかる。カロリーはおいしい。でも、それって素材の味はしない、多分。だったら、調味料だけ食べてたらいいんじゃない?
名古屋生まれの私はずっと濃い味に囲まれていた。赤味噌のお味噌汁、手羽先、小倉トースト……。口の中に放り込めば、味と香りがぐんぐんと広がっていく。その主張の激しさに思わず後ずさりしてしまう。ゆっくりと咀嚼をして、飲み込む頃には思ってしまうのだ。
──濃い、な。
酷い時は、ベタついた味を水で押し流してしまうのだった。私は名古屋の民として失格かもしれない。
そんな私が「美味しい」と口に運ぶもの。瑞々しい野菜、柔らかいお肉……素材のよさを活かしたあたたかみのある料理たち。満足気に笑いながら食事をしていると、それを見た夫が慈しむように言う。
「意外とこだわりあるよね。」
そうだろうか。
首を傾げながら言葉の続きを聞く。
「素朴な味がするものが好きだもんね。」
あぁ、そうだったのか。
私の中で心の片隅にあった小さな違和感が爆発した。
自分の生まれの個性に染まれない。ただそれだけのことなのに、後ろめたさを感じていた。みんなと同じように食事を嗜み、同じように美味しいと言う。それができない。“地元民なのに”という言葉が頭の中でくるくると回る。地元民なのに、地元の味を愛せないという事実が、私の罪悪感を刺激し続けていた。
でも、それでよかった。無理に愛そうなんてしなくてよかった。私は、素朴で柔らかで、自分を包み込んでくれるようなあたたかい素材の味が好き。私の好みは私の中の芯としてちゃんとある。その事実が安堵をくれた。
思い返してみると、私はどんなものであっても素材そのものの良さを大切にしてきた。日常にひっそりと溶け込む音や言葉たちも、私にとっては大切なものだった。
音楽とはずっと仲良くしてきた。力を抜き、声と自分の境界線が曖昧になったとき、自分の心の奥深くと繋がる。そこから出てくる声が、自然な“本当の自分”の声だ。頬ずりしたくなるほど愛おしい。音がたくさん重なり合うハーモニーも好きだけれど、シンプルな和音は心の奥深くに染み渡っていく。その音たちに身を委ねると、心に穏やかな静けさが訪れる。
文章だってそう。飾り気のないシンプルなものが書き手の心に触れられる気がする。何かを押しのけなくても感じられるその心は、自分の奥底にある感情と共鳴する。その文章を血肉とすることで、私は私を形成していく。素朴なものの中にも、確かな栄養がつまっているのだ。
今なら言える。「このキャベツの味しかしないスープの味が好きなんだ」って。私の好みを象徴するスープは、心の中でいつも揺らめいている。
