魔性のおひめさま
私は子どもの頃、実母に「魔性の女」というあだ名をつけられていた。
実際、公園のベンチに座る赤の他人にちょっかいをかけては、物陰に隠れて微笑みかけるという小悪魔的な行動を頻繁にしていたらしい。
色あせた記憶をたどれば、たしかにそんなことをしていたかもしれない。あまりにも純粋過ぎた私は、周りから浴びてきた「かわいい」という発言をそのまま受け取り、子どもながらに、自分がかわいという自負があったのだ。
そして、どういう仕草や言動をすれば、そのかわいさがより引き立つかを考え、それを無邪気かつ愚直に実行し、魔力を高めていった。
自分のことながら恐ろしい子。
天然や素直といえば聞こえばいいが、そんな性格は虎の穴のごとき女社会では通用しない。「出る杭は打たれる」とはよくいったもので、小学校高学年くらいからは、これでもかと打たれに打たれまくり、今となっては、そんな魔性の魅力は持ち合わせず、ごくごく普通の女となってしまった。
私の娘は、どうやら幼い頃の私が持っていた「魔性の女」の能力を受け継いだらしい。
現在、長期入院をしている2歳の長女は、私譲りの社交性を余すことなく発揮している。
誰彼かまわず愛想を出血大サービスしている長女は、病棟でいつしか「ひめ」と呼ばれるようになった。
きっと長女も、たくさんの人に「かわいい」と言われ続け、どういうことをすればかわいいと思われるのかを経験として分かっているのだと思う。
一度褒められたよそ行きのワンピースを、なんでもない日に着て病室の外に出たがったり、看護師さんに声をかけられたら両手を広げて抱っこをせがんだり、魔性の笑みでお医者さんたちを虜にしてはちょっかいをかけたりする。
そんな姿を見ていると、まるで、実母から聞かされたかつての自分の姿を見ているかのような気分になり、微笑ましいのと同時に心配でもある。
あまりに素直すぎる言動は、ときに嫌味や自慢、目立ちたがりとして捉えられることもあるからだ。特に、学校という閉鎖された村のような環境に囲われた女子たちというのは、ときに魔女狩りのごとく異端者を追い詰め、排除する。
かつて私が経験したように。
そんなとき、同調や謙遜は己を守る鎧や盾となってくれる。殺伐とした女社会を生き抜くには必須アイテムだ。
それらは同時に、個性を殺す毒にもなりうるけれど。
ああ、愛しの我がひめよ。どうかこのまま、その魔力を失わずに育っておくれ。あなたが魔女狩りの私刑のごとくいじめられないか心配だけど、きっと大丈夫。
出る杭は打たれるけれど、出過ぎた杭は打たれないとも言うからね。
どうか今はただ、その魔力を存分に発揮しておくれ。
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いつも素敵な企画ありがとうございます✨
