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ブスが大人になったよ

長い間、鏡を見られなかった。

今では考えられないが、中学生のころは、担任兼顧問から「髪を長くするな。髪が長いと弱く見える」と言われ、二年半、まったく似合っていないショートヘアにさせられていた。その髪型にすると、両サイドの毛がくるんと外ハネになり、またその顔が兄にそっくりで、毎朝うんざりするのだ。

呼ばれたくなかった名前が、誰しもひとつくらいあるだろう。
本来の名前よりも、誰かにつけられたあだ名のほうが先に定着してしまう。いつの間にか、靴の裏に貼りついたガムのように。

肌が浅黒いからという、たったそれだけで「海苔」と呼ばれていた同級生がいた。にかっと笑うおんなのこだった。わたしもみんなと同じように呼んだ。
わたしの場合は、クラスメイトからは顔が外国人みたいだからという安直な理由で、そのとき流行りのアイドルの名前をもじって「ダニエル」とつけられた。塾では、眼鏡をかけていてハリー・ポッターに似ているからと、ハリーだ。

なぜ、子どもという生き物は、悪戯に呼び名をつけるのか。
子どもだけではない。見た目を揶揄する言葉は、簡単に膨張していく。そこでは、本名は意味を持たない。切り取られた一瞬が、見た目が、「名前」になる世界だ。

名前を与えられるたびに、分裂していった。
他の人たちは、少なくとも外国人の名で呼ばれない。その事実が、さらに自分の顔を奇異なものにした。

誰がどう好き勝手呼んでもいいけれど、わたしは断固として振り向かないと決めた。

あるとき、母が嘆いた。

ブスだなんて、今まで一度も言ったことないのに、あなたは、自分のことブスだと思い込んでいる」

気の利いた言葉ひとつも言えない母に苛立った。

「ブスと言っていなくても、綺麗とか可愛いなんて、一度も言ってくれたことないくせに。そのせいなんじゃないの」

実に生意気な娘である。
言われなかった言葉は、なかったことになる。それがそのまま自分の基準になってしまった。
あのとき、わたしは嘘でも「うちの子がいちばん可愛い」と言われたかった。

学生の時間は長い。吹奏楽部の子たちのおさげ髪と廊下ですれ違えば、なんで足が速いわけでもないのに陸上部なんか選んじゃったんだろうと後悔したし、青白い蛍光灯の下で、わたしの顔だけが浮いて見えた。
わたしは、だんだん自分の顔を忘れ、顔の動かし方も忘れていた。

ぶつくさ言うわたしの話をひとひきり聞いた母は、涼しい顔で「大人になったら、そんなのどうでも良くなるよ」と言った。

部活を引退し、そのまま髪を切らずにいたら、中学を卒業するころには肩甲骨あたりまでに伸びていた。
もう、わたしを外国人の名で呼ぶ人はいなかった。好き勝手呼んだ人は、呆気なく呼び名を忘れ、もうひとりは塾に行かなくなったからわからない。
あの名前も、不快感も、劣等感も、わたしだけが覚えている。

鏡を見られるようになったのは、高校一年生の秋ごろだ。
夏休みのあいだに、母にコンタクトレンズをねだり、どうにか眼鏡を脱却せんとした。実際は、信じられないくらいドライアイで目薬が手放せず、週に数回程度しかつけられなかったが。

コンタクトレンズをはめるには、必然的に鏡を見なくてはならない。
わたしの目は、コンタクトレンズを入れるのに丁度いい大きさだった。瞼を上下にかっぴらくことなくレンズは入るし、幼いころから視力が悪く、目つきの悪い黒目がちな目は、カラーコンタクトにすると和らいだ。
眼鏡フレームの外にあった霞みが、ようやく消えた。

見えるようになったのは、世界だけではなかった。

鏡に映る自分を視る。
わたしの顔って、そんなに醜いだろうか。アイシャドウを塗る瞼は十分にあるし、左の口角は下がっていて左右が非対称だけれど、血色が悪いわけではない。
何がそんなに不満なのか。

「ほんと色気だけ、ないよね」

化粧を覚えて、少し鏡を見るのがすきになったころ、友人が放った一言にも、へらへらしていたと思う。なのに、首にねじ込まれたボルトみたいに、その一言だけが妙に外れない。

誰かが思い描く「可愛さ」が、わたしには馴染まない。
写真も大嫌いだ。みんな自分の得意な角度を持っているのに、わたしだけ口角の位置が決まらない。目線だけでもしっかり合わせようと思うと、睨みを効かせてしまう。見慣れた笑顔のなかで、自分だけがブスの役を割り当てられているようだった。
見返すこともなく、銀色のトタン缶にぶち込み、押し入れに封印した。
声だってそうだ。普通に話しているつもりでも、なぜかぶっきらぼうに響いてしまう。

煌びやかな『仮想可愛い』が、いつだってわたしにのしかかる。そうして、大人になった。

ところで、ブスってなんだ。
ブスなのに、ブスを知らないまま大人になってしまった。

ブスの語源は、トリカブトの毒(附子)だという。毒で顔の神経が麻痺し、無表情になる様を「醜い」としたらしい。
動かぬ顔に、人は名前を与える。

そうだ。わたしは、どんな名前で呼ばれても、顔を動かさなかった。反応したら、傷ついたと認めてしまうようで。

また、中学生のころを思い出す。
忘れ物に、やたらとうるさい数学の女教師がいた。肩につくスレスレのボブヘアーで、プードルみたいにぐりんぐりんにパーマをかけている。そのカールがきちんと出るようにヘアジェルを使っているんだろう、いつも髪が濡れているように見える。廊下はいつも小走り。そのたび、髪の毛はふわんふわんしていた。
それなのに、あの日わたしは教科書を忘れてしまった。授業が終わったあと、ひとり教壇の前に立たされガミガミ叱られた。教師の濡れ髪のようなカールが揺れるのを、ぼおっと見ていた。
ようやく「もういいわよ」と言われ、しめしめ、とにやけてしまった。まずいと思ったときにはもう、教師の目がわたしのソレを捉えていた。仕方がない。にへら、と笑った。そうして先生の口元もゆるんだ。

「あなた、笑顔が素敵ね」

その瞬間、たしかにブスじゃなかった。

わたしのブスは、ずっと夢遊していた。母が言うように、誰かに直接言われたわけでもないのに。

ブスは、わたしが他人の目を継ぎ接ぎして生み出した、フランケンシュタインだ。鏡を見るたび、「ブス、ブス」と鳴く。
名付けたのはわたしで、縫い合わせたのも、わたしだ。

可愛い人がすきだ。可愛いものもすきだ。
でも、わたしは誰かの『可愛い』になれなくていい。だからって、ブスじゃなくてもいい。わたしが見ていたのは、わたしだけがいない世界。

ブスが大人になったよ。

よだれをだらりと垂らし、古傷を舐めるのはやめだ。
わたしはもう「ブス」を捨てる。

笑え。


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