【書物逍遙】本という扉/フレデリック・クレインス
私にとって本は生きていくうえで必要不可欠な存在だ。本を開く瞬間、私は一つの世界に足を踏み入れる。そこには作者が織りなす物語があり、思想があり、知識の体系がある。一冊の本を読み終える頃には、一つのテーマや物語について全体像を把握している自分がいる。この感覚は、断片的な情報が飛び交うネット世界では決して得られないものだ。
本を読むとき、私の頭の中では無限の世界が広がっていく。文字を追いながら、登場人物の表情を想像し、風景を思い描き、感情の機微を感じ取る。しかし、本を電子媒体で読んでも、こうした豊かな感性は湧いてこない。紙を触り、ページ全体を眺め、どこに何が書いてあったのかを視覚的に記憶する。この身体的な感覚こそが深い読書体験を支えているのだ。
これまで数多くの本に出会ってきた。特に印象深い本を三冊挙げるならば、まず、『源氏物語』だ。古典文学の頂点とも言えるこの作品は、千年前の人々の心の動きを現代の私たちに伝える。次に、「諸行無常」という言葉が全編を貫く『平家物語』。人間の運命の無常さを描いた物語だ。井上靖の『敦煌』は、シルクロードの砂漠に眠る歴史をもとに、現実と虚構の境界を曖昧にしながら、壮大なロマンを紡ぎ出している。各作品にはそれぞれ独自の世界があり、私の内面に深い印象を刻み込んだ。
アナログ派である私にとって、本は最も受容しやすい媒体だ。私はスマホを持っていないし、SNSにも馴染みがない。メールはパソコンでかろうじてこなしているがITに関しては完全に音痴である。かつて読み書きのできない人々がいたように、私はデジタル技術を身につけていない。しかし、彼らが文字を読めなくても社会で生きていけたように、私もデジタル移行が叫ばれる現代において何とか生き延びている。
なぜデジタル技術を習得する努力をしないのかと問われるかもしれない。答えは明白だ。本の世界を失いたくないからである。スマホをいじるようになれば、断片的な情報ばかりを追う習慣がついてしまい、本が読めなくなってしまう。短絡的な思考パターンに慣れることで、一冊の本を通して深く考える能力そのものを失ってしまうことを恐れている。
社会がデジタル化される中で、本を読む人はどんどん減っていく。人々はデジタルの世界にのめり込み、フラッシュのような情報を追いかけることに夢中になっている。しかし、そうした情報の多くは、数日後、場合によっては数分後にはトレンド遅れとなり、忘れ去られてしまう。そんな儚いものに人生の貴重な時間を奪われたくない。
私は様々な世界を想像することが好きだ。本の中で繰り広げられる無数の物語、思想、知識の世界に身を委ねることで、現実を超えた豊かな体験を得ることができる。デジタル社会の波に押し流されそうになりながらも、本という確かな錨にしがみついて、私は今日も新しい世界への扉を開き続けている。
(国際日本文化研究センター副所長・教授)
『ミネルヴァ通信「究」』2025年11月号掲載]
*記載内容、ご所属・肩書きは掲載当時のものです。
