ながれるものにこころ寄せて
小さい頃から、水が流れている風景が好きでした。
大きな川や滝も、もちろん好きです。
けれど、とりわけ心惹かれるのは、小川のせせらぎや、湧水地からさらさらとこぼれ出すような、小さくて静かな流れです。
ヨーロッパの街角で見かけた、石畳の道の真ん中を細く水が流れている風景も、なぜかずっと記憶に残っています。
水が流れるときの、あのさらさらという柔らかい音。
水面がゆるやかに揺れて、細かい波のように形を変え続ける様子。
じっと眺めていると、音と動きがひとつになって、ふしぎと気持ちが落ち着いてきます。
ひとところにとどまらず、かたちも決まっていないのに、そこに確かに存在している。
そんな存在に、ずっと心を惹かれてきたように思います。
中学受験をすることになったとき、志望校を選ぶ大きな理由のひとつが、その学校の敷地に川が流れていたことでした。
近くの用水路から分かれた小さな流れで、私が入学した頃にはすでに分岐点が閉じられており、水はほとんど動かず濁っていました。
けれど、「ここにはもともと水が流れていたんだ」と思うだけで、どこか特別な場所に感じられたのです。
在学中にその川は改修され、ポンプによって水が循環するようになりました。
水の音が戻り、川の景色がよみがえった様子を見るのは、本当にうれしい出来事でした。
長く止まっていたものが再び動き出す──その変化に立ち会えたことは、今でも鮮やかな記憶として残っています。
考えてみると、私はいつも「かたちのない動き」に惹かれてきました。
風の通り道や木の葉の揺れ、空をゆっくりと渡っていく雲。
音楽も、そうかもしれません。目には見えませんが、時間の中を確かに流れていくもの。
演奏することも、聴くことも、止まっていた楽譜の上の時間をもう一度動かす営みに感じられます。
好きな絵にも、そうした感覚があります。
風景が描かれているようでいて、じっと見ていると時間の推移のようなものが感じられる。
その場に漂う光や、描かれていない風の気配までも想像させてくれるような作品。
自然と、そうした絵を好むようになっていました。とくに日本画には、時間の感覚を静かに湛えた作品が多い気がします。
流れているものに、心が向きます。
それは、変わっていくことに身をゆだねながら、でも確かに“今”を生きているものたち。
そうした存在に、私はずっと惹かれ続けているのかもしれません。
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