お酒をやめて13年。どんな感じかって?それは・・・
お酒とベンゾをやめて13年
5月末で、お酒をやめて13年が経った。正確には、アルコールと、不眠のために処方されていたベンゾジアゼピン系抗不安薬の両方をやめて13年になる。いずれも常用量依存の状態であった。
断酒・断薬のきっかけは妊娠であったため、身体的な離脱症状も少なく、比較的スムーズにやめることができた。もちろん医者にも相談した。段階的にベンゾを減らしている最中の妊娠だった。
むしろ困難だったのは、妊娠していない時期にやめたタバコや、共依存的な関係性から距離を取ることのほうである。
自分の20代を振り返ると、軽度ながらも確実に依存症であったと感じている。ただ「お酒や処方薬をやめた」という事実よりも、「依存していたものを手放して、その後どう生きているか」という部分にこそ語る価値があると考えている。
娘のおかげ
今振り返れば、お酒とベンゾジアゼピンをやめられたのは、娘の存在が大きかった。現在中学生になった娘のためであれば、自分でも行動を変えることができた。
私は今でも「自分の健康のために」といった理由では動きにくい。しかし、「娘のため」であれば、やめるという選択ができた。こうしたアディクトのかたちは、案外少なくないのかもしれない。
この経験もあって、私は今でもどこかで娘を「神様のように」見ているところがある。「ぴーちゃん様のおかげで、私はクリーン&ソーバーでいられてるよ」と、心の中で手を合わせたくなる瞬間がある。感謝の気持ちは尽きない。
※12ステップのプログラムでは、断酒を「ソーバー」、断薬を「クリーン」と呼ぶ。
クリーン&ソーバー13年の実感
クリーン&ソーバー13年というのは、どういう感覚なのか。率直に言えば、きつい部分はある。基本的に常にシラフで生きている。もともと酔うのが大好きだった人間にとっては、それは決して楽なことではない。
ただし、世間で想像されるほどの苦しさではない。
なぜなら、酒なしで生きることを前提としたライフスタイルへと変化していくからである。仕事においても、プライベートにおいても、「無理をしない」というか、無理がきかないので無理をしない。感情も溜め込まず、ミーティングや身近な人に言語化して伝えている。瞑想の実践によって、自分で心を落ち着けるスキルも身につけてきた。
10年を記念して書いた記事
問題が長居しなくなった
困難が起きたときに、「いまの自分の生活のどこに問題があるのか」が、他者との関わりや内省を通して見えるようになる。少しずつ改善と成長を繰り返し、大きな問題を長く抱え込まないようになってきた。これは回復の中で、最も大きな変化のひとつである。
とはいえ、やはり「きついものはきつい」。
責任を取るようになった自分
年数が経過するにつれて、「責任を取る」ことが増えてきたように思う。子育て、仕事、セルフケア。「13年もクリーン&ソーバーでやってきたなら、これくらいはできるだろう」と自分にも他人にも思われるようになってきた。それはありがたいことでもあるが、同時にプレッシャーでもある。
表面上は、一般の人々に混じって生きられるようになっている。しかし、自分の中には今もなおアディクトとしての傾向が残っている。それを人前で出さずに生活できる、いわば“擬態”が可能になったというだけで、本質的には変わっていないと感じることも多い。この「地味なしんどさ」が、現在の課題である。
仲間という処方箋
だからこそ、「やっぱりきついよね」「まだアディクトっぽいところあるよね」と語り合える仲間の存在が、今も必要不可欠である。それ以上の治療薬は存在しない。
日常の中でふと気づくと、またアディクション的な方向に偏りかけていることもある。仕事に傾きすぎていたり、必要以上に本を買い込んでいたり、人の面倒を見すぎていたり。そうした傾向に気づき、微調整を繰り返していく必要がある。
中期の回復はむしろしんどい
業界では、クリーン&ソーバー10〜15年の時期がもっともきついと言われることがある。確かにこの数年、私自身も「シラフで責任を取る時期」に入っており、重たさを感じることがあった。もう少し肩の力を抜いても良いのかもしれないが、それでも日々のバランスを取る努力が必要である。
それでもやっぱり、やめてよかった
10年目のときにも書いたが、シラフで生きるからこそ味わえる「奇跡のような時間」が、たしかにある。それが何よりの回復の証だと感じている。
家族3人で山に登れたこと
娘が小学校を卒業し、中学生になったこと
自分たちの手で立ち上げた団体がNPOになったこと
依存症のためのマインドフルネス(MBRP)の講師養成講座ができて、ネットワークができたこと
寒すぎる時期にキャンプに出かけてしまった思い出
仲間とバカみたいな話をして笑い合った時間
そうした一つひとつの体験が、今の私にとって、かけがえのない喜びであり、深い感謝を伴った生の実感である。
スピリチュアルな回復の感覚
アディクションの回復領域では、こうした感覚を「スピリチュアリティ」と呼ぶことがある。「シラフでここまで来られてよかった」「すべては周囲のおかげだ」と感じられる、その瞬間。つながる、通じ合う、信じることができる、確かな感覚。お酒や薬に逃げず、現実と向き合ってきた時間の積み重ねが、そうした感覚を育んでくれる。
しらふで生きる恩恵
結果として、しっかりと人生を生きられるようになった。そして、周囲に感謝できるようになった。これが、シラフで生きる最大の恩恵であると実感している。
アディクトであった頃は、思考が自己中心的になりがちで、物事の見え方も歪んでいた。苦しい中にも楽しい記憶は確かにあるが、失ったもののほうが多く、他者にも大きな負担をかけてしまった。
今こうしてシラフでいられるのは、仲間や友人、仕事の関係者、そして何より家族のおかげである。自分で回復した部分もあるにはあるが、最も大きかったのは家族の存在である。
これからの10年に向けて
これからの10年は、家族からもらったものを返していく時期であり、「本当に自分のための回復」を進めていく時間になるのではないかと感じている。
今週は、仲間とともにクリーンのバースデーを祝う予定である。毎年この時期は緊張し、シラフで生きていることの重みを感じて、不思議な気持ちになる。それもまた、回復の道の一部であるのだろう。
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