朝がとけていく
バカだなぁ。
ずんぐりとした灰色のソファの上で膝を抱えながら、深いため息をついた。夜はとっぷりと濃くなり、空には紺色が敷きつめられている。身体が冷えるのも忘れて、ソファに身を預けた。
本当に些細なことだった。
交わす言葉が徐々に減ってきたなぁとか触れ合う機会がなくなってきたなぁと薄ぼんやりと思ってはいたのだ。ただ、言葉にすると本当にそうなってしまいそうで、こっそり胸の内に仕舞っておいた。厳重に鍵をかけて、どこにも出さないつもりだった。
なのに。
時計の針が1と12を指し示す頃、ガチャリと音をたてて開いた重たいドア。ふらふらと出勤した時の服装であらわれた彼。アルコールと甘い香水の混ざった鼻につく香り。すべてが嫌だった。
だから、思わず言ってしまったのだ。
──今、何時だと思ってるの?本当に仕事だったの?……他の女でもできたんじゃないのっ?
言葉にした反動でクラクラと視界がゆれる。心に渦巻くざわめきは昂るばかり。
ダイニングテーブルの上、私と彼のためにつくった冷めた料理が色褪せて見えた。
カチッ……カチッ……と時計の針が動く音が鋭く耳を刺す。彼は何も言わず、寝室に引っ込んでいってしまった。それが余計に私の怒りを大きくする。
だって、何も言わないなんて……肯定と同じじゃない。
何かを耐えるように、ぎゅうっと膝を抱きしめる。付き合いはじめは、良かったなぁ。いつも優しくて、大きい荷物の時は代わりに持ってくれた。甘いものが苦手なクセに、生クリームたっぷりのパンケーキを一緒に食べてくれたっけ。あの頃に戻りたい……。
ぽちょん、と水の跳ねる音が私を現実に連れ戻す。お水、出しっぱなしだったかな。
音を止めようと重たい身体を持ち上げた時、キャビネットの上にある写真立てと目が合った。そのまま、ゆらゆらと吸い寄せられていく。様々な青色を使ったモザイクアートの写真立て。ステンドグラスでつくられたフレームが間接照明に照らされて薄く輝いている。
これ、いつ買ったんだっけな。
震える指で写真立てに触れる。数年前、神戸に2人で旅行に行ったとき、元町でアクティビティに参加してつくったのだ。2人で悩みながらガラスを選んで、「この、濃い藍色がいいね」と彼は笑っていた。手先が不器用な私を見守る彼の瞳のぬくもりが今でも鮮明に思い出せる。
彼はいつもそうだ。
何も言わず、ただそばにいてくれる。私のために考えて行動してくれる。決して、主張はしないけれど。
あぁ……やっぱり私はバカだなぁ。
ずっと、そこにあったのに。彼はずっと、私に寄り添って愛してくれていたのに。目を背けていたのは私の方だ。
ひんやりとしたガラスが指先の熱で温まっている。ことり、とダイニングテーブルの上に写真立てを置いた。私もそばにある椅子に座る。
ちゃんと謝ろう。そして、いっぱいの「ありがとう」を伝えるんだ。今日のことも、じっくりと話してみよう。寝室の方に視線を投げながら、胸に思いを留める。
だって、私の中にもたしかに存在するから。
宵が薄まり、明るい橙色が部屋全体を包み込む。私はゆっくりと写真立てのフレームを指でなぞった。
