ねばねばの手、縫われた山々 台北版: 舞台という形をとった、多層的な「和解」の時間
9/12の夜、日本のダンサー松本奈々子さんと台湾のタイヤル族にルーツを持つアーティストジワス・ダホス(林安琪)による舞台作品《黏著的手、縫合的山體(ねばねばの手、縫われた山々)》をTPAC(台北パフォーミング・アーツ・センター)で見て来た。
(ちなみに私がここで用いるジワス・ダホスというカナは、一昨年、屏東の原住民文化園区のスタッフに発音を録音してもらい、それを元にふったものだが、去年の日本の公演ではチワス・タホスとされていた。原住民の名前の発音とカナ化については、今後また日本の台湾原住民族研究者の方々の教えを乞いたいと思う)
松本さんとジワスはまず台湾で出会い、去年台北でのワークインプログレスの発表を経てから Kyoto Experiment でこの作品を発表し、さらにこの台北バージョンの上演となったそうだ。京都バージョンと台北バージョンの中身は随分と変化したらしい。(元々セリフは英語で非常に少なく、芋は京都の芋を使い、食べることもなかったとか)
今回の台北の舞台は、まずジワスによるモノローグの、会場のTPACが位置する士林が、ケタガラン族の伝統領域であり、彼らの言葉で、ここは、温泉のたくさんあるところという意味の、Pattsiran という名前で呼ばれる、という説明から始まった。
本当に全然知らなくてごめん、である。10年以上ほぼ毎日、車で前を通りすぎているその場所の、本来の名前さえ知らないで暮らして来たことに衝撃を受ける。
少し話は逸れるが、ジワスは中学生の頃に家族でカナダに移民して、バンクーバーにあるサイモン・フレーザー大学のアートコースを卒業している。(その後彼女は台北で大学院に行っているが、その話はまた今度)
カナダではここのところ、主にヨーロッパ系の住民 (settlers) と、ファースト・ネーションなど先住民の人々との様々な形での「和解」(reconciliation)が進んでいる。先住民の暮らしと文化を守るための政策は、基本ボトムアップ、民間主導で進められてきたらしい。そうすることで、市民全体の意識を変え、また政権交代によってドラスティックに方針が変わることを防いでいるのだそうだ。
私の家族はカナダと縁があって、この夏9年ぶりにバンクーバーへ行った際、下の妹の30年前のホストマザーにまた世話になった。もう70歳を超える彼女(スコットランド系カナダ人)にとっても、ファースト・ネーションの人々との和解は、非常に大きなテーマであるようで、時折涙ぐみながら、彼女が住んでいる地域のファースト・ネーションの歴史と現在について教えてくれた。
彼女はフットボールの試合を見るのが好きなのだが、毎回必ず、この場所は元々ファースト・ネーションの言葉でこう呼ばれています、私たちが今日ここでプレイ出来ることを感謝します、という挨拶から、試合が始まるらしい。
形式だけじゃないのと疑う人もいるかもしれないが、バンクーバーの街中のあちこちには本当にたくさんファースト・ネーションについての掲示があり、初めてカナダを訪れた90年初頭とは比べものにならない、社会全体の意識の変化があるように思った。ファースト・ネーションの子どもたちが通わされていた寄宿学校での虐待死の痕跡など、辛い歴史に(セトラー側も共に)向き合ってきたからこその変化で、私もカナダの人々から学びたい、と思い、今、バンクーバーで買って来たこの本を読んでいる。

この本に出会って気がついたことがある。私は台湾原住民にとっては、one of the recent settlers (近年入植してきた一人) なのだということだ。しかも、帝国日本による理蕃政策によって奪われた彼らの伝統文化や暮らしについて、私の属する日本国の政府は、一体どんな補償をしてきたというのだろうか。蔡英文は総統として原住民に謝罪したけれど、日本は日本で、台湾の原住民族と「和解」を進めるべきなのではないだろうか。
前置きが長くなったが、そんなことを最近考えていたので、ジワスがPattsiranという地名について話した時、ああこれはもしかして「和解の舞台」なのではないか?と思ったのだ。
ジワスが探す、タイヤル族の言い伝えの女だけの村「テマハホイ」。松本さんが語る山姥。作品は、紙漉きの大きな水槽を中心に、タロイモ、記録の紙(あれは原住民の命運を決めた過去の公文書の数々なのだろうかと想像)、上から紐で吊り下げられた手袋や石(9/21追記: ジワスによるとテマハホイの妊娠の石と、和解の儀式である埋石の二つの意味を持たせたそう)、そしてクスノキの苗が置かれた舞台では、二人のモノローグ(主に日本語とタイヤル語、時々英語)と字幕の投影、そしてそれぞれの行う、ちょっと不思議な行為の数々が、一定のスピードで進められて行く。
言いたいことのために、内容を積み上げていくというよりは、それぞれの行為がそれぞれの役割をまっとうするような、強い生命力を持つような公演だったと思う。松本さんの足のへりが今にも攣りそうな形で地面に触れるとき、磨られたタロイモが道筋を示すとき、ジワスが紙漉きの水でおっぱいを洗うとき、紙束を背負って歩くとき、二人がようやく一緒になって、〔自分たちの新しい物語あるいは法律?を書くための?〕紙を漉くとき。行為はいつもベトベトねばねばの中で行われ、それでも迷いなく、進んで行くのだった。
きっとクリステヴァの「おぞましいもの」などを使って理論化もできるのかなとも思うが、私にとっては、そこにあった、七転八倒しながらも進められる「和解」のプロセスの方が、心に深く刺さった。
「和解」の方法にはいろいろあると思う。またカナダの話に戻るが、2022年と2024年の2回、バンクーバーアイランドの近くにあるラスキティ島(Xwe’etay/ Lasqueti Island)という人口400人程度の小さな島で行われた和解の儀式が、未来に私たちが進めていく「和解」にとっての良い指南になる気がしている。
ラスキティ島の行政の仕事を長いことやっている島民の友人が教えてくれたのだけど、まず2022年には、儀式に参加したセトラーたち(白人たち)は、五つのファースト・ネーションの人々が行った儀式(15メートルの長さがある、食べ物を乗せたテーブルを焼いたそう)を見ることは許されなかったらしい。でも2024年の2回目には見ることが出来たし、儀式の中でセトラーの先祖に対しても、祈りが捧げられたのだそうだ。
それを聞いて、素直に素晴らしいなと思った。ファースト・ネーションの人々の歩み寄りと赦し無しには、この地域での「和解」は進まないからだ。だけど、何百年にもわたる搾取と文化の破壊を前にして、それが出来る彼らが、人間として、本当に神々しい。
しかし、そこに至るまでには、ラスキティ在住のセトラーとして当事者でもある、サイモン・フレーザー大学考古学教授のデイナさん(今回は残念ながら会えなかった)の数十年にわたる構想と、数年にわたるこの地での発掘という背景があったことを、忘れてはいけない。表面的な好意だけでこの「和解」が進んだ訳では、決してないということだ。
今回の作品では、松本さんがタイヤルの人々の痛みを引き受けつつ、自分の暮らす日本の山姥について表現することで、女性たちが共通して持っている痛みや苦しみにも目を向け、多層性を持たせていた。自らのセクシュアリティの表現を絡ませるジワスの表現には、決して一枚岩ではない歴史や伝統文化、どのようにそんな状況と折り合っていくのかも含めた、複雑な「和解」への意志を感じた。それは、個としての自分と民族の歴史をしっかり見つめた後にしか辿り着けない境地だったろう。
2人が、共同作業の前に、モノローグを含む孤独な作業を繰り返したことは、「和解」のための物理的・心理的場所を準備するための必然的な作業を象徴していたのだろうし、それは、ねばねばの要素無しには成し遂げられなかっただろう。ねばねばは、 まとわりつく困ったものでありながら、存在の証のような役割を担っていたのかもしれないとも思う。
本当に不思議にパワフルな舞台だったし、2人のおかげで、日本から来たセトラーとしての私が、少しだけ「和解」に近づけた、大事な時間でもあった。
💎公演情報
2025臺北藝術節:松本奈奈子✕林安琪 (Ciwas Tahos)《黏著的手、縫合的山體》2025 TAF: Sticky Hands, Stitched Mountains
会場: 台北パフォーミングアーツセンター11階スタジオ1
*9/12 19:30-
*9/13 14:30-
*9/14 14:30-
9/14に、デイナさんについて加筆しました。ラスキティ島の「和解」についてはこの記事が詳しい。https://engage.gov.bc.ca/bcparksblog/2023/09/01/community-led-reconciliation-in-action-at-squitty-bay-park/


12/02 追記:
自分としては「台湾原住民」という呼称を使うことは、こちらの法律で定められた正式名称なので非常に自然なのだけど、カナダの「先住民」という記述との不一致に「??」と思われる方もいるだろうということに、今更ながら気がついた。日本語では気をつける必要がありました。反省。とりあえずウィキのページをシェアしておきます。
26/06/15 追記:
台湾のパフォーマンス・アーティストでキュレーターのリヴァー・リンの2年前のインタビューで、この作品のKyoto Experimentでの公演について触れられていたのを発見。とても面白かった。興味ある方はこちらも読んでみてください。
