めんつゆの中に、母がいた。
コトコト……
火にかけた小さな鍋が子気味よく揺れる。時々、ぷしゅりっと音をたてて「今、美味しくなるようにつくっているよ!待ってて!」と教えてくれていた。楽しげに刻まれるリズムに合わせて鼻歌を歌う。歌うためにすぅっと息を吸えば、ふにゃりとした甘い香りが一緒に身体に入ってきた。心が落ちつく、優しい香り。
香りの正体はめんつゆ。
目に染みる鮮やかなオレンジ色のデザインにずっしりとした「めんつゆ」の文字。私が小さい頃から慣れ親しんでいる“ヤマキのめんつゆ”だ。
このぽってりとしたシルエットが可愛いめんつゆ。元々は、母が愛用していたものだった。何をつくるにもこの1本。ちょっぴり甘めの出汁が染み渡った肉じゃがは私の大好物だった。冬の少し肌寒い時に、鍋たっぷりにつくった肉じゃがを母と2人でつつく……。それが堪らなく幸せだったのだ。
台所に立つ母の手にめんつゆ。私の記憶に馴染む家族の風景だった。
そんなめんつゆも、今は私の手の中にある。それなりに調味料はあるはずなのに、どうしても手を伸ばしてしまう。パリッとしたパッケージのヤマキのめんつゆに。
仕事をやっつけて帰ってきた夜。
重たい身体を引きずって、台所に立つ。どんな料理をつくろう、なんて考えられる頭の隙間もなくて、野菜をきざむ音に身を委ねる。少しでも頭をからっぽに。手先と火の元にだけ気をつけて。ただただ、淡々とすすめていく。
味付けをしようと無意識に手を伸ばした先には、めんつゆ。やっぱり、キミか。
水とあわさってぷくぷくと煮込まれていく。甘い懐かしい香りが鼻をくすぐった。思い出されるのは母の後ろ姿。ことりと小さく揺れる鍋を見守る母。その姿が今の自分と重なっていく。
つくり方を教わったわけでもない私のつくった肉じゃがは、母と同じ味がする。ちょっぴり濃いめの柔らかい味が舌でころがり、身体に染み渡っていく。料理自体のあたたかさと母を思い出した胸のあたたかさが全身を包み込んで、そっと安らぎを与えてくれた。
これから先、私は肉じゃがを何回もつくるだろう。何も意識をしなくても、私と母をつないでくれるたったひとつの調味料。
めんつゆ。やっぱり、きみだ。
