正しさよりも優しさがほしい
大大大好きなOfficial髭男dismの神曲『Subtitle』の歌詞の中に、「正しさより優しさがほしい」というフレーズがある。
正しさ.....
法治国家である以上それは当たり前。
正しさや、正義感はとても必要だ。
それなのに、正しいを通り越して、「あーこの人正しさを盾に保身に走ってるなぁ」とか、「正義感が強すぎて結果、人を傷つけてるよ」なんて思うことが頻繁にある。
わたしも知らない間にやっていることもあるだろう。
人と人が触れ合う何気ない会話の中で、相手に対して「そのことばが欲しかったわけじゃないんだよな」と思うことはよく、ある。まあ相手に自分がほしい回答を期待するというのは、まあまあのエゴではあるけど、、、
この「正しさより優しさが欲しい」の歌詞のフレーズに、共感する方絶対多いよね!と思ってる!
わたしも頻繁にそう思うことがある。
いちばん強くそう思ったのは、母が亡くなる数日前のこと。
高熱が続き、もう食事もほとんどできない状態の母を前にして、わたしの心は嵐の中にいた。
頭では、もう長くはないとわかっている。娘として、直感でその日が近いことは感じ取れていた。
それでも、希望を捨てきれなかった。
奇跡が起きてほしい。一日でも長く生きてほしい。ただそばにいてほしい。
そう願っていた。
そんなわたしの前で、母がいたホームの介護に関わるスタッフたちや医療関係の方々は淡々と動いていた。
中には、もう仕方ない、そう言わんばかりの空気を漂わせる人もいた。
「この状態ではね」
言葉にされずとも、伝わってくる温度。
それがわたしには、まるで「もう諦めなさい」と言われているように感じて、涙が出た。
たしかに、正しい。
彼らは日々、たくさんの終末を見てきているだろう。感情ではなく、経験から導き出される言葉や態度なのだろう。
でもその正しさが、わたしの心にはナイフでえぐられるように冷たく鋭く感じた。
そんな中、一人だけ違うことを言う人がいた。ケアマネージャーのリーダーの女性だった。彼女は、穏やかな声でこう言ってくれた。
「奇跡って、あるんですよ。案外、来週にはケロッとごはんを食べてるかもしれないじゃない。わからないですよ何が起こるか。だから、今はお母さんの手をたくさん握って、声をたくさん聞かせてあげてくださいね」
その言葉に、わたしは救われた。
数日ずっと泣いてばかりいたが希望の光を感じることができた。
母の手を握って、前向きにたくさん母に話しかけた。
奇跡が起きるかもしれない。と、
もしかしたら、それは優しい嘘なのかもしれない。
たとえ起きなくても、そう思わせてくれる人がいてくれることが、どれほど心を支えてくれるか。
わたしの家族はほとんどが医療従事者だ。
だからこそわかる。彼らが軽はずみな言葉を口にできない理由。
優しさが時に誤解を生み、訴訟の火種になることもあるという現実。
保身に走らざるを得ない現場があることも知っている。
またそういった気休めのような言葉がお嫌いな方もいらっしゃる。
正しいことがほしいときもある。
また、わたしもいいから正しいことを言ってよと思うこともある(わがまま)
それでも、
正しさだけでは人の心は癒せない。
理屈ではなく、ただそこに寄り添ってくれる言葉と心が、どれだけ人を支えてくれるか。
あのときのわたしが求めていたのは、まさにその優しさだった。
母が亡くなった今も、あの夜のことは忘れられない。
正しさより優しさをくれた彼女にはとても感謝している。
