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無意識がカラダを止める〜その不調、心のクセが創っているかもしれない〜

去年、
私の身体に異変が起きた。

その前に左の足指を骨折。
全治3か月くらいと診断された。
ようやく、治りかけてきた矢先。

突然、今度は右膝が痛くなった。

最初は、ちょっと疲れてるのかな」くらいに思っていた。
とんでもない。足を曲げられない、どうにも痛くて歩くときも引きずる位。

トライアスロンを続けてきた私にとって、
これはかなりショックだった。

走れない。
思うように身体を動かせない。

4月にはレースがある。

時間がない。

焦る。
不安になる。
もどかしい。

病院へ行っても、膝の痛みの原因ははっきりしない。

「これはもう、年齢的なものなのかな…」

そんな言葉が、頭の中を何度もよぎった。



でも、本当の原因は別のところにあった

私は、
瞑想をしたり、
静かに自分の内側を見つめる時間を持った。

そこで、
ある記憶がふっと浮かんできた。

小さい頃の出来事。

私は本当は、
外で元気いっぱい遊びたい子どもだった。

でもある日、
遊びたくて駄々をこねた時、
母に暗い部屋へ閉じ込められ、
「お仕置き」と言われたことがあった。

その時の私は、
怖かった。

そして、
こう受け取った。

自由に元気に動く私は、ダメなんだ。

もちろん、
母に悪気なんてない。

親なら誰でもある、
しつけのひとつだったと思う。

でも、
子どもの脳って純粋だ。

その時の感情を、
そのまま深くインプットしてしまう。


病気がちな子を選んでいた

思い返すと、
私は幼稚園の頃、
長く休んでいた時期がある。

外へ遊びに行こうとすると、

「風邪ひくからやめなさい」
「今日は雨だから家にいなさい」

そんな言葉を受け取っていた。

それももちろん愛情。

でも、
私は本当は遊びたかった。

だからどこかで、

元気な私でいると止められる
自由に動く私は歓迎されない

そんな思い込みができていたのかもしれない。

気づいた時、ゾッとした。

私は、子どもの頃からずっと、

自分で自分にブレーキをかけていたんだ。


「もう歳だから」が現実になる

そして、大人になった私も同じだった。

膝が痛くなった時、こんな言葉を無意識に繰り返していた。

「もう歳だから」
「無理すると悪化する」
「ほどほどにしないと」
「このまま少しずつ動けなくなるのかな」

これって、怖い。

なぜなら、
脳は繰り返し聞く言葉を、
現実として認識していくから。

私は、自分で

“走れない未来”

をつくっていたのかもしれない。


変わるために必要だったのは「決める」じゃなく「やめる」

そこで私は思った。

何か新しい自分になる必要はない。

ただ、

自分を止めるのをやめよう。

それだけでいい。

小さい頃、
怖くて閉じ込めてしまった
本来の私。

自由に走り回りたかった私。

その私を、
取り戻そうと思った。

最初は怖かった

骨折が治って、ジョギングを再開した。

でも正直、怖かった。

また痛くなったらどうしよう。
悪化したらどうしよう。

昔の思考が何度も顔を出す。

その時私は、走りながら声に出した。

「走れたぞ、ありがとう」

リズムのように、何度も何度も。

お風呂でも、
膝を撫でながら
「ありがとう」を繰り返した。

すると少しずつ、

走る=痛い

という脳の記憶が薄れていった。

そして今。

痛みはなくなり、以前より走れるようになっている。

すぐには変わらない。でも必ず変われる。

ここで大事なのは、

気づいたからすぐ変わる、わけじゃないこと。

脳の記憶には、タイムラグがある。

でも、だからこそ諦めなくていい。

少しずつ。
徐々に。
だんだん。

変わっていく。

もし今、
繰り返す不調や、
前に進めない感覚があるなら。

それは、あなたが弱いからじゃない。

どこかで自分を守るために作った、
無意識のクセかもしれない。

そしてそれは、やめることができる。



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