パチンコ店ができたのん!
れんげ「ねえねえ、早くするのん!」
今日は日曜日。れんげは自転車の練習のため、姉の一穂と広場へ向かっていた。空は晴天、絶好のサイクリング日和だ。
ガガガ……
その途中、田舎の情景には似合わない壮大な機械音が聞こえてきた。
れんげ「なんか大きな音がするん?」
一穂「んー? 何か工事してるのかな? 珍しいねー」
れんげ「なにかできるのん?」
一穂「よく分からないけど、うちは今のままがいいかなー」
れんげ「なんなー……あ! タヌキがいるん! 具の友達かもしれないのん! 待つのーん!」
一穂「れんちょん、急に走ると危ないよー」
ここは都市部から遠く離れた田舎。時間は緩やかに過ぎて、便利ではないかもしれないが皆が幸せに過ごしている。
彼女たちも、そんな時間がずっと続くと思っていた。
コケコッコー……
れんげ「ん……もう朝なん……?」
昨日の練習もあり、疲れていたれんげはいつもより熟睡してしまった。
カーテンを開けると空は曇っていた。少し憂鬱な気分になるが、ふすまから漏れ出す美味しそうな匂いを嗅いだ瞬間、そんな気持ちも吹き飛んでいく。
朝食をとるためリビングへ向かう途中、チラシを凝視したまま廊下に立っている一穂の姿があった。
一穂「……」
れんげ「ねえねえ、どうしたのん? チラシなら廊下じゃなくてリビングで見るん」
一穂「!? 何でもないよ! ほ、ほら! 早く朝ごはん食べてきな!」
れんげ「? 分かったん。早く食べて学校行くん! ねえねえも二度寝しないで来るのんなー」
一穂「あ……う、うん……」
動揺する一穂に小さな違和感を覚えたが、「なんてことはないだろう」とれんげは立ち去った。
キーンコーンカーンコーン……
れんげ「ぬはー、疲れたのん」
終業のチャイムが鳴り響くと、れんげは握っていた鉛筆を置いて机に突っ伏した。周りを見渡すと、一目散にボールを持った夏海が廊下へ出ていくのが見えた。
れんげも混ざろうと立ち上がったその時、一穂が話しかけてきた。
一穂「あ、れんちょん。今日ウチ帰り遅くなるから」
れんげ「そうなのん?」
一穂「えーと……そう! テスト作らないといけないから! 残らないといけないんだ」
れんげ「それは……お勤め、ご苦労様ですん」
一穂「ははは……」
れんげ「ウチ、遊んでくるのん! なっつん! みんな! ドッチボールするーん!」
一穂「……ごめん、れんちょん」
一穂はグラウンドへ走っていくれんげの背中にそう言うと、ポケットから今朝眺めていたチラシを取り出した。
カーカー……
れんげ「ねえねえ、遅いのんなー……」
晩御飯の時間になっても、一穂は帰ってこなかった。
れんげが1人になってしまうとき、楓が面倒を見てくれることが多かったけれど、今日に限って彼女の経営する駄菓子屋は閉まっていた。
ガラガラ……
仕方なく先に食べ始めていると、扉の開く音が聞こえた。寂しかったのもあり、れんげは一穂を迎えるべく玄関へ駆けていく。
れんげ「ねえねえお帰りなん! 待ちくたびれたん!」
一穂「は?」
一穂はなぜか怒っていた。顔は般若のようなしかめっ面になっており、それは実の妹に向けるものではない。
れんげ「え……? ねえねえ……?」
一穂「あ、その……ごめんね! 順調にいかなくてさー。あはは……」
れんげ「そ、そうなんな……びっくりしたのん」
一穂はそう言うと奥の部屋へ行ってしまった。並んだハンバーグはすっかり冷めてしまい、れんげの気持ちを代弁しているようにも思えた。
ホーホー……
れんげ「ん……」
ある日の深夜、尿意を感じたれんげは目が覚めてしまった。トイレへ行くため、隣に寝てるはずの一穂を起こそうとしたが、そこに彼女の姿はなかった。
ガサガサ……
仕方ないので怯えながらトイレへ向かうと、廊下から何か物音がした。
れんげ「のん!?」
一穂「え!?」
驚いたれんげの声に反応して物陰から出てきたのは、幽霊ではなく一穂だった。
一穂「なんだれんちょんか。びっくりしたよー」
れんげ「ねえねえ、そんなところで何やってるのん?」
一穂「べ、別に何も……」
明らかに動揺する一穂の手には封筒が握られている。
れんげ「あ! ねえねえが持ってるの生活費の封筒なん! 何してるん!」
一穂「は? 書類を郵送するのに用意した別の封筒なんだけど?」
れんげが一穂に疑いの言葉をかけた瞬間、彼女の表情が一変した。言葉遣いも普段とは違い、強いものに変わっている。
れんげ「そ、そうなんな。ごめんなのん……トイレ引っ込んだん。ウチ、もう寝るん」
怖かったのだろう。足を震わせたれんげは寝室へ戻っていく。
一穂「もう引き返せないんだよ……絶対に勝って、勝ち続けて楽に生きるんだ。そしたら、れんちょんにだって美味しいご飯やゲームを買ってあげられる……そうだ、これはれんちょんのためなんだ……」
そんな独り言は闇夜に吸い込まれていき、れんげに届くことはなかった。
ピヨピヨ……
れんげ「ぬごっ!」
昨晩、トイレに行くことが出来なかったせいか、れんげは普段よりも早く目が覚めてしまった。ふと隣を見るが、いつもは遅刻するほど熟睡している一穂の姿がない。
疑問に思いながらトイレへ向かうため廊下に出ると、玄関で一穂が靴を履き替えていた。
れんげ「ねえねえ?」
一穂「え!? れんちょん!? 寝てるはずじゃ」
れんげ「トイレで起きたん。ねえねえ、今日は早起きなんなー」
一穂「そ、そうなんだよー! 昨日終わらなかった仕事のために……ね?」
暑いわけでもないのに、一穂の額には汗が流れていた。
一穂「ウチもう行くから! れんちょんも気を付けて学校行くんだよ!」
れんげ「分かったーん。行ってらっしゃいなのん」
キーンコーンカーンコーン……
チャイムが鳴っても一穂は学校に来なかった。他の大人たちが言うには、どうやら近くにできたパチンコ屋に通っているらしい。
その日を境に一穂は学校へ来なくなった。家に帰ってもすぐに部屋へ籠るようになり、時々なにかを壊す音や泣く声が聞こえるようになった。
小鞠「ちょっとれんげ! 最近のかず姉どうなってるの!? 授業に遅刻することはあっても、休むことはなかったじゃない!」
れんげ「こまちゃん……あんなー……」カクカクシカジカ
夏海「ふーんパチンコかー。面白いのかな?」
小鞠「夏海あんたね……私は大人だから知ってるけど、パチンコって危険なんだからね!」
夏海「えー? どう危険なのさ?」
小鞠「えっと……それは……」
小鞠自身、パチンコという単語は知っていたが、具体的な内容までは知らないようだった。
夏海「分かった! ウチが帰りに様子を見てきてあげる!」
れんげ「なっつん、でも18歳未満は来店できないって聞いたのん」
れんげは一穂のこともあり、ある程度パチンコについて調べていた。
夏海「大丈夫だって! 田舎だし、それにウチ身長高いからさ! それこそ姉ちゃんは無理そうだけどねー」
小鞠「ちょ夏海! また馬鹿にしてー!」
仲睦まじい会話を、れんげは羨ましそうに眺めていた。最近まともに一穂と話しておらず、そのことが想像以上に辛かったようだ。
夏海「じゃ! 姉ちゃんとれんちょんはウチの家で待ってってよ! 絶対に連れて帰るからさ!」
そう言うと、夏海はパチンコ店へ向かっていった。
ガラガラ……チューン……バババ……
夏海「ここか……ずいぶんとうるさい場所だなー。こんな所にずっといたら耳がおかしくなっちゃうよ」
田舎とは正反対の騒音に夏海は顔を歪ませる。一刻も早く一穂を見つけて帰ろうと思ったその時、機械を殴りつける女性の姿が目に入った。
一穂「っざけんな! 激アツだったろ! 遠隔? 田舎モンだと思って遠隔しとるんか!? あ!? 殺すぞ!」
一穂だった。
彼女は荒れ果てており、吸っていなかった煙草も、今では灰皿いっぱいに埋め尽くされている。服も同じものを着ているのか汚れが目立っていた。
夏海「か……かず姉……?」
一穂「あ? あぁ! 夏海! あのさ! 金、持ってない? ちょっと貸してほしいんだけど。大丈夫! あとで倍にして返すから!」
数日ぶりに会った教え子に対して、一穂が最初にかけた言葉は借金の願い出だった。
その瞬間、夏海の頬を何かが伝った。泣いていたのだ。
煙が目に染みるのだと心の中で言い訳をしたが、それが理由ではないことを彼女自身が理解していた。
楓「先輩、教え子から借金とか情けないですよ。つか、夏海は何でここにいんの? 入口に18歳未満立ち入り禁止って書いてあったよね?」
聞き覚えのある声に目を向けると、そこには駄菓子屋で働いてるはずの楓が座っていた。彼女の前に置かれている機械は怪しく光っており、画面には「大当たり」と表記されている。
夏海「え? 駄菓子屋こそ何でここに……」
楓「18歳以上の私がここにいて何が悪いの?」
夏海「いや、その……」
楓「それより私は何で夏海がここにいるの? ってきいてるんだけど?」
口調は怖かったが、彼女の表情は笑顔だった。どうやら機嫌が良いらしい。
夏海「かず姉が学校に来ないから心配で……」
楓「ははは! 先輩、学校に行ってなかったんですか?」
一穂「うるせぇ! お前も駄菓子屋ひらいてないだろ! 夏海に借りられないなら……ねぇ~楓さま~」
楓「利子つけますよ?」
一穂「楓さま厳しいな~……つか夏海さぁ、ちょろっと遊んでいかない? 勝てば欲しがってたスマホも買えるよ?」
夏海「え?」
一穂「それに最近、蛍も学校きてないでしょ?」
夏海「それは風邪だって……」
一穂「あー違う違う。あいつスロット打ってるよ。東京で軽くやってたらしくて目押しもできるんだってさ」
夏海「嘘だ……」
夏海が呆けていると一穂は立ち上がって両肩を掴み、無理やり席へ座らせた。
一穂「夏海といったら『海物語』だよね~。ここ、笑うとこだよ」
一穂の笑顔は狂気的で、夏海は逆らうことが出来なかった。
震える手で夏海は新しい文房具を買うようにと母親が渡してくれた5千円を挿入口へ差し込んだ。
チクタクチクタク……
庭で小鞠と遊びながら、れんげは夏海の帰りを待っていた。
最近は蛍も学校に来てないので、お見舞いへ行こうなどと話していると、夕焼けの向こうから夏海の姿が見えた。
夏海「お待たせー!」
帰ってきた彼女は笑顔だった。でも、そこに一穂の姿はなく、代わりに大きな袋を抱えている。
夏海「まぁまぁ言いたいことは分かるけどさ! これでも食べて元気出してよ!」
そう言って夏海が取り出したのは、高級そうな洋菓子だった。
れんげ「なっつん……?」
夏海「いやー勝った勝った! とにかく音が気持ちよくてさ! 今でも耳に残ってるよ!」
小鞠「あんたまさかパチンコを」
夏海「姉ちゃんもれんちょんも心配しすぎだって! かず姉に会ってさ、試しに打ってみろって言われたから財布にあったお札入れてみたけど、それが当たる当たる! 見せたかったなー」
れんげ「なっつん! それは罠なのん! 初心者あるあるなん! もう行っちゃダメなのん!」
れんげがそう言うと、先ほどまで上機嫌だった夏海は態度を急変させた。その目は友を見るものではなく、地べたに這う虫を見るものへ変わっていた。
夏海「前から言おうと思ってたけど、れんちょんさぁ……なっつんってウチのこと? こっちは年上なんだからさぁ、夏海さんだよね? 姉ちゃんもさ、大人ぶってるの正直ダサいよ? お前らに一生できないこと、今ここでしてあげる!」
そう言ってれんげと小鞠に近付くと、財布から抜き出した札束を握りしめて、思いっきり彼女たちの頬を叩いた。
突然のことで痛みよりも驚きが勝ったが、硬直する彼女たちを無視して夏海は叩き続ける。
夏海「痛い!? 痛いよね!? これがお金の力だよ!」
小鞠は状況が呑み込めると大声で泣き出してしまい、れんげは夏海の姿に一穂を重ねて絶望した。
夏海「ウチ、明日もパチンコ行くから」
夏海は地べたに唾を吐き捨てると、家の中へ入っていった。
チクタクチクタク……
その日以来、れんげを取り巻く環境は取り返しのつかないほどに壊れていった。
夏海はあの後すぐに母親と大喧嘩をして、それをきっかけに家出した。一穂も蛍も学校へ来ることはなく、小鞠も最初は登校していたが、ある日「もう嫌だ」と言って部屋へ閉じ籠るようになった。
れんげ「ウチだってもう嫌なん!」
れんげは助けを求めるように駄菓子屋へと向かった。
今の彼女にとって、楓だけが最後の希望であった。最近はずっと閉まっていたが、今日はシャッターが上がっている。
れんげ「駄菓子屋! 駄菓子屋!」
楓「ん? れんげ、どうした?」
楓は笑顔でれんげを迎えてくれた。れんげは嬉しさのあまり、その場で泣き崩れてしまいそうになるが、グッと堪えて笑顔で返す。
一穂によって自由に使えるお金は隠し持ってた10円だけだったが、それで買う駄菓子の味はきっと絶品だろう。
そう思って中へ入るも、そこに駄菓子は並んでおらず、代わりに雑誌やエナジードリンクなどが置かれていた。
れんげ「え? お菓子は?」
楓「ん? ぜんぶ捨てた」
気が付くとれんげは崩れ落ちていた。その言葉は幼い体躯には支えきれないほど重かった。
楓「まぁ売れないしな。今はパチンコの雑誌とかエナジードリンク置いた方が売れるんだよ。ん? れんげ? 10円落ちてるぞ? まさかと思うが、その10円で買い物なんて言わないよな? 賢いお前なら分かると思うけど」
思いっきり拒まれたり罵倒された方がどれほど楽だっただろう。楓の中途半端な優しさが、れんげの精神を崩壊させる決定打となった。
ガラガラ……
扉を開く。家にはもちろん誰もいなかった。
虚ろになりながら部屋へ戻ると、れんげは倒れ込んでしまう。
ギギギ……ギギギィ……
いつの間にか眠っていたらしい。軋むような音で目が覚めると、目の前に一穂の姿があった。
一穂「れんげ」
一穂が話しかける。
何日ぶりだろうか?
れんげは嬉しくなり一穂へ抱き付こうとすると腹部に激痛が走った。
れんげ「え?」
れんげが下を向くと、そこには包丁が刺さっていた。その柄を一穂が握っており、右に回転し始める。
一穂「食費……これで浮くよね? え? れんげ!? ……あはっ!」
一穂「大当たり」
一穂は笑っていた。笑い続けていた。
そんな彼女を見ながら、れんげの命は消えていった。
ピヨピヨ……ピヨピヨ……
れんげ「んなっ!」
目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。
体を起こして腹部を確認するが、刺された形跡などは見当たらない。
れんげ「夢、だったん……?」
一穂「れんちょん? どしたの?」
声のする方へ目を向けると、そこには大きく欠伸をする一穂の姿があった。その顔はいつも通りの優しいもので、あの豹変した面影は一切ない。
一穂「今日、自転車の練習するでしょ?」
れんげ「するのーん!」
悪夢を見ていたと分かったれんげは早々に準備を始めた。
空を見上げると少し曇っていたが、それでも心は晴れ渡っていた。この日常を噛みしめるように、れんげは大きな一歩を踏み出す。
ガガガ……
れんげ「え?」
ガガガ……ガガガ……
れんげ「何の……音、なん……?」
ガガガ……ガガガ……ガガガ……
一穂「何って……れんげ」
一穂は"あの笑顔"を浮かべていた。
「2号店だよ」
