アームストロングな散歩をしよう
「大学の帰りに夕日見てんけどさ」
「ほう」
「近くにさ、塔あるやん」
月に初めて足跡を残したアームストロングのように、何かしらの初めてを求めて、俺はナラくんと歩いていた。
二人が通ったことのない、かつ人の気配が薄そうな道を選びながら、会話は弾む。
佐世保から越してきた時、アパートのベランダから異様な塔が見えていたのを思い出す。近づく機会もあったけれど、結局その正体は不明のままだった。
「あるな」
「夕日を写真に撮ってたら、どんどん塔に落ちていってけん玉し始めたわ」
同時に目の前に差し出されたスマホには、太陽が鋭い塔に突き刺さっている画像が表示されていた。夕暮れ時の日はオレンジ色に輝いていて、まさにけん玉のようだ。
「すご」
笑いながら、次からあの塔を見るたびに、玉のないけん玉として見ることになるんだと思った。

いつの間にか塔は建物に遮られたのか、見えなくなった。歩道のアスファルトを踏み締め、通り過ぎる車の風を感じながら、未到達の地を目指す。無謀にも程があるような気がした。
「アスファルトを踏んでる時点でアームストロングじゃないよな」
「それ言い始めたら、この世界でまじの未到達地を目指すなんてできないよ。あくまでも個人的アームストロングで、まだ俺が見たことのない景色を見るのもいいんだよ」
「柔軟なアームストロングだな」
たしかに、一大学生が未踏の地を目指すなど、無理なことだ。決して無理とは言わないが、限りなく無理に近い。てかなんだよ個人的アームストロングって。
「こう、田舎を売りにしてるような田舎じゃないから、マジで難しいな」
かれこれ十五分ほど歩いたナラくんは言った。見渡す限り、一般人が立ち入りできそうな場所や建物は皆無だった。俺も頷く。
それでもしばらく進むと、道路脇から横に逸れた道があった。地面はアスファルトから雑草が覆う土に変わっている。アームストロングを求める足は自然とそちらに向かっていった。
川沿いの空き地のようなところだった。橋の下をくぐり、上流を目指して歩を進めると、奥に一台の自転車が見えた。
「これはどういう自転車なんだろうな」
地面が一部舗装されているところで、川に向かって下りの始まる坂の手前にその自転車はポツンと置かれていた。周りに人の姿は見えない。でもこれは流石に先人の足跡なのではないか。アームストロングではないような気がする。
水切りでもできるのではないかと思って、川の一端にできている土地に踏み出した一歩目の足が、川に浸かった。濡れた土のように見えていた地面は、水だったのだ。慌てて地上に戻ったが、靴下が浸水してしまった。そこではたと気がついた。
「これって意外とアームストロング的な一歩目じゃない?」
訳:誰もここの水の中に足を突っ込んでないだろうから、俺が最初の一歩目なんじゃない?
「無様すぎるって」
ナラくんは辛辣だった。
やわらかい地面を踏んだ時のように、濡れた靴から滲み出る水分で足跡を作りながら、ただっぴろい土地を歩いていく。ヨーロッパとかの豪邸にある、迷路みたいな庭を想像するくらいの広さがあった。
「なんかあそこにあるで」
「ほんまや」
その庭の端の方に、街灯の光が見えた。どうやらそこは公園のようだった。しかし、ベンチが何台かあるだけで遊具もないし、走り回れるスペースもない。
どちらからともなく踵を返そうとした時、公園のさらに奥に、細い道があるのが視界に映った。
公園の街灯も届いておらず、道のいく先は見えない。だからこそなのか、その先にはきっと、月面があるのだという確信があった。
訳:誰も踏んだことのない地面を踏めるかもしれない。
道は錆びてところどころ変形したフェンスに挟まれて、フェンスの向こう側は竹林のようだった。心なしか気温も一層冷え込み、突然吹いた風が葉を鳴らす。暗闇の中から得体のしれない気配を感じた。
「ここを進むのが、やっぱり偉大な一歩なんだよ」
自分は大丈夫だと奮い立たせるつもりのセリフは、寒さで震えていた。寒さで。決して恐怖ではない。
「人類を舐めんなよ」
やっぱりナラくんは辛辣だった。
暗闇の道を抜けると、人ひとり通れるかどうかの細い道が左右に伸びていた。右はどうやら住宅地に続いており、左は先ほどの川の上流に出る道。アームストロングならきっと、左の道を進むだろう。俺の頭には宇宙服の中からこちらに笑顔を向けるアームストロングが浮かんでいた。
「うわ、この道は芸大アームストロングなんちゃう」
訳:同じ大学の学生は来たことないのではないでしょうか。
後ろに続くナラくんの言葉に賛同する。
「確実にアームストロングだわ」
訳:おそらく初めてなのではないでしょうか。
物々しいフェンスに囲まれた電圧板を横目に獣道を進んでいくと、急に視界がひらけた。目の前にはやはり川があった。すっかり日は落ちているから、光の反射がない川は底なしの闇のようにも見える。足元は砂利だった。その中に少し大きいサイズの石も混ざっている。しゃがんで拾い上げれば、そのしっとりとした冷たさが手に伝わってくる。
「これ水切りできそう」
「できるん?」
行動でできることを示してやろうと思って、川面に向かって鋭く投げた。俺の手を離れた石は一度波紋を大きく残し、あらぬ方向へ跳ねていったように見えた。なにせ暗いから、どれだけ跳ねたかわからない。
「十回か……」
だからそれらしくこんなことを呟いてもバレようがないのだ。
「すごいやん」
ナラくんは目を輝かせて言った。その濁りなき瞳に、先ほどのアームストロングの笑顔がフラッシュバックした。純真無垢なその表情に、俺の良心は耐えられなかった。
「ほんとは二回目で沈んだよ」
「雑魚やん」
ナラくんは以下略。
しばらく石を投げて、ふと夜空を見上げたナラくんが声を上げた。
「月でっか」
つられて俺も空を見ると、巨大な月が夜闇に浮かんでいた。
「デカすぎるだろ」
模様まで視認できるほど大きい。昼の太陽と比べても遜色ないほどのサイズだ。おまけに色も赤みがかっていて、けん玉の玉のようにも見える。いつもより月が近くに来ているのだろうか。アームストロング的散歩と名のついた散歩の中でこの月に遭遇したことに驚きを隠せなかった。
その狼狽をスマホを感じ取ったのかわからないが、撮れた写真は全くピントが合わなかった。

「アームストロングってあそこに行ったんやな」
「俺らが辿り着けたのはよくわからない河原か」
まさに天と地ほど差は離れているけれど、確かな満足感があった。帰ろうか、と言われ踏み出した靴はまだ湿り気を残していて、微かだけれどしっかりとアスファルトに足跡を載せた。
俺たちは、いつアームストロングになれるのだろうか。
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