【BL小説】返事の要らない手紙ー第1章ー朝凪 誠Sideー
ー紫の書簡シリーズ1話目(朝凪 誠 /Makoto Asanagi Side)ー
◼Prologue
好きだったのに、返事をしなかった。
俺の『好き』を、沈黙で受け取った君の話。
____Makoto Asanagi 朝凪 誠
|第1章 藤の花の頃に
今年もまた、藤の花が咲いていた。窓の外は、少しだけ風が強くて、止んだばかりの昨日の長雨が運んできた名残の透明な雫が、屋根の端に一列に並んで落ちそうなくらい、外で風に揺らされていた。
まだ目覚ましが鳴る前、薄ぼんやりとした頭のままで、ベッドの上の毛布をどけた。誘うような甘い香りが俺の鼻先をかすめていった。何処からだろうと思って、そっと部屋の窓の内鍵を開けてひんやりとした古い窓枠の向こうを覗いてみる。塀の向こうの庭木に、深い紫色の房がさらさらと雨粒を纏いながら静かに揺れているのが見えた。
毎年この季節になると、塀のむこうに縦横無尽に蔦っていた枝木は次々と翡翠色の葉房を幾本も真下に伸ばしてゆく。そして見事なアメジスト色の花房を何十本としどけなく垂らしているのだ。慈雨の檻から解き放たれ、香気に誘われた、お腹の空いた熊蜂が一匹飛び回っている。離れがたそうに蠱惑的な紫色の花弁の奥の蜜を吸おうと、名残惜しげに何遍も体を花房の中に潜らせていた。
俺はぎゅっと唇を噛んだ。
たったそれだけで、藤守 綴流のことを思い出してしまったから。
藤守に、あの藤の花の写真を送ったことがあった。なんでもない、通勤途中の風景だったのに、あのときの返信は、今でも覚えている。
「会っていないときも、僕のことを思い出してくれるのがうれしい」
____あの言葉、ずっと胸に残ってた。
たった一行だった。
でも、あれを見たとき…………なんでか液晶が妙に光ったように感じて眩しくなって、スマホをそっと机に伏せて、コーヒーが冷めるまでずっと手が震えて動けなかった。
あの時、俺の中で何かが始まった。いや、本当はもっと前からだったのかもしれない。
ただ、あの返信がきっかけで、俺がようやく“気づいてしまった”だけだった。
気づいてからはもう全部が怖かった。
気づいた瞬間にその気持ちは、
「言ってはいけないこと」
に変わってしまった。
俺は自然と浮かび上がろうとする恋心を必死に否定した。
年齢とか、立場とか、“恋にならない理由”を自分に積み上げて、それでもなぜか心の奥では、
「こんな気持ち、無かったことにできるはずないだろ」
って、 ずっと叫んでた。
そして今日、また、藤の花が咲いていた。
あの頃と同じ紫の光を纏って。
同じ匂いの風は甘くて。
優しい雨粒のアクセサリーまで纏って。
君を思い出さずにはいられなかった。
でも、____もう戻れないって分かってる。だから、こうして迷いながら手紙を書いてしまっている。
これは藤守から返事を受け取るためのものじゃない。
____これは、
あの頃の自分に答えるための手紙だ。
今年の藤は少し濃い色をしていた。
その色はたぶん今も、君の瞳に映ってるんだろう。
それでも、今日の花弁を揺らした初夏の風は、静かに今、俺たちの間を繋いでくれる波紋と揺らぎになってくれる。そんな、気がしたんだ。

これは、まだ返事のない物語の始まり。
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