《甘露水》に生命を吹き込む
「ドキュメンタリーらしくないドキュメンタリーだから、心の準備をしてね」
林曼麗先生はとても嬉しそうに、日本語でおっしゃった。もう二ヶ月以上経ってしまったが、5月14日木曜日の夜、彼女がプロジェクトのチーフ・プランナー/キュレーターを務め、二人の若手ドキュメンタリー作家が監督した《甘露水》(Daughter of Nectar)の特別上映に友人が誘ってくれて、ご挨拶した時のこと。
《甘露水》は、黃土水(こうどすい/ ホァン・トゥースゥイ)という彫刻家が遺した若い女性の大理石像のタイトルでもある。黃土水は台湾出身者として1920年に初めて、そしてその後何度も帝展に入選し、生き急ぐようにたくさんの傑作を遺して、35歳の若さで亡くなった。映画は、長いあいだ行方不明になっていたこの彫像の収められていた木箱が、曼麗先生や修復師の森純一さんの立ち合いのもとで開けられ、数十年ぶりに陽光の下に戻ってくるシーンから始まる。
曼麗先生は、台湾アート界の重鎮で、これまで台北市立美術館館長や故宮博物院の副院長や院長、国家文化芸術基金会の理事長などを務められてきた。東京大学で博士号を取られ、専門は美術教育。現在は国立台北教育大学の名誉教授、北師美術館の館長・総合プロデューサーを務められている。そんなすごい肩書きのオンパレードとは裏腹に、先生自身はとても気さくな方だ。
その日は上映の前に、曼麗先生と監督二人(林君昵さんと黃邦銓さん)の挨拶があり、それから何と、遠く日本から来られた黃土水のお孫さんとひ孫さんも、壇上に上がられた。

映画《甘露水》のFacebookページで、経緯が説明されている。
写真左がお孫さんで、黃土水が引き取って育てていた、早逝した兄の子(後に日本に帰化して幸田姓になった)の、そのまた息子さんとのこと。黃土水との関係を知ったのは数年前だという。写真右の、ひ孫である幸田頼子さんのエピソードがまた面白い。彼女は、数年前に会社を辞めてアーティストとして活動し出して初めて、自分の先祖に実は台湾を代表する彫刻家がいたことを知ったらしく、すごい運命だと思った。(リンク先の映像にインタビューもあるのでぜひ!)
さて、映画についてだが、ここから先読み進める方は、ごめんなさい、がっつりネタバレあります。(秋に日本で上映会があるそうなので、見る可能性のある方は、読まないでおくのも手かもです)
冒頭、東京藝大に通う若者たちのインタビューにかなり長く尺が取られていて、彫刻に取り組むということはどういうことか、ということがまず探究される。大きな木塊に向かう学生がたくさんいる工房の様子を見ながら、かつて沖縄県芸の彫刻科に見学に行った時、工房の外からすでに木のいい香りがしていたことを思い出す。今も昔も、日本の彫刻は、木で彫られることが最も多いようだ。その環境で、大理石に取り組むということはどういうことか、大理石はどんな石なのか、ということが、ここでのフォーカスのひとつになっている。
木も同じだが、石も、地球の自然が作り上げた物質で、それを彫るということは、やはり自然との対話なのだろうと感じる。その悠久の時間と向き合うことは、当時植民地化された故郷と宗主国の間で、苦しい思いを抱えながら生きていた彫刻家にとって、時代の枷から解き放たれる、つかの間の癒しの時間であったかもしれない。
(というか、そうあって欲しいのか。黄土水は極限まで自分を追い詰めるような仕事量で体を壊し、夭折しているのだけれど、せめてそんな時間を持っていたのなら、と願うのは、元宗主国側の人間としてのエゴかもしれないが)
それから、東京藝大の彫刻科のスタジオ奥にある道具用の鋳造工房の様子もすごい。神社のように紙垂(しで)がかかっている。聖なる場所ということか。当時日本では大理石で彫像を作る人がまだほとんどいなかったため、黄土水は、東京に滞在中のイタリア人彫刻家の元を訪れて道具をこっそり観察し、帰宅後急いで自作の鑿を打ったというエピソードが残っているが、もしかして、黄土水もあの場所で作ったのだろうか、と想像しながら見た。
非常に印象的だったのが、とある家族が、力を合わせて食事を準備するシーンだ。美味しそうないろんな料理が、みるみる出来上がる。彼らは、《甘露水》を長い間保管していた家族で、彼らの父、最初に台中駅裏に捨て置かれていた《甘露水》を家に運ばせた医師はもう亡くなっており、子どもたちは成人しておそらくそれぞれ家庭があり、時々集まるのであろう実家のダイニングルームで食事をしたり、茶を飲みながら話したりする。その描き方が面白く、一切顔は映し出されない。テーブルに湯気の上がるお茶だけが載っていて、人はおらず、でも会話だけが聴こえるシーンもある。そこでは、《甘露水》の思い出のみならず、子どもながらに経験した白色テロの時代の記憶が語られたりする。
彼らの顔は、映画の後半になって、《甘露水》の箱を開ける2度目のシーンでやっと登場する。医者一族だから裕福には違いないが、飾り気のない家族思いの素敵な人たちであることが、カメラ越しにすぐに分かる。ああ、こういう顔の人たちが、《甘露水》を守っていたのだなと、じーんとする。
また、映画のテクニックとして、《甘露水》が隠されていたことと、隠された彼らの顔が重ねられ、白色テロの時代に長きにわたるタブーがあったこと、それでもその中で命と生活は続き、大切なものが守られていたことが、暗示される。
映画の終盤、箱を開けると《甘露水》はなくなっていてみんなが慌てる、という謎シーンの後、高原にも似た、天国のような風景が現れる。そして《甘露水》のモデルの女性に導かれるように、黄土水が背中をこちらに向けて、草原の向こうへ歩いていく。その光景に被せるように、彼が1922年に日本語で発表した有名な文章「臺灣に生れて」を、台湾の有名喜劇俳優が台湾語で読む。当時は母語を奪われ、日本語で書くしかなかった黄土水に、言葉を取り戻す場面で、とても心に響く。(上の予告編にあるので、是非見てほしい)
監督の一人林君昵さんは、6歳まで日本で育っただけ(それ以降ずっと台湾で、大学は台湾の名門大学に行かれている)とは思えない、驚くほどの日本語力の持ち主だ。複数の言語を流暢に話すからこそ、母語の大切さをよく理解されているのだろう。ちなみに曼麗先生もよく台湾語を話される方だ。わたしは先生の館長時代に台北市美でインターンをしていたし(快く受け入れてくださったこと、今でも感謝している)、それ以降も、お仕事中に台湾語でお話しされている姿をよくお見かけした。
台湾では今でも(若い人は特に)仕事では華語を使うことが多く、公立に通っている子どもたちは学校で習いはするけれど、あまり流暢には喋れないことも多い。(ちなみにうちの子が通ったシュタイナー学校では、台湾語や客家語の歌は時々歌っていたけれど、台湾語のクラスはなくて残念だった)言葉とアイデンティティは密接に繋がっているし、この時代の台湾出身のエリートたちのリアルな気持ちは、やはり母語でないと伝わらないから、このシーンの台湾語はとても大切だと感じた。
ドキュメンタリー映画《甘露水》の台湾での公開は終わってしまったけれど、秋に日本での上映が予定されているという噂。詳細がわかったらお知らせします。
ちなみに黄土水の「臺灣に生れて」の中文訳は池田リリィ茜藍さんのお仕事とのこと。音楽を担当しているのは、澎湖に住むフランス人サウンド・アーティストの澎葉生(ヤニック・ドウビー)です。彼の作品のファンなので、嬉しかった。
森人の記事でも書いています↓。
💎作品情報
《甘露水》 (Daughter of Nectar)
台湾|2025|142min|黃邦銓、林君昵
✦ 第62回金馬賞ベスト・ドキュメンタリー賞、オリジナル・サウンドトラック賞(ノミネート) ✦ 2026 NY近代美術館ドキュメンタリー映画祭 (MoMA Doc Fortnight Festival) 入選
