狩りについて|ルンラン・フングル 《獲物を背負う女》
header photo: ルンラン・フングルによるドキュメンタリー映画《獲物を背負う女》(2023年)より。all photos on this page: courtesy of the artist.
最近、狩りについてよく考える。というのも、台湾原住民族のことについて語るとき、狩りという要素は外せないからだ。彼らによるアート作品や映像作品にも、時折、狩りのことや、獲物としての動物が登場する。ただちょっと言いにくいが、もう20年ほど基本ペスカタリアン(魚はいただくベジタリアン)として生きてきたわたしは、肉食のことを考えるのが、実はちょっと苦手だ。
信仰からの肉食の忌避ではないので、最近では、長年の野菜中心の生活+好きな甘いものとお酒で冷えやすくなった体を調節するために、ごくたまに鶏肉もいただくようになった。ただ、現代の畜産業のあり方や、動物の肉を食べ過ぎ、捨て過ぎる食文化には疑問があって、もう少し殺生の少ない世の中になったらいいなと思っていたりする。
その一方で、人間がほんらい雑食であること、太古の昔から狩りをしていたことは純然たる事実ということは理解していて、狩りや肉食が主たる文化である地域、民族のことはリスペクトしたいと思っている。ふだんは四つ足の動物はほぼ食さないわたしも、ジビエについては、縁があればいただくこともある。たとえば、わたしの父が長年通っている宮崎の銀鏡神楽では、奉納した猪でお粥を炊かれるのだが、一晩中行われた神楽の後、父の知り合いが振る舞ってくれたお粥を、一口だけお相伴に預かった。初めて味わう、山と土の味がした。
台湾原住民族のことに戻る。以前、新北市美術館でのイダス・ロシンとユヨ・ペリンの二人展のオープニングに行ったことを書いたが、このとき、たくさんの原住民アーティストに会うことが出来た。そのうちの一人が、タロコ族銅門村出身のドキュメンタリー作家、ルンラン・フングル(Rngrang Hungul、漢名は余欣蘭)。狩りをする女性をテーマにしたドキュメンタリーがあることは前から知っていて気になっていたので、お願いしてオンラインの限定公開で、作品を見せてもらった。
これ↓はYouTubeで公開されている、3年前に神脳科技文教基金会主催のドキュメンタリー映画賞の技術賞を獲った時のダイジェスト版。(ちなみにここから先は結構ネタバレがあるので、今後なんの前知識もなく作品を見てみたい方はご注意です)
獲物を背負う女 揹獵物的女人
Mapa ka kuyuh samat nii.(タロコ語タイトル)
The Woman Carrying the Prey
2023年 | 69分 | FHD | カラー |
タロコ語、台湾華語
監督:ルンラン・フングル Rngrang Hungul 余欣蘭
製作:ドンドン・ホーウェン Dondon Hounwn 東冬•侯溫
1時間余りの映像は、ルンランが母ヘイディや従弟、父らによる狩猟生活を撮ったものだ。サステイナブルな狩猟環境を守るために3−4年放置していた古い狩場での狩猟を再開する母と従弟。高齢のため現場には行けないが、慣れた手つきで罠を用意する父。
ヘイディたちによる非常に細やかな環境の観察や、罠を仕掛けるための淡々とした周到な準備、獣道の見定めと狩りのための小道の開拓、動物についての会話。そのどれもが、知恵と経験の言葉であり、行動であり、すべてにおいて無駄がない。

ヘイディが狩りを始めたのは、男にできるなら私にもできるはずだと思ったからだという。その、非常にあたりまえな思考と、思ったらスッと行動に移す姿のシンプルな美しさにも心を打たれる。
途中で、先祖が住んでいたという場所が現れる。苔むした石が積まれた場所を見つけたヘイディは、山小屋に帰った後の夫との会話のなかで、子どもたちに見せたかったからよかった、と喜ぶ。あれは総督府による強制移住前に先祖が住んでいた場所なのだろうか。今度ルンランに話を聞いてみたい。

映画の終盤近くで、一頭のキョン(小型のシカ)が罠にかかる。「怖くないよ、怖くない」と話しかけながらキョンを袋に入れるヘイディ。解体の場面は出てこないが、紅藜(原住民族が主食にしてきた雑穀の一種で、紅藜(コウレイ)、または台湾(レッド)キヌアと訳される)のお粥にして食べているシーンはある。鍋に入れた頭蓋骨はその後丁寧に洗われて、壁に掛けられる。
彼らがとても美味しそうに食べているので、調べてみたら、どうもキョンの肉は高級食材でもあるとのことで、臭みもなく美味しいらしい。なんと外来種として日本でも増えているのだとか。知らなかった。
わたしが映画の中で一番気になった、そして一番大切な要素だと思ったのは、途中で何度も出てくる、木の窪みの水たまりのシーンだ。ヘイディは、動物たちや、自分たちがいつか喉が渇いた時に飲めるように、通りかかるといつも底に溜まった落ち葉などを丁寧に取り除く。

これこそが、彼女の自然に対する態度なんだと思った。澄んだきれいな水を、自分が狩ることになるかもしれない動物のために用意する。その水を、喉が渇いた自分が飲むことも想定している。そこには、この場所で出会う、山に生かされている同士の対等な生命の関係がある。タロコの人々にとっての狩りの意味が、ここから見えてくる。
ちなみに、この映画には、タロコと言えば思い浮かぶ織物がまったく出てこない。もしかするとヘイディも、織り手でもあるのかもしれない。けれども、狩人として生きる彼女の、子どもの頃からの興味に沿った主体的な生き方は、タロコの女のステレオタイプを逃れており、ルンランはおそらく意識的に、画面から織物を除外しているのではないか、と思った。
あるいはそこには、彼らタロコ族が、強制移住のために、織物や狩り、山と一体化した暮らしを、まるまるすべて継承できるような境遇にはなかったことが、表れているのかもしれない。
ルンランは今、この映画の続編《埋蛋記(卵を埋める記録という意味)》を編集していて、10月には完成予定とのこと。とても楽しみだ。
また、あと一週間になってしまったけれど、この映画《獲物を背負う女》は、台中市立美術館(SANAAの設計による台中緑美図)で開催中の開館記念展で展示中でもある。行かれる方は、ぜひ見てみてください。
💎展覧会情報
『萬物的邀約 A Call of All Beings 』展
会場:台中市立美術館
会期:2025/12/13-2026/04/12
