君の太ももを食べたい
丸い乳房に吸いつく姿は、まるで肉まんを頬張っているかのようだ。
生後2ヶ月の次女に授乳をしながら、そんなことを思う。そのくらい美味しそうにもぐもぐしているから、次女を肉まんのCMに起用すれば、売上が向上すること間違いなしだろう。
最初は生ビールのごとく喉を鳴らしながら吸うものの、次第にまぶたが閉じていき、終わる頃には食後のコーヒーのごとく、飲んではまどろんでを繰り返す。
口から乳房を離すと、「まだ飲んでいるんだけど!?」と言わんばかりに怒るときがある。ティータイムの途中で店員さんが勝手にカップをさげようものなら、私も腹が立つだろうから、次女の気持ちもよくわかる。
しかし、放っておくといつまでも吸い続けるため、頃合いを見て切り上げる。乳房から離したあともしばらく動かし続ける口は、まるでウサギの口のように愛らしい。
飲み終わったあとはゲップをさせる。
この世でゲップを許されている唯一の存在が、赤ちゃんなのかもしれない。
ゲップは下品な行為の代表格であり、大人がやろうものなら、白い目で見られるだろう。
にもかかわらず、赤ちゃんにはあえてゲップを出させる。食事を終えたときにナイフとフォークをそろえるように、赤ちゃんにとってはゲップをすることが食後のマナーなのだ。
母乳生産工場として生きている私にとって、赤ちゃんのゲップはご褒美のようなものだ。「あー、おいしかったー、ゲフ」と都合よく脳内変換して生産意欲を高めている。
天使の見た目をしていながら、その音はまるで中年のおじさんのように一丁前で、そのギャップがたまらない。
口から出損ねた空気は、必然的に肛門から放出される。
その音はときに、空気だけでなく中身を伴う。つまりは便だ。音と匂いから確信を持ってオムツを確認しても、ただのオナラのこともある。とんだ不発弾だ。見てみるまで分からないというのが、ロシアンルーレットを彷彿とさせる。
中身の有無にかかわらず、必ずといっていいほどポーカーフェイスを決め込むのはなぜなのだろう。派手にやらかされても、嘘偽りのない澄んだ瞳で見つめられると、うんち漏れさえ許せてしまう。
たまに寝ている時にも放屁するのだけど、自分のオナラの音に驚いて泣く姿は、自作自演感が否めず、思わず突っ込みを入れたくなる。そんなところも愛おしい。
授乳を終えてゲップをさせ、寝かしつけると、背中センサーの主電源が切れていることを祈りながら、なんとか布団に置く。
両手をあげ、足をM字に広げて、ぽかんと口をあけながら眠る姿は、野生だったら食べられてしまうよと言いたくなるくらい無防備で、おいしそうだ。
生まれたての頃は、あんなに折れそうなほどか細い身体をしていたのに、今は見る影もないほど豊満な身体をしている。オムツも最初は、トランクスのようにブカブカだったのに、今ではボクサーパンツのようにピチピチだ。オムツからはみ出た足には、シワができるくらいお肉がついていて、輪ゴムでもはめてあるんじゃないかと錯覚する。
そんな姿を眺めながら、しみじみ思う。
今の気持ちを表現するには、頬ずりや口づけだけでは足りない、と。
「目に入れても痛くない」「食べてしまいたいくらい可愛い」なんて言うけれど、どうやら愛おしい存在というものは、体内に取り込みたくなるらしい。
今ならその言葉の意味がよく分かる。
となると、この気持ちを表現する一番いい言葉はこれなんじゃなかろうか。
君の太ももを食べたい。
今回はこちらの企画に参加させていただきました☺️
いつも素敵な企画ありがとうございます🌼
