【72時間目(第15話)】ASD大仰型
—冤罪という名のすれ違い 司法が見逃してきたものー
「あの態度は絶対に嘘をついている」 —法廷でその断言は正しいかー
2008年、英国で一件の殺人事件裁判が行われた。
被告のCさんは21歳の男性で、ASD(大仰型)の診断を持っていた。
取調べ室でCさんは、母親が死亡したにもかかわらず感情的な動揺をほとんど見せなかった。
謝罪の言葉は丁寧で形式的だった。
「悲しいです」という言葉は、まるで事務的な報告のように述べられた。
検察はこれを「冷酷な計算された犯人」の証拠として法廷に提示した。
陪審員の心証は大きく傾いた。
しかし弁護側が呼んだASD専門家の証言が法廷を変えた。
「大仰型ASDを持つ人物は、強烈な感情を内側に持っていても、それを外側に表現する方法が非典型的です。感情がないように見えるのではなく、感情の表現チャンネルが定型発達と異なるだけです」。
最終的にCさんは証拠不十分で無罪となった。
このケースは例外ではない。
世界各国の法廷で、ASD大仰型の特性が「犯人らしい態度」として誤解され、有罪判決に影響した事例が記録されている。
「感情の表現が定型発達的でない」ことが、「嘘をついている・反省していない・危険人物だ」という推論に直結してしまう現実がある。
大仰型ASDの特性——形式の鎧の内側
大仰型ASD(Stilted/Formal ASD)は、Wing & Gouldの分類において最も認知度が低いサブタイプだ。
主な特性として、過度に形式的・書き言葉的な話し方がある。
日常会話でも敬語・専門用語・丁寧な文体を使い、砕けた表現が自然には出てこない。
感情表現のタイミングの非典型性も顕著だ。
泣くべき場面で笑う、笑うべき場面で無表情、深刻な話題で唐突に別のことを話し始める——これらは「感情がない」のではなく、「感情の表現と状況のマッチングが非典型的」という現象だ。
神経学的には、感情処理と感情表現のカップリングに非典型性があると理解される。
ユーモアや比喩の文字通り解釈も特徴的だ。
「また雨を降らせましたね」という比喩的な批判を「天気の話をしている」と理解する。
「手を貸してください」を「物理的に手を差し出してほしい」と解釈する。これらの処理は、文脈から暗黙の意味を読み取る「メンタライジング(心の理論)」の非典型的な働きから生まれる。
礼儀正しいが「温かみがない」と感じさせる対人スタイルも大仰型の特徴だ。
挨拶は正確で礼儀正しい。
しかし雑談・世間話・関係構築のための「意味のない会話」が困難で、「用件以外のことを話す」場面での不自然さが生まれる。
嘘の検出と神経科学——ポリグラフの限界
法廷において、大仰型ASDの人物が「嘘をついている」と判断される根拠の一つにポリグラフ(嘘発見器)の問題がある。
ポリグラフは「嘘をつくことによるストレス反応」を測定する——心拍数の増加、発汗、血圧変動などだ。
通常、嘘をつくことは認知的負荷を増大させ、ストレス反応を引き起こす。しかしASDでは、この前提が成立しない場合がある。
第一に「社会的状況自体がストレス反応を引き起こす」——取調室・尋問という状況そのものが、真実を述べているときでも強いストレス反応を生む。
第二に「感情の処理パターンが非典型的」——嘘をつく際に定型発達者が感じる「後ろめたさ」の感覚が弱い場合、ストレス反応の「基準値」が通常と異なる。
第三に「感覚過敏」——ポリグラフ検査中の身体的拘束や測定器具への感覚過敏が、検査結果を歪める。
英国のキャサリン・マラスとロビン・ボウラーの研究(2010)は、ASDを持つ人物が尋問状況において「迎合的な反応」を示しやすいことを明確に示した。
長時間の反復的な質問、取調官からのプレッシャー、「この状況を終わらせたい」という心理的負荷が重なったとき、事実と異なる「はい」が生まれやすい。
これは「自白させられた」のではなく、「この状況を終わらせるには同意するしかない」という処理が働いた結果だ。
国際的な改革の動き——神経多様性と公正な司法
ASDと司法の問題に対する改革は、いくつかの国で始まっている。
英国では「PACE(Police and Criminal Evidence Act)コード」に基づき、精神的な脆弱性を持つ被疑者への取調べには「Appropriate Adult(適切な大人)」の同席が義務付けられている。
しかしこれが実際に機能するためには、取調官がASDを認識できることが前提条件となる——認識できなければ制度は使われない。
オーストラリアでは、ASDを持つ証人・被告人への法廷でのコミュニケーション支援「Communication Assistant制度」が一部の州で導入されている。「この証人の非典型的な表現はASDによるものです」という専門家の証言が、陪審員の誤った解釈を修正するために機能する。
日本においては、発達障害を持つ被疑者・被告人への司法的サポートの整備はまだ発展途上だ。しかし「障害者差別解消法」の施行(2016年)以降、合理的配慮の提供が司法の場でも求められるようになってきている。
「嘘のサイン」の再定義——理解が公正をつくる
「目を合わせない」「感情的に謝罪しない」「表情が乏しい」「感情表現のタイミングがずれている」——これらは、定型発達的な「嘘のサイン」リストに載っていることがある。
しかしこれらのすべてが、大仰型ASDの「通常の特性」だ。
ASDを持つ人が真実を述べているとき、「嘘をついているように見える」ことがある。
問題は「彼らの脳が嘘をつきやすい」のではなく、「定型発達の感情表現のみを正しい表現として解釈するシステム」にある。
司法における神経多様性の理解は、個人の問題ではなく社会の公正さの問題だ。
「あの態度は絶対に嘘をついている」——その断言の前に、「この人物にASDの特性がある可能性はないか」という問いを挟むこと。それだけで、救われる命があるかもしれない。
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