【短編小説】花になりたい
ありきたりなセリフだよね。
「結衣は花のようだ」
そんなことを言ったって、どうせ「花」がどんなものか、知らないんでしょう?
小学生の頃のアサガオの観察とお花見程度でしか、気にして見たことさえ、ないんでしょう?
軽薄に、入社したての女の子に乗り換えたくせに。
発車音を自然に耳に入れながら、薄暗いホームを歩く。
駅にブルグミュラーの「すなおな心」
悪くない選曲だ。
2章節めの、ドラソファの「ド」。子どもも弾く曲なのに色っぽくて、喉元が熱くなる。
小柄な車掌が、駆け込み乗車を注意している。高い声を張り上げる姿にはとっくに慣れたけど、大変なことも多いんだろうか。
弟はピアノが上手で、ブルグミュラーが全曲弾けた。10曲目程度で嫌になってやめた私を、ママは「結衣は女の子なのに」と呆れた。
ピアノも、車掌も、性別なんて関係ない時代なのに、追いついていないことはたくさんある。
「花袋を持っていて酔っ払いに絡まれたよ。お前、オカマか、って」
三上くんは、オカマということばが既に禁止用語だよね、と笑う。
家の近くだし時間が余ったから、という理由だけで習い始めた華道教室に、同世代の男性がいたのに最初驚いた。
私も、ママのことを言えない偏見の持ち主だ、って、そのとき気づいた。
このクラスでは生徒は三上くんと、私だけ。三上くんは、老舗ホテルのホテルマンだ。
「いつもフロントに生花が飾ってあってさ、お客様に花の質問をよくされるんだ」
知識がもっと欲しいから、と、照れるように笑った。
最初は、襟足の中央が尖っているのが、可愛いと思った。
次に、長い首筋が目に入った。
それから、花を活けるときの、全てを見通すような眼。
「一輪一輪の個性を見極めてね」
彼は先生のアドバイスに従順だった。ホームズみたいに何事も見漏らすまいと、一輪をじっと見つめていた。
その真摯な目で私を見つめてくれたら、どんなにいいだろう。
「優しく触ってみて、感触を確かめて」
先生に言われて三上くんはカルミアの花びらを
長い2本の指でそっとつまみ、ゆっくりと指を動かしてから、意外と厚いね、と言った。
その花びらが、私、例えば私の、耳朶だったら。
そんな風に私に触れてくれたら。
華道をはじめて自分が如何に花のことを知らないか、知った。
教室でひとつ、知るたびに、都会育ちだった元カレの薄っぺらかったセリフを思い出す。
もっと知りたい。もっと上手に、綺麗に活けたい。この世界は、底のない沼だ。
「花に接していると魅力的になるらしいよ」
町の小料理屋さん、という感じのレストランで、三上くんはテーブルに飾られたスターチスを見つめて言った。
お稽古の後で一緒に夕食をとるのが、私たちの習慣だった。
三上くんはここでも花の観察を続けている。
「そうなの?薔薇は女性ホルモンを増やすとは、聞いたことあるけど」
「それなら俺、薔薇を選ぶのはやめようかな。女性らしくなると困る」
ようやくスターチスから目を離し、私を見て苦笑した。
お会計を済ませて出口に向かうと、カラン、と音をさせて、開けたドアから先に私を通す。
線みたいに細い三日月が光っているのを見つめながら、三上くんはさっきの話を続けた。
「華道ではさ、一輪、一輪を裸にしたみたいに観察して、それに最適な状態で活けようとするから、魅力なり、吸収するものは多いだろうね」
ホテルのフロントにぴったりの落ち着いた声で言われて、顔が赤くなったのが分かる。
「私、三上くんのフェロモンすごくて、気がおかしくなりそう」
下を向いたまま話した私が気になったのか、さっきより声が近くから聞こえる。
「どういう意味」
「なんか、正面にいなくてもお腹とか、腕とか、近くにいるだけで身体中が」
背を屈めて私の顔をのぞいてくる。
恥ずかしくて目が見れない。
全てを暴こうとする目は、もう分かっているのかもしれない。
「熱くって」
公園の横で歩みを止めた私の前に周り、両肩にあのカルミアを愛撫した手が触れたのが分かる。
肩が、やけどしてしまいそう。
「私、三上くんが活けてる花になりたい」
花の形容なんて馬鹿にしていたのに、それを自分が使うなんて。
言ってから恥ずかしくて、動けなくなってしまった。三上くんも、何も言わない。
怖い。
勇気を振り絞って顔を上げたら、急に目の前が暗くなって唇にあたたかいものが押しつけられた。
焦らすように攻めてくるそれが何だかわかる前に、足先から頭の先端まで内側から、優しいマグマみたいに熱くなって、両手を必死で回し、掴んだものがスーツの背広だと感触で分かる。
やがて、公園を照らす明かりとともに、声が私に落ちて来た。
甘くて、硬くて、意志のある声。
「とっくに花だよ」
完
(1,846字)
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