僕の中の「Big in Japan」 厨二病だった僕は、どうやって音楽を聴いてきたのか。なお、今でも厨二病です(笑)

Big in Japan


久しぶりにMr. Bigを聴いていて、ふと「Big in Japan」という言葉を思い出しました。

Big in Japan。

ざっくり言えば、本国以上に日本で特別な熱量をもって愛され、ときには神格化されるほどの人気を得た海外のアーティストやバンドを指す言葉です。

僕らの世代で、この言葉から思い浮かぶバンドの一つが

Mr. Big

でした。

ちなみに僕が好きなのは「Take Cover」。

紛れもない名曲です。

1990年代半ば。

海外のHR/HMバンドが、日本でファナティックともいえる熱量で支持されていた時代です。

そして奇妙なことに、その時期は、

僕が音楽という得体の知れない沼に足を突っ込み始めた時期

と、ほぼ一致しています。



とおる、13歳。音楽の沼に落ちる


1995〜1996年。

中学一年生。

皆さんも中学生くらいから音楽の沼にハマっていったんじゃないでしょうか。

僕も例に漏れませんでした(笑)。

小学校5年生の頃、全教研竪町校で知り合った「うつお」という友人がいました。

ギターを弾いていた彼から、

強い。いや、

強いつよーーーい洗礼

を受けます。その入口が

Bon Jovi


でした。今考えても、あのとき彼がBon Joviを薦めてくれなかったら、僕はここまで音楽の沼に入り込んでいなかったかもしれません。

当時聴いたのが『Cross Road』。

1994年に発売され、日本でも売れに売れたベストアルバムです。

これをうつおから借りて、なぜか親父が持っていた高級なカセットデッキでカセットテープにダビングして擦り切るまで聞いていたことを覚えています。

Bon Joviは日本でかなり早い時期から熱烈に支持されたバンドでした。

ジョンボンジョビさんはイケメンで声もかっこいいし、旋律も日本人好みで、キラキラしている。自然と口ずさむフレーズ満載で、捨て曲なし!!

そういう意味で、僕にとってBon Joviは「Big in Japan」という言葉と強く結びついています。



そして、うつお経由でもう一つ、僕の中に輸入されてきたのが、

Led Zeppelin

2枚組の『Remasters』を買いました。

「Heartbreaker」なんかをコピーした記憶があります。

ジミー・ペイジの高速ギターソロを聴いて、

「なんじゃこれ、速ぇえ!」

とか思っていました。

ただし、、、、、、正直に言います。

Led Zeppelinは、いまいちあの泥臭さが完全には理解できていませんでした。

Bon Joviほど、一聴して旋律が頭に入ってこない。

「これは凄い音楽らしい」

ということだけは分かる。体感はしてる気がする。でも、

何がそんなに凄いのかは分からない。

そんな感じでした。

今考えると、この感覚はかなり重要だった気がします。

その後、確か『うたばん』だったと思うのですが、テレビで

Journey

のを映像を見て、Steve Perryの歌声に衝撃を受けました。

そこから本格的にHR/HMの洗礼を受け、

読者の皆さんの予想通り、順調に、そうとても順調に

かなり残念な音楽オタクへと仕上がっていきました。


ちなみに人生で初めて自分で買ったシングルCDは、

L’Arc〜en〜Ciel

の『Lies and Truth』です。

今聴いても、普通にカッコいいです。

そこから、どうしてこうなった(笑)。


僕を長年苦しめている病

この頃に感染し、その後30年近く——

というか、

現在も完全には治っていない病があります。

厨二病です。

もちろん医学的な病気ではありません。

ネット上にもいろいろ定義がありますが、ここでは僕自身の実体験から、


「音楽厨二病」

を勝手に定義してみます。


1.曲の凄さはギターソロの速さとリフのカッコよさで決まる

速ければ凄い。

複雑なら凄い。

リフ一発勝負。リフがその曲の全てを司る。

変拍子=インテリでかっこいい。

極めて分かりやすい世界観です。

もちろん全部、僕の主観です(笑)


2.CDがどれくらい売れたかで、アーティストの価値まで評価する

「このアルバム、世界で○百万枚売れてるぞ」

と言われると、

「なるほど。やっぱり凄いんだ」

となる。

ところが、売れていなければ売れていないで、

「まあ、一般人には分からんよな」

とか思い始める。


どっちに転んでも自分に都合がいい。


3.好きなバンドができると、ひたすらルーツを遡る

好きなバンドが影響を受けたバンドを聴く。

さらに、そのバンドが影響を受けた音楽まで遡る。

メンバーの使用機材を調べる。

インタビューを読む。

アルバム制作時の人間関係まで覚える。

そして、その知識を「教養」と呼び始める。

さらに恐ろしいことに、

そんなことを知っている自分を、

ちょっと——

いや、


もの凄くカッコいいと思っている。


4.自分が理解できない音楽を低く評価する

自分が知らない。

自分がそれまで「カッコいい」と思ってきた音楽の物差しに、なんかハマらない。すると、

「これはダサい」

となる。

当時の僕にとってはMr.Childrenなんかがそうでした。

ミスチルファンの皆さん、すみません。

言葉のあやです。

どちらかと言えばスピッツの方が好きだったんです。泥臭さが好きなんです。でも今考えれば、


曲をちゃんと聴く前に、すでに結論が出ています。


5.人が知らない音楽を知っていると嬉しい

「え? これ知らないの?」

心の中でちょっとニヤッとする。

誰も知らないバンドを知っている。

輸入盤を持っている。

ライブのブートレグを知っている。

それ自体がステータスになっていく。

ここまで来ると、

音楽が好きなのか。音楽に詳しい自分が好きなのか。

境界はかなり怪しくなります。

6.音楽雑誌のアルバム点数を信じる

某音楽雑誌で「fair warning」の「Angels of  Heaven 」96点。

「metallica」の「Reload」 70点台。

「うーん、確かに。微妙なのかな」

いつの間にか、自分の耳より編集者の耳を信用しています。

(今ではReloadは名アルバムに変化します。)

そして編集長は、ほとんど神様です。

いわゆる、

バーーーーン!

な雑誌ですね(笑)。

こうして文章にすると、かなり残念です。

でも当時の僕にとっては曲の琴線と一致してたのもあり、

けっこう本気でした。



「好き」だけでは不安だった

今になって考えると、

なぜそんなことをしていたのでしょう。

音楽なんて、本来かなり感覚的なものです。

曲を聴く。

「良い!」

それで終わっていいはずです。

ところが僕は、

なぜかそれだけでは不安になる。

だから、

自分の「好き」を証明してくれる物差し

を外側に探し始めます。

昔ならCDの売上枚数。

チャート順位。

音楽雑誌の点数。

今ならSpotifyやYouTubeの再生回数。SNSのフォロワー数。

さらには、

「このミュージシャンが薦めているから」「自分の好きなバンドが影響を受けたらしいから」

という理由で音楽を聴く。そのような理由で他人に勧めることもある。

音楽の海はあまりにも広い。

全部を聴くことなんてできません。

だから僕らは、効率よく「良い音楽」にたどり着くための地図を欲しがる。

それ自体は悪いことではありません。

問題は、


いつの間にか地図の方を、音楽そのものより信用し始める


ことです。



音楽を聴き続けると、今度は反対方向の問題が発生します。

ものすごく売れているバンド。

誰でも知っている曲。

テレビでも流れている。

クラスのみんなが好き。

すると突然発生する問題もみなさん悩んだことありませんか?


「こんな大衆的な音楽を好きな俺って、本当にカッコいいのか?」問題

厨二病には、

「みんなが知らないものを知っている俺は凄い」

という思想があります。

尖った音楽を聴いている俺。

こんなパンチの効いた曲を理解できる俺。

変拍子を楽しめる俺。


俺、凄いっしょや!


誰も聞いていないのに、

心の中でずっと自己紹介しています。

そうなると、「好き」という感覚そのものより、

「それを好きな自分が、どう見られるか」

の方が大事になってくる。

今考えると、かなり面倒くさい人間です。

本当は好きなのに、好きと言えない

もっと昔を思い出すと、似たようなことは小学生の頃からありました。

たとえばアニメの曲。

今でこそアニソンは普通に一つの音楽文化として市民権を得ていますが、僕が子どもの頃は少し違いました。

特に、

「女の子が見るもの」とされていたアニメ。

セーラームーン。ママレード・ボーイ。

本当は曲が好きでした。

でも小学生男子としては、

「俺、この曲好き」

とは非常に言いにくい。

気持ち悪がられそうだし。リアル気持ちわるいです。

相当。

だから隠す。

他にも恥ずかしい話は大量にありますが、

己をすべて曝け出す勇気はまだないので、この辺にしておきます(笑)

でも今考えてみると、

僕はずっと同じことをしていました。

自分の耳は「好き」と言っている。

でも、

外側にいる誰かの目を気にして、それを否定する。



意外とあった、厨二病の功績


ここまで書くと、

音楽厨二病は完全な黒歴史に見えます。

でも僕は、そうとも思っていません。

バンドをやるという点では、

この面倒くさい性格がもの凄い推進力にもなりました。

推進力の源

まず、曲への思い入れが異常に強い。

「この曲は絶対にやるべきだ」 と思えば、

半ば強制的に他人に聴かせる。「いいから聴け」となる。

迷惑です。非常に(笑)

でも、その尋常じゃないくらいの熱量によって人が動き、

結果としてバンドができることもある。

練習中毒

「カッコいいことをやりたい」

「誰もやっていないことをやりたい」

「舐められたくない」

と思う。

だから練習する。

結果として多少は上手くなる。

つまり厨二病は、

僕の音楽を狭くした一方で、


楽器を演奏する今の僕を作った物差しの一つ

でもあった。


だから全部を否定する気にはなれません。


興味がない曲との向き合い方

バンドをやると、「好き」だけでは済まなくなる

2003年。大学一年生。
その翌年には『オレンジデイズ』みたいなキラキラした青春ドラマが流行っていましたが、僕の大学生活はあんな感じとはだいぶ違いました(笑)。

ここから少し状況が変わります。

軽音楽部に所属した自分は、まったく音楽の嗜好が違う人たちと、一緒に演奏するようになりました。

すると初めて、大きな問題にぶつかります。

自分が興味のない音楽を演奏しなければならない。


これは音楽厨二病患者にとって、結構な事件です。

それまでの僕は、

「好きだから聴く」 「好きだから演奏する」

という順番でした。

ところがバンドではそうはいきません。

誰かが、

「この曲やろうよ」

と言う。

聴いてみる。全然ピンとこない。たぎらない。

「これのどこがいいんだ?」 と思う。

でも、やると決まった以上は練習する。

ベースラインを覚える。ドラムを聴く。ギターを聴く。歌を聴く。

曲の構造を覚える。

100回。

200回。

半ば強制的に聴く。

すると、

変なことが起きます。



「演奏したから好きになる」という逆転


最初は全然好きじゃなかったはずなのに、

何十回、何百回と聴いて演奏していると、

「あれ、このベースライン面白いな」

と思い始める。

「このドラム、ここでこう来るのか」

「ギターとベースって、こう噛み合っているのか」

「このサビ、演奏すると気持ちいいな」

そうやって曲の内側に入っていく。

すると、

いつの間にか好きになっています。

これは僕にとって、もの凄い発見でした。特に

「なんでこの人は、この曲がこんなに好きなんだろう?」

と考えるようになりました。

自分には刺さらなくても、誰かには刺さっている。

「俺には分からん」で終わらずに、相手には何が聞こえているんだろう、と考えてみる。

この癖は、結果的に音楽以外でも結構役に立つようになりました。


好きだから演奏するものだけではない。演奏した結果、好きになる音楽もある。


僕が「自分の音楽の嗜好」だと思っていたものは、

実はそれほど固定されたものではなかったんです。

下はPearl Jamの「Hail, Hail」。
当時の僕にとって、グランジはそれまで信じていたHR/HM的な「カッコよさ」をぶっ壊してきた側の音楽でした。
最初は全然分からなかったのに、300回くらい聴いて好きになりました(笑)。



『わからないこと』に対する忌避感

僕が嫌っていたのは、曲ではなく「分からないこと」だったのかもしれない

ここから先は推測です。

昔の僕が知らない音楽を拒絶していた理由の一部は、

本当にその音楽が嫌いだったからではなく、


理解できないこと自体が不快だったから

なのかもしれません。

HR/HMなら分かる。

ギターソロの速さも分かる。テクニックの凄さも分かる。

旋律も素晴らしい

でも、自分の物差しでは測れない音楽が来る。

乗れない、心が動かず、リアルに分からない。

困る。

だから、

「これはダサい」

と評価してしまう。

そうすれば、


自分の物差しを変更しない


で済みます。

たぶんこれは、

音楽だけの話ではありません。

知らないものを理解しようとするより、

「くだらない」

と言ってしまう方が圧倒的に楽です。

そして僕は長い間、

音楽をたくさん知って見識を深めていたと思っていたことが、実は

自分の物差しに合う音楽だけを選別していた

のかもしれません。



人それぞれの「Big in my life」

ここまで考えて、

なぜ「Big in Japan」という言葉が何十年も僕の頭から離れなかったのか、

少し分かった気がします。

世界中で評価されている音楽なのに、

自分には全然響かない。

逆に、

ほとんど誰も知らない曲なのに、

自分にとっては何十年経っても特別な曲だったりする。

音楽の価値は世界共通ではありません。

国によって違う。時代によって違う。世代によって違う。

そして当然、

人によって違う。


世界ではそこまで売れていない。

でも日本では異様なくらい愛されている。

それを「Big in Japan」と呼ぶのなら、

僕ら一人ひとりにも、

同じような音楽があるんじゃないでしょうか。

誰かにとっては凡庸な曲。ダサい曲。酷評されたアルバム。

再生回数も大したことがない。

でも、自分にとっては、

人生のある時期と完全に結びついている。

イントロを聴いただけで、その頃の景色が戻ってくる。

一緒にいた人を思い出す。

そのときの空気や、場合によっては匂いまで蘇ってくる。

そんな曲があります。

世界ではBigじゃないかもしれない。

日本でもBigじゃないかもしれない。

でも、


僕の人生の中では、とてつもなくBigな音楽です。



それなら、

「Big in Japan」ではなく、

僕にとっては、


Big in My Life

なのかもしれません。



最後に決めるのは、自分の耳でいい

昔の僕は、

「この音楽を好きな自分は正しい」

という証拠を、

ずっと自分の外側に探していたんだと思います。

何枚売れた。

チャート何位。

雑誌で何点。

誰が影響を受けた。

誰が褒めていた。

もちろん今でも、

そういうウンチクは大好きです。

たぶん厨二病も治っていません。

でも一つだけ、

昔とは少し変わりました。

最後の最後は、


「俺はこの曲が好きなんよねぇ。」


でいい。

自分の耳が「良い」と言ったなら、

それでいい。

今はまだ好きじゃない音楽も、何度も聴いたり、演奏したり、

人生のどこかで偶然出会い直したりすることで、

いつか突然、


Big in My Life


になるかもしれないということです。

だから最近は、昔ほど簡単に、

「この音楽、分からん」

で終わらせないようにしています。

「今の俺には、まだ分からん」

くらいにしておく。その方が、

その「まだ」を残しておけば、これから好きになれる音楽が増えるかもしれないから。


……とはいえ、

相変わらず好き嫌いは激しいんですけどね。

そして厨二病も、

たぶん一生治りません(笑)。


あなたの「Big in My Life」は何ですか?

バンドでも、曲でも。よかったら教えてください。


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