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『いまさら本』を読んでみようと思った日。 ――時代に追いつくふりをして。


1. チカホでの出会い

以前、札幌の地下歩行空間(チカホ)で単独出店していたとき、一人の女性客に声をかけられました。
手にしていたのは、矢月秀作の長編小説『もぐら』です。

「これ、読んだことありますか?」
少し興奮した様子でした。正直、まだ読んでいなかった私は、「いえ、まだなんです」と答えました。
お客さんは「そうですか」とだけ言って、本を棚に戻し、立ち去りました。

そのやり取りが、なぜか心に残りました。
古本屋の棚にある本を自分が読んでいない。
頭では「すべての本を読んでいるわけじゃないよね」と、自分に言い訳しながらも、どこか胸の奥がくすぐったいような、気まずいような感じがしました。


2. シリーズの途中から

それから数日、仕事の合間に少しずつ『もぐら』を読み進めています。

といっても、なぜかシリーズの『凱(がい)』から読んでいるんですよね。
順番が逆なのはわかっているのですが、手に取ったタイミングがたまたまそうだったんです。

矢月秀作の「もぐら」シリーズは、以下のように続いています。

  • 第1巻『もぐら』

  • 第2巻『もぐら讐』

  • 第3巻『もぐら乱』

  • 第4巻『もぐら醒』

  • 第5巻『もぐら闘』

  • 第6巻『もぐら戒』

  • 第7巻『もぐら凱(上・下)』

全7巻(最終巻のみ上下巻)で構成される長編ハードボイルドシリーズです。
最後の『凱』は完結編。いきなりそこから読むのは妙ですが、
これはこれで悪くない気もしています。


3. 読む“波”のようなもの

ふと思うのは、映画や漫画、アニメなどは「見た?」と聞かれても、
あまり気にしないということです。
見ることもあれば、見ないこともある。

たとえそのとき見なくても、また数年後にふと出会うことがある。
SNSの流行や、誰かのおすすめで、
気づけばもう一度“波”がまわってくる。
映像作品は、そうやって何度も再浮上するチャンスがあるんですよね。

けれど本は違います。
そのとき読まなければ、一生読まない気がするのです。
たぶん、メディアとしての“周期”が違うのだと思います。

自分の独自の理論ですが――
本には「読める瞬間」と「読めない瞬間」があると思います。
それは努力や気分ではなく、もっと長い周期のようなもので、
一度タイミングを逃すと、次の波が来るのは十年先かもしれません。


4. “敵”への共感

読み進めるうちに、気づきました。
闇社会の中で“敵”とされる人物に、なぜか目が離せなくなっていたのです。

彼らは中国人。
どんなに優秀でも、日本では「国籍がない」という一点で、
進学も就職もまっすぐな道が開かれない。
書類の段階で門前払いを受けるような人生です。

それでも、生きるために働き、学び、もがく。
けれど社会のメインストリートからは、いつも半歩はずれている。
その“くすぶり”が、やがて彼をアンダーグラウンドな組織へと導いていく。

犯罪という選択の奥にあるのは、野心でも快楽でもなく――
「ここでしか、生きられなかった」というもの。

社会のどこにも居場所がなく、地の下を生きるような姿に、
タイトルの“もぐら”という言葉が重なって見えました。


5. 途中の手触り

いまも少しずつ読み進めている途中なので、
読後の感想を書くには、まだ早いかもしれません。

そんな感じで、まだ途中です。
でも、こういうのはタイミングが大事なんですよね。
読む気があるうちに、読めるだけ読んでおこうと思います。


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