『陳澄波を探して』 からみえる現代台湾
この春、出版から2年後にしてようやく『陳澄波を探して』を読んだ。栖来ひかりさんの訳はとても温かく生き生きとしていて、内容は今の台湾社会の意識のあり方をとてもよく表していると思った。
感想は最後に書かせてもらうとして、まずは、この小説を読みながら思い出した、個人的な陳澄波との出会いや、日本での展示について振り返ってみたい。ちょっとジグザグ長めなnoteになってしまったけれど、よろしければお付き合いください。
台湾近代美術の巨匠 陳澄波
陳澄波(ちんとうは/チェン・チェンボー, 1895-1947)は、現在、台湾近代美術を代表する画家と認識されている。印象派的な筆遣いの、淡水や、出身の嘉義の風景画などで知られる。東京美術学校で学び、1926年には日本統治下の本島人(台湾出身者)として初めて、第7回帝展の絵画部門に入選している。ただ、小説にもあるように、二二八事件の犠牲者でもある彼の画業についての見直しが進んだのは、戒厳令が解除されてからのことだ。
わたしは台湾に来たはじめの数年間(2000年から数年間)は、台湾近代美術の勉強もしていたので、陳澄波の絵はとても身近な存在だった。しばらく籍を置いた国立台北芸術大学の美術史研究所(修士課程)にも、研究しているクラスメイトがいて、彼女に対する周囲の反応が「(台湾近代美術研究の)ど真ん中だね」的な感じだったことをよく覚えている。それなのに、そのほんの15年ほど前、この小説の舞台設定である1985年には、彼の名前を口にすることさえタブーとされていたことに、小説を読んで、改めて驚かされた。2001年当時のわたしは、戒厳令のことは頭では分かっていたものの、陳澄波がそこまでタブーだったとは知らなかったし、知識もだが実感が不足していた。そんな私の認識不足を、この小説は巧みに補ってくれたし、今更ながらなんという時代だったのだろうと思う。
日本での最初の展示 東アジアの油画展
日本で陳澄波の作品が初めてまとまった形で公開されたのは、おそらく1999年に静岡県立美術館から4館に巡回した「東アジア/絵画の近代ー油画の誕生とその展開」展だと思う。わたしも台湾に来る前の年に、最後の巡回先である福岡アジア美術館(と、翌年インターンしていた台北市立美術館での台湾巡回展)で見て、台湾近代美術を代表する、数々の素晴らしい作品にとても心を打たれた。陳澄波の作品は《夏日街景》(1927)、《私の家庭》(1931) や《嘉義街景》(1934) が展示されていた。

台北市立美術館蔵
photo from Taipei Fine Arts Museum website

photo from Chen Cheng-po Cultural Foundation website
© 財團法人陳澄波文化基金會

photo from Chen Cheng-po Cultural Foundation website
© 財團法人陳澄波文化基金會
どの絵もとても魅力的で光や生命力に溢れ、広場や道を歩く人々といった、特徴的な要素が心に残る。室内を描いた家族の絵にも、右上に緑溢れる風景画が配置され、遠くへ道が続く構図は、穏やかな未来への希望を示しているかのようだ。小説を読んでいるときも、これら温かな3枚の絵が、幾度も瞼の裏に浮かんでは消えた。
ちょっと脱線〜劉錦堂の《台湾遺民圖》
ちなみに、わたし個人は、この東アジアの油画展からは特に劉錦堂(中国で改名した名前は王悅之, 1895-1937)の《台湾遺民圖》に惹かれ、その後2001年にこの絵をテーマに九州芸術学会で学会発表もさせてもらった。安定した構図、細やかな筆致の非常に力強い作品で、この小説にも登場する。
台中出身の劉は川端美術学校、東京美術学校で学んだ後、北京で活動し、かの地で客死している。この時代の台湾画家のアイデンティティを主題とした場合、避けては通れない画家だ。ちなみに上述の展覧会では中国画家として紹介されており(作品はどれも中国美術館所蔵)、現在に至るまで政治性が取り沙汰されることの多い画家だと思う。わたしも当時はそんな要素ばかりに目が行っていたし、いろんなことへの理解不足も手伝って、非常に心を掻き乱されたものだ。この話をし出すと長いし、研究もやめて長いのでこのくらいにしておくけれど、謎が多く非常に魅力的な絵であることは間違いない。そしてわたしは、この絵は故郷への愛に溢れていると思っている。

picture from 國家文化記憶庫
2014年 日本での三つの展示と、浅田彰によるレビュー
陳澄波の日本での展示は、2014年にラッシュを迎えている。ひとつは遺族の依頼を受けて東京藝術大学と台湾の師範大学が共同で行なっていた36点の作品の修復プロジェクトの完成を記念して行われた「台湾絵画の巨匠─陳澄波油彩画作品修復展」。残念ながら、こちらは見ることが出来なかった。
それから、福岡アジア美術館から府中市美術館、兵庫県立美術館へ巡回した「東京・ソウル・台北・長春ー官展にみる近代美術」展で、こちらは図録もマルチリンガル、各国の研究者やキュレーターが力を合わせて実現した素晴らしい展覧会だった。図録は第26回 國華展覧会図録賞(2014年度)を受賞している。(ただ、その後の東アジアの政治状況が関係しているのか、これ以降、同じテーマを発展させた展覧会は行われておらず、本当に残念)
三つ目は、東京国立近代美術館での「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」展。これは台湾のヤゲオ財団のコレクション展で、上の展覧会とは全く趣が違い、メインビジュアルの派手さに加え、キャプションや解説などにアート・マーケットでの値段が書いてあることが話題になり、当時ずいぶんと賛否両論を呼んだ。そして、この展覧会が京近美に巡回した時に、オンラインメディア『REAL KYOTO』に掲載された浅田彰によるレビューがこちら。
どうもかなり親しいらしい企画者(東近美学芸員)の保坂健二朗に対する苦言とか、ヤゲオ財団のオーナーでコレクターのピエール・チェンに対する一刀両断の成金認定も面白いが、(ただ、忖度するつもりも必要もないが、わたしはチェンについては一定の尊敬はしている)以下の指摘は、確かにそうだと思う。
反共政権に処刑された画家がアート・マーケットによって救済されたというのか。あるいは反共政権の犠牲者さえ投機のネタにしてしまうアート・マーケットの残酷さを強調しようというのか。それは観客が考えることだから事実だけを記すというのがキュレーターの逃げ口上かもしれないけれど、例の50億円の collector challenge ゲームなど展覧会全体の文脈の中で見ると、「オークションで作品が高額で売れたのはすごい」というメッセージだけが残ってしまうので、ここはやはりもう一歩立ち入った態度表明が必要だろう。
厳しいコメントに唸ると同時に、陳澄波の展示も日本初というわけではなかったのだし、せっかく台湾のコレクションを使っての展覧会なのだから、もう少し台湾近代美術の文脈に踏み込んだ紹介をして欲しかった、とわたしも今さらながら思う。
浅田によるレビューには、これ以外にも、長いながーい注の2に書かれた内容が、非常に大切な視点を提供している。この話はまた今度。

『陳澄波を探して』が伝える今の台湾
『陳澄波を探して』の話に戻ると、この小説は1985年という戒厳令解除直前の時代を生きる二人の台湾の若者が、陳の絵画について謎解きをするという体裁を取っているのだけれど、謎のひとつが、永田一脩の『プロレタリア絵画論』だ。
これは、上↑にも画像を載せた《私の家庭》という絵のなかに現れる本のタイトルで、ここにわざわざこの本の表紙を描き込んだ理由を主人公たちが考えるシーンがある。わたしが面白く感じたのは、この小説が、陳澄波の政治的(「左派」的)傾向の証拠のひとつとして挙げられるいっぽう、最終的には画家の画業の中心がヒューマニズムに繋げられていたところだ。そして陳が関心を寄せていたプロレタリア精神と、しばしば描いた広場を結びつけ、陳の作品には、庶民への愛が現れていたという結論が導き出されている。
また、《私の家庭》で、テーブルを囲む家族の服装(一番右の子どもが着ているのは台湾原住民の民族衣装)が民族共栄を象徴しているということも指摘される。これは前述の1999年の東アジアの油画展図録の、台北市立美術館のスタッフによる解説には全く出てこなかった視点で、小説中の会話とはいえ、おそらく実際の学説を参考にしているはずなので、研究が進んだというのはこういうことを言うのだなと感心するとともに、多民族共存を目指す今日的な台湾の価値観とぴったり合う解説だと感じた。
ではなぜ、「左派」的傾向を和らげる必要があるのだろう?
白色テロの時代には、ガチの共産主義者だけでなく、自由や平等を求める新しい思想に興味を持って勉強会に出たり、本を読んでみたりしていた人たちが密告に遭うなどして逮捕されたり、服役したり、さらには処刑されたりした。
そういった時代の名残や、対岸との関係もあって、台湾では今でも「左派」という言葉には、ちょっと微妙なニュアンスがあり、警戒されることさえあるように思っている。(わたしも台湾の大学院時代にクラスメイトに「左派」を名乗って、「え、中共??」とずいぶんビビられた)同性婚の法制化や人権意識、反核などのいわゆるリベラルな価値観は広く共有されていても、自分を「左派」と呼ぶ人はそれほど多くはない。それよりも、包摂的、インクルーシヴであれ、というのが、台湾の今の、特に多くの若い文化人たちが目指している価値観だと思う。
これは、前述のような過去の遺産でもあると同時に、世界中でポピュリズムが台頭し、分断が進む時代に、台湾ももちろん例外ではないからこその、包摂性への志向なのかもしれない。一番大切なことは、自由であること。民主主義を守ること。難しい舵取りを迫られているからこそ、台湾のアートも文学も、さまざまな方法を用いて、多様な価値観を伝えている。
陳澄波の、日本人でも中国人でも台湾人でもない「我々東洋人は」という言葉から、彼の越境的アイデンティティを読み取るくだりもある。彼が単一のアイデンティティを持たなかったことは、当時の東アジアの知識人のコスモポリタン的な傾向とも関連するだろうし、台湾、日本、中国と場所を変えて生活するなかで得たある種の特権でもあったかもしれない。けれども当時、植民地の差別的な構造の中で自己実現していった陳が、ある意味冷めた目で社会や政治を見ることが出来たからこその視点だと思うし、それは、現代の台湾の人々の、多様で複雑なアイデンティティともつながっているように思う。
未読の方は、おすすめです。
💎 書籍情報
『陳澄波』を探して 消された台湾画家の謎
柯宗明著、栖来ひかり訳
岩波書店 2024年初版発行
定価 3,000円+税
