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【アート巡り記】ピカソmeetsポール・スミスー遊び心の冒険へ@国立新美術館 2026.6.22訪問

 チラシのメインビジュアルを見たときはポール・スミス色(?)があまりに強く、スルーしそうになった。少し間があってタイトルが脳に浸透し、「ん? これはピカソの展覧会?」となり、面白いかもと思った。

 そう、本展は、2023年にパブロ・ピカソ(1881ー1973)の没後50周年を記念してパリ国立ピカソ美術館で開催された「ピカソ・セレブレーション:コレクションに新たな光を!」を基に再構成された国際巡回展なのだ。

 一見ポール・スミス色が強くて、ポール・スミスがキュレーションまでしたのかと思ってしまったが、キュレーションはパリ国立ピカソ美術館のキュレーターが行っている。なので正統なピカソの展覧会なのだ。ポール・スミスはアーティスティック・ディレクターという立場で本展に関わっている。パリ国立ピカソ美術館の、ピカソが残した仕事の今日的な意味を問ううえで新たな解釈やアプローチを呼びかけたいという思いから実現したコラボレーションという。

 展示室は15に分かれていて、それぞれのタイトルだけ見ても、ピカソの生涯の仕事を総括しているのがわかる。そして各展示室にポール・スミスによる空間デザインが施されている。

 00 トロンプ・レスプリ(精神を欺くもの)
 01 『ヴォーグ(流行)』中の芸術家
 02 青の憂鬱
 03 バラ色の女性たち:《アヴィニョンの娘たち》への前奏曲
 04 キュビスムの実験室
 05 アッサンブラージュとコラージュ
 06 古典主義の画家
 07 子ども時代
 08 闘牛
 09 ストライプ
 10 戦時中
 11 一点もの
 12 《草上の昼食》
 13 ピカソのボーダーシャツ
 14 晩年:1969−1972
 15 展覧会のピカソ

 「00 トロンプ・レスプリ(精神を欺くもの)」では、自転車のサドルとハンドルを用いた《牡牛の頭部》が展示されていた。どこまでがピカソの作品で、どこからが展示のためのデザインなのか? 牡牛の頭部に見立てた自転車のサドルとハンドルがいくつもあったが、中にひとつだけサドルにカラフルな着色が施され、そこには「Paul Smith」のサインがある。あれ? ピカソが作ったのは真ん中のひとつだけで、両脇に16頭ずつ展示されているのはポール・スミスの空間デザインなの? トロンプ・レスプリとはそういうことか。

《牡牛の頭部》 1942年春


 「01 『ヴォーグ(流行)』中の芸術家」の展示室に入ると、壁いっぱいにヴォーグ誌の表紙が貼られている。それだけでファッションデザイナー ポール・スミスの存在が感じられてワクワクする。その中に埋もれるように展示されていたのは、イタズラ描きされたファッション誌の記事。作品名は《ピカソのデッサンが付された『ヴォーグ・パリ』1951年5 月号の誌面》となっている。ピカソは子どもの頃から雑誌や漫画を愛読し、13歳の時には自分で雑誌を制作していたそうだ。書物に絵を描き入れることもあったという。それにしても展示されていたヴォーグ誌の記事への描き込みは、ちょっと悪意のあるイタズラ描きにしか見えない。ピカソはファッション誌のなかで着飾って浮かれたモデルの姿に毒づきたかったのか? 他の展覧会で見ることのないピカソの一面を見る気がした。ピカソとポール・スミスのコラボレーションとして気が利いている。


 「02 青の憂鬱」は、ピカソのいわゆる「青の時代」の絵画を提示している。キャプションではその背景に友人の死や貧困生活があったことが説明されていた。展示室の壁はかなり暗い青であり、当時のピカソの心情に寄り添っているようだ。

《男の肖像》 1903年冬ー1903年


 そこから打って変わって「バラの時代」がやってくる。この時代の絵が《アヴィニョンの娘たち》への前奏曲であることを、恥ずかしながら初めて知った。ピカソが生涯を通じて画風を変化させていった画家であることはわかっていたが、それらがどのようにつながっているかをきちんと学んだことはなかった。ここに展示された絵画たちを見ると、女性像の習作をいくつも重ねていった実験の先に、キュビスムのさきがけとなる《アヴィニョンの娘たち》が生まれたことがよくわかる。この辺りで本展のキュレーションの確かさに気づく。展示室のまぶしいくらいのローズピンクの壁に、ポール・スミスの存在が強く感じられるとしても。

《女の胸像(《アヴィニョンの娘たち》のための習作)》 1907年春
《女あるいは水夫の胸像(《アヴィニョンの娘たち》のための習作)》 1907年春
《胸像(《アヴィニョンの娘たち》のための習作)》 1907年春
《母と子ども》 1907年夏


 そしてピカソはジョルジュ・ブラックとともにキュビスムと呼ばれる芸術運動を展開する。芸術史のなかではピカソ=キュビスムと位置づけられるが、ピカソがこの運動に関わった期間はそれほど長くはない。しかしピカソの作風がここで転換したのも事実である。本展で「04 キュビスムの実験室」として展示されていた作品はデッサンが多かった。展示室の壁面も、色というよりは線で装飾されていた。

《サクレ=クール寺院》 1909年冬ー1910年
《女の頭部(フェルナンド)》の習作 1909年夏


 次の展示室に行くまでの廊下のような空間に、ポール・スミスのイタズラ描き(?)がさりげなく現れる。そしてアーティスティック・ディレクター ポール・スミスの存在を改めて感じさせる空間デザインが展開していく。


 アッサンブラージュとコラージュも、キュビスムの芸術家たちが取り入れた技法である。これらの技法を用いたピカソの作品を展示するのに、ポール・スミスは壁紙をコラージュしたようだ。ピカソの作品の背景をこんな派手な柄にしてしまうとは、なかなか大胆な発想である。でもピカソの作品がこんなにオシャレに見えるなんて、初めての感覚だった。

《妊婦》 1949年
《帽子の男》 1915年
《グラスとタバコの箱》 1914年春


 ピカソにも古典主義の時代があった。このころのデッサンなどを見ると、ピカソの画家としての技術の高さ、表現のうまさを感じる。ポール・スミスはこれらの展示の背景を、何色でもない白にしている。

《握り合う手の習作》 1919年
《初聖体拝領者たち》 1919年冬


 「07 子ども時代」に展示されていたのは、ピカソが描いた子どもの絵である。キュビスムの技法で描かれていたり、写実的だったりするが、どれもなんだか愛らしい。キャプションには「ピカソは子どものデッサンを描くことを通じ、子どもの目で芸術を見つめ、もう一度初々しさの感覚を捉えようとしました」とある。古典主義時代同様、原点回帰したくなった時期があったということだろうか。絵のなかにある模様と壁紙がリンクしているところがやはりしゃれている。

《人形を抱くマヤ》 1938年
《アルルカンに扮したパウロ》 1924年
《トラックの玩具で遊ぶ子ども》 1953年


 子どもの絵でほっこりしたところで、次に入った展示室は真っ赤であった。「08 闘牛」となっており、まさにそのイメージのままである。そしてピカソがスペインの人であることを思い出す。闘牛に魅了されていたそうで、やはりスペインでは神聖で象徴的な儀式なのだ。

《野原の牡牛たち(ぺぺ・イーリョ『ラ・タウロマキア(闘牛術)あるいは闘牛の技芸』のための挿図、第一葉》 1957年
《牡牛の頭部》 1931年
《コリーダ:闘牛士の死》 1933年


 ストライプは、1930年代にピカソが実験的に用いたモチーフだそうだ。ここに展示されていた絵画はいわゆるピカソっぽい絵画たちだが、ポール・スミスがその背景をストライプにしたことでやはりオシャレに見える。ストライプが掠れているところがいいのだ。

《腕を重ねて座る女》 1937年
《帽子をかぶった女》 1939年
《読書》 1932年
《ストライプの帽子をかぶった女の胸像》 1939年


 「10 戦時中」の作品は、不穏なものを孕んでいる。本展には《ゲルニカ》のように直接的に紛争の場面を描いた作品はなかったが、ありふれたテーマのなかに戦争がいかに残酷で非人間的であるかを表現していた。《室内のフクロウ》のなかには椅子から突き出した槍が描かれている。フクロウは愛らしく描かれているのに、背景の色は暗く、どことなく閉塞感がある。人が描かれた絵も画面全体に暗い色が満ちていて、不気味な印象を与えるものばかりだ。

《室内のフクロウ》 1946年


 「11 一点もの」の展示室には、ピカソの陶芸作品が展示されていた。1948年に南仏のヴァロリスに居を定めてから、1954年までにマドゥラ工房で制作された作品は数千に及び、すべて一点ものらしい。スペイン料理の店によくある皿の柄に似ている気がするものもある。どの皿も作っていて楽しかったのだろうな、と思わせる柄である。それらのピカソの陶芸作品が、壁に規則正しく貼りつけられた白い皿に混じって展示されている。壁にかけられていることで、まるで記念のプレートのように見える。


 《草上の昼食》は、エドゥアール・マネのあの有名な作品だ、ピカソはウジェーヌ・ドラクロワの《アルジェの女たち》とディエゴ・ベラスケスの《ラス・メニーナス》を再解釈した後、マネの作品の再解釈に取りかかり、何枚かの《草上の昼食》を描いている。マネの絵に描かれている男性のポーズをボール紙のようなもので立体化したものまで展示してあった。同じテーマでもピカソが描くとこうなるのか、と思う。展示室は全体が緑色で、床には人工芝まで敷かれていた。自分も絵の人物と同じポーズで座ってみたくなる。

《草上の昼食(マネに基づく)》 1960年


 次の展示室に入ると、ピカソがボーダーシャツを着た写真とともに、天井から無数のボーダーシャツが吊るされていた。写真を撮ったのはロベール・ドアノー?! ドアノーが撮った一連の写真が雑誌に掲載され、ピカソのイメージを「ボーダーシャツの男」にしたらしい。展示されていたのはその一連の写真のなかからポール・スミスが選んだ一枚のようだ。ピカソとポール・スミスのコラボレーションにロベール・ドアノーまで絡んできて、この展示室こそアーティストの競演ではないか。たとえありふれたボーダーシャツが吊るされているだけの空間だったとしても。


 「14 晩年:1969−1972」の作品は、赤・オレンジ・緑・紺の4色のボーダーが引かれた壁に展示されていた。この色合わせがまた絶妙にオシャレだ。晩年は人物像を好んで描いたようである。90歳を超えてもその制作意欲は旺盛で、技量や創造性は衰えることがなかったそうだ。

《座る老いた男》 1970年
《女の半身像》 1970年


 最後の展示室には、ピカソが生前に開いた個展のポスターが壁一面に貼られていた。展覧会ポスターなので、そこに出展するメインの作品を前面に出しているであろう。ピカソの作品のなかでも有名なものは、これらのポスターのなかにあるというわけだ。ポスターへの掲載作品やデザインを他人に任せていたこともあったが、自分でオリジナルのポスターも制作しているようだ。


 いやいやピカソの生涯の仕事を概観できる、かなり骨太な展覧会だった。それをとてもファッショナブルな空間で楽しむことができ、ピカソの画業の新しい見せかたを提示したとてもチャレンジングな企画である。ピカソいいな、と思えたとても素敵な体験だった。

参考:
国立新美術館ホームページ https://www.nact.jp/exhibition_special/2026/picasso_paulsmith/
展覧会ホームページ https://art.nikkei.com/picasso_ps26/

展覧会カタログ『ピカソmeetsポール・スミス』、日本経済新聞社、2026年6月

会期 2026年6月10日(水)〜9月21日(月・祝)

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