見出し画像

『感染性心内膜炎と大動脈弁破壊』の入院と手術体験記。

2025年の12月の初め頃から、38度くらいの熱が出始め、クリニックに通い始めました。

処方された解熱剤により一度は熱が下がったものの、しばらくすると再びぶり返すという状態が約3ヶ月続きました。長い時には2週間ほど熱が下がらないこともあり、ついには40度を超える発熱が見られるようになったため、クリニックの医師に紹介状を書いていただき、市立の大きな病院を受診しました。(なお、その間のコロナ・インフルエンザの検査結果はいずれも陰性でした。)

この3ヶ月の間、発熱以外にもさまざまな症状が見られました。

● 長期的な咳(胸膜や周囲の筋肉の痛みを伴うことがあった)
● 指先や足先の痛み(指に触れると強い痛みがあるが、数時間で自然に治まる)
● 手を伸ばした際の痺れ
● 人生で初めての口内炎(約3−4日ほどで治る)
● 右目に小さな視野欠損(半日ほどで回復)
● 心臓や脈拍がドクドクと強く感じられる症状(後半に出現)

今振り返ると、不思議なことが多く起きていたように感じます…

視野欠損については、眼科を受診した際に両目に軽度の眼底出血が見られました。しかし、医師からはそれが原因であるとは言い切れず、明確な原因はわからないとの説明を受けました。(再診した際に、両目ともに眼底出血は無くなっていました。)

紹介状には「内科〇〇様宛」と記載されていたため、病院に電話した際にもその旨をお伝えしました。

すると、〇〇先生は約1週間後の月曜日まで不在とのことだったため、特定の担当医にはこだわらず、最短で診察可能な日程で予約を取るようお願いしました。(発熱がつらく、1週間も待つことができなかったためです。)
幸い、翌日の診療予約が取れたため助かりましたが、もしここで1週間待つことになっていたらどうなっていたのかと思うと、少し怖く感じます。

ちなみに、40度の熱が出てからは、夜になると高熱が上がり、夜中に3〜4回ほど着替えるほど大量の汗をかいていました。また、熱が下がったように感じて就寝しても、朝には再び39度ほどまで上がっている状態でした。これが繰り返され、かなり負担が大きく、つらい状況でした。平熱が38度ほどの状態が続いていたため、もはや熱がある感覚もわからなくなっていました。

大きな病院では、朝から内科を受診し、これまでの症状を伝えたうえで、発熱があったためコロナおよびインフルエンザの検査、ならびに血液培養検査(細菌検査)を受けました。

検査を終えて診察室に戻り、内科医に聴診器を当てていただいた際、「心臓から雑音が聞こえますので、心臓のエコー検査を行いましょう」との説明がありました。

当初は心臓エコーの予約が埋まっており、2日後に再受診してほしいと言われましたが、最終的にはその日のうちに検査を受けることができました。(医師が緊急性を考慮し、検査枠を調整してくださったため。)

心臓のエコー検査の後、診療は総合内科から循環器内科へと引き継がれました。そして診察室から医師が出てこられ、最初に告げられたのは「入院です」という言葉でした。(思わず苦笑してしまうような、突然の宣告でした。)

その後、「感染性心内膜炎」「重度の大動脈弁破壊」といった診断名を伝えられ、手術の可能性も否定できない状況であると説明を受けました。

簡単に説明すると、血液中に細菌が侵入し(原因は不明)、心臓の弁に定着して増殖し、大動脈弁を破壊してしまっている状態とのことでした。その弁に付着した疣贅(ゆうぜい)と呼ばれる菌の塊が弁から剥がれ、血流に乗って全身へ流れてしまうと、血管が詰まり、場所によっては脳梗塞や心不全などを引き起こし、命に関わる危険があるとの説明でした。

血液を通じて全身に影響が及ぶため、これまでの口内炎や手足のしびれ・痛み、眼底出血などの症状も、すべて医学的には説明がつくものでした。

ただし、「感染性心内膜炎」は初期の段階では発見が難しく、重症化するまで気づかれないことも多いようです。私の場合も、単なる原因不明の発熱として捉えてしまっていました。

内心では、「入院!?」と強く驚いた気持ちと、「やはり何か病気が隠れていたのか」という納得に近い気持ち、さらに「入院費は大丈夫だろうか」といった不安など、さまざまな思いが頭の中を巡っていました。しかし、医師の表情やその場の雰囲気から、命に関わるほど切迫した状況ではないのではないかと勝手に判断し、思ったよりも冷静に受け止めていました。

その後、無理をお願いして一度自宅に戻らせていただき、入院の荷物を準備する時間をいただきました。(医師としてはあまり快くはない様子でしたが、着替えなども何もない状況だったため、最終的には渋々了承していただいた形でした。)

入院後、まず血液中の菌を死滅させるための抗生剤投与が開始されました。

すると翌日には熱が36度台まで下がり、体調も普段とほとんど変わらない状態となりました。(後日知ったことですが、この時点で血液中の菌はほぼ死滅していたとのことです。)

ただし、抗生剤治療は継続して行う必要がありました。一方で、私の場合は大動脈弁が疣贅によって破壊されていたため、本来一方向に流れるはずの血液が、弁の機能不全により逆流している状態でした。その影響で心臓に大きな負担がかかり、心臓の肥大も認められていました。

手術日の2日前には、不整脈が顕著に現れるようになりました。心臓が急にドクドクと速く打ったかと思うと、今度はいきなりゆっくりになるなど、明らかに動きが不安定な状態でした。(興味深かったのは、心拍が速くなると体も運動した後のように温かく感じられたことです。)

心臓の痛みなどは特になく、強い不安はそこまでありませんでしたが、心臓の働きが正常ではないという感覚ははっきりとありました。

手術の前日には、医師から手術に関する説明を家族とともに受けました。担当の先生は非常に丁寧で親切な方で、どのような質問にも真摯に答えてくださり、患者に寄り添ってくださる安心感のある医師でした。

手術の成功率はおよそ95%程度との説明でしたが、合併症の可能性や出血量が多くなった場合の輸血、その他予期せぬ事態などのリスクについても説明があり、「絶対に安全」とは言い切れない状況でした。ただ、懸念点を挙げ始めるときりがないという側面もあり、最終的には祈るような気持ちで手術に臨む形となりました。

手術は9時30分から開始され、終了は午後3時過ぎ頃だったと家族に教えてもらいました。

初めての全身麻酔で、腕から麻酔薬が入ってくる際に痛みを感じたため、それを伝えようとしたところで記憶が途切れ、そのまま意識を失いました。

手術内容としては、まず胸の中央を縦に切開し、胸骨も縦に切って観音開きのように開くことで、心臓へ到達する方法が取られました。

心臓手術では一時的に心臓を停止させる必要があるため、人工心肺装置を用い、血液を体外循環させることで心臓と肺の機能を代替する形で手術が行われました。(詳細についてはここでは割愛いたします。)

そのうえで、損傷していた大動脈弁を切除し、人工弁(機械弁)に置換されました。私は33歳と比較的若年であるため、耐久性の高い機械弁を選択しました。この選択により、特に問題がなければ生涯使用できることが期待されています。

一方で、生体弁(牛や豚の組織を用いた弁)の場合は耐久性が比較的低く、10年前後で再手術が必要になる可能性があるとの説明を受けました。

機械弁のメリットは耐久性が高く半永久的に使用できる点であり、デメリットとしては血栓予防のためワーファリンを生涯服用する必要があることです。

生体弁のメリットはワーファリンの服用が短期間で済むことですが、デメリットとして将来的に再手術が必要になる可能性があります。

手術を経験する前後を通しても気持ちは変わらず、二度と手術はしたくないという思いが強いため、現時点では機械弁を選択して良かったと感じています。

手術は無事に成功し、目が覚めたのは夜8時頃でした。(心臓の手術のため、術後はICU=集中治療室に入りました。)うろ覚えではありますが、痛みで目が覚めたような感覚があった記憶があります。

ここからが自分にとっては本番であり、山場であり、人生で最もつらい時間でした。

以下に、そのときのつらさを箇条書きでまとめます。

● 背中の痛み(手術の影響、あるいは寝たきりによるものと思われる)
● 腕以外の上半身がほとんど動かせない状態(動くと胸骨が痛むため動けない)
● 深く息を吸うことができない(肺が膨らむと胸骨を圧迫して痛みが出るため)
● 口の中の乾燥と粘つき(覚醒後しばらくは水分摂取ができない)
● 痛み止めを上回る強い痛み(鎮痛薬は使用間隔があり、連続使用できない)
● 睡眠薬が効きにくい状態(効果があっても痛みにより眠れない)

体には尿のカテーテルのほか、腹部にはドレーンと呼ばれる管が2本(術後の出血を体外へ排出するためのもの)、点滴のライン、採血用のライン、さらに首には中心静脈カテーテル(太い血管に挿入し、通常の点滴では投与できない薬剤などを投与するためのもの)が入っており、さまざまな管により身動きが制限され、少し動くだけでも痛みを伴う状態でした。

腰の痛みを軽減するために、肘で体を少し持ち上げて一瞬姿勢を変えると、30秒ほどは楽になるのですが、すぐに再び痛みが出るため、また体を浮かせるという動作を繰り返す必要がありました。そのため、一睡も眠ることができませんでした。

時計を見ると、わずか5分ほどしか進んでおらず、「まだ5分しか経っていないのか」「いつまでこれが続くのか」「もう無理かもしれない」といった思いが頭の中を繰り返し巡っていました。

その感覚が延々と続き、本当に精神的にも非常につらい時間でした。

看護師の方に何度か腰の下へ手を入れていただき、圧迫されている部分を一時的に緩和してもらったり、枕を使って体を少し斜めにするなどの対応をしていただきましたが、残念ながら眠れるほどの効果はありませんでした。

そのような状態のまま夜8時頃から朝6時頃までが過ぎ、長くつらい夜がようやく明けました。その後は朝食を摂れる状態ではなかったため、避けられないレントゲン撮影や身体の清拭などが行われましたが、そのたびにベッドの角度をわずかに変える必要があり、そのほんの数度の傾きでも胸に強い痛みが走りました。

HCU(高度治療室)へ移動となったため、ベッドの移し替えについても、看護師の方々3〜4人がかりで体を移動してくださる対応でしたが、それでも強い痛みを伴いました。

なお、HCUはICU(集中治療室)よりも容態が安定した患者が入る病棟です。

午後3時頃、家族が面会に来てくれていると看護師の方から伝えられましたが、満身創痍の状態で会話もほとんどできない状況だったため、片道1時間以上かけて来てくれたにもかかわらず、面会は難しいと看護師の方を通じて伝えていただき、そのまま帰ってもらうことになりました。(申し訳ない気持ちでした。)

また、リハビリ担当の方も様子を見に来られましたが、目が合った瞬間に「今日は無理ですね」と判断され、そのまま戻っていかれました。(それほどまでに疲弊しているのが一目でわかる状態だったようです。)

このときは、声を出すことすら大きな負担であり、発するだけで体力を使うような感覚でした。極度の消耗状態というのはこういうことなのかと、初めて実感しました。

それからの記憶としては、夕食は少量だけ口にできたような感覚があり、看護師の方が「ゼリーなら食べられるか」と確認してくださり、カロリーメイトのゼリーを毎食提供していただくようになりました。

その日の夜には、PCA(自己調節鎮痛法)を導入することになりました。これは、自分でボタンを押すことで鎮痛薬を投与できる仕組みで、主にオピオイド系の強い鎮痛薬が使用されていたと説明を受けています。

痛みを感じたときにボタンを押すと、すぐにスッと痛みが和らぐ感覚があり、はっきりとその効果を実感しました。使い方に不安もありましたが、次第に痛みが出るたびにボタンを押したくなるようになっていきました。(ただし、連続で押してもすぐには追加投与されず、一定の間隔で制御される仕組みになっていました。)

正確な投与量は分かりませんが、翌朝には薬剤を使い切っていた状態でした。

この薬のおかげで、ようやく眠ることができ、ここが大きな山場を越えた瞬間だと感じました。麻酔科の医師からは、いきなり強い鎮痛薬を使用することはできず、リスクを考慮しながら段階的に調整していく必要があるとの説明を受けました。(できることなら最初から使用したいほどのつらさではありましたが、麻薬系の薬剤であるため慎重な対応が必要とのことでした。)

翌日からはフェンタニル(強力なオピオイド系鎮痛薬)が点滴から持続的に投与されるようになり、驚くほど痛みが軽減しました。大きく動かなければ、日常生活に近いレベルまで落ち着く状態となりました。

ここまで回復すると、一般病棟へ戻るための準備が整ってきた段階となります。

手術から5日ほどはベッド上で過ごしていましたが、その後ようやく尿道カテーテルを抜去していただき、自力での移動が可能となり、一般病棟へ戻ることになりました。

尿道カテーテルは術後の不安要素の一つで、経験者の話やネット上の情報では、抜去時に強い痛みを伴うことがあると聞いていました。しかし実際には、フェンタニルの鎮痛効果がまだ残っていた影響もあったのか、想像していたほどの痛みは感じませんでした。看護師の方からも「フェンタニルが効いているうちに抜いてしまった方が良いのでは」といった提案があり、そのタイミングでの処置となりました。

鎮痛なしの状態と比較することはできませんが、少なくとも自分の場合は大きな痛みを感じることなくカテーテルを抜去することができました。

一般病棟に戻ると、術後5日ぶりに排便がありました。術後は食事も完食できない日が多かったため、幸いにもオムツを汚すことは一度もなく、一般病棟へ戻ることができました。(我慢すること自体は望ましいことではありませんが、手術前に排便を済ませていたこともあり、腸内の内容量が少なかったのだと思います。)

それはさておき、手術後は徐々に鎮痛薬の強さを弱めながら、1日4回(6時間おき)の抗生剤投与を継続し、あわせて血液検査や心臓エコーによって経過を確認していく流れとなりました。

痛みについては、胸骨の痛みが依然として強く残っていました。

体を反らしたり、ひねったり、あるいは少し変な力を入れただけでも、ピリッとした鋭い痛みが走る状態でした。

特に注意が必要だったのは咳やくしゃみで、普段の感覚のまま行うと胸骨に強い負荷がかかり、非常に強い痛みを伴いました。そのため、できる限り咳やくしゃみを避けることを意識する必要がありました。また、水を飲む際も、むせないよう細心の注意が必要でした。

一方で、咳やくしゃみを避けられている限りは、歩行や日常的な動作による痛みはあるものの、ある程度耐えられる範囲となり、行動の自由度は徐々に増していきました。

抗生剤治療は約4週間にわたり継続されました。入院は2月25日から始まり、3月31日に退院が決定しました。

本来であれば、まず抗生剤で感染を十分に抑えてから手術を行う流れが一般的ですが、私の場合は手術が前倒しで実施されたため、結果としては比較的早い段階で退院に至ることができました。

もちろん、抗生剤のみで完治することが最も望ましい経過ですが、今回のケースでは複数の要因が重なっていたと考えています。運が悪かった面もありますし、先天的に大動脈弁が「二尖弁」であったことも影響していたようです。本来3つあるべき弁が2つしかない構造であるため、一般的な場合と比べて病気のリスクが高い状態だったとの説明を受けました。また、当初は発熱を深刻に捉えず大きな病院の受診が遅れたことも、結果的に手術に至った一因であったと考えています。

手術後2〜3日は非常につらい時間が続きましたが、初めて大きな病気を経験し、医療従事者の方々が最前線で働かれている姿を間近で見ることができ、また患者として体験することができて、とても貴重な経験になったと感じています。

お医者様、看護師様、理学療法士様、清掃員様をはじめ、病院に関わるすべての方々に深く感謝申し上げます。命を救っていただき、本当にありがとうございました。また、支えてくれた家族にも心から感謝しています。

今後は退院後の外来通院が続きますが、特に大きな変化がなければ新たな記録として更新する予定はありません。また、障害者手帳の申請などもこれからありますが、その点について詳しく発信する予定はありません。

この病気について調べることになってしまった方にとって、少しでも参考になったり、安心につながるような内容になっていれば幸いです。



いいなと思ったら応援しよう!