ゴミの定義

今日、というか最近の僕だ。四方八方、様々な予定に挟まれている。今までの僕はこんな深夜に考え事をしては病み散らかすのだが、その病みには必ず思考が伴っていた。けれど、最近は朝早くに家を出、夜遅くに帰宅し寝るだけで精一杯の生活が続いている。ゆったりと思考する、緩やかに病むといった余裕が断絶している。

自分の作品がゴミに見えた。あの思い描いていた透明感とも違う、参考にしている名画の面白さも侮辱してしまうようだ。ゴミに見えるというのは、僕からしてみれば鮮度の落ちた腐った刺身なんだ。巨大な腐った刺身。洗っても洗っても綺麗にならないのは時が止まらないのと同じく。もう悔しいとか上手くなりたいなどという向上心もなく、無関心、無感情と対峙していた。誰かと比べるというのは訳が分からず、人の意見、褒めもお世辞も全てをくだらなく思ってしまった。

過度な忙しさはよくないと思う。1日に何個も予定を詰めて、たくさん移動して。最初は仕事ができる人みたいだななんて思ったけど、先述したように思考の余地がなくなる。これは表現者にとって致命になる。面白い、美しいと感じるには時間が必要なんだ。見る、推測する、言葉にしてみる、描いてみる…そうやって自分なりに美術と向き合ってきた。けれどその何よりも時間が優先されてしまった。次はこの予定が、明日はこの予定が。そうすると見るという行為をしても視界に入るだけで思考をすることが出来ない。思考に時間がノイズで入ってくる。

自分をつまらない人間になってしまったと思う。いつからこんなにつまらなくなってしまったのだろう。自分がつまらないから作品もつまらない。無駄な時間がないから個性がなくなっていく。無駄が削ぎ落とされてできたものに、人の心を救えるような作品なんてできない。金持ちの家にかざれられる絵じゃなくて、公民館、駅とか図書館だとかにポツンと飾られる絵でありたい。そしていつか教科書に載るんだ。変な絵なの〜と笑われて、落書きするのにうってつけの絵になって、あなたの人生の一部になりたい。

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