見出し画像

アナグラム1 ー警視・一条櫻子の事件簿ー 一章 今宵彼女の夢を見る①

あらすじ


大阪の曽根崎警察署に、新たに『特別心理犯罪課』が設立された。
四月。警視庁から赴任してきたのは、異例のスピード出世を遂げた女性警視・一条櫻子。

美貌と明晰な頭脳を持つ彼女は、洗脳、教唆犯罪、模倣犯――人の『心』を操る『異常犯罪』を専門に追う捜査官だった。
発端は、大阪の女性変死事件だった。そうして、女性の不審死が他にも見つかる。

やがて、一見無関係に見えた複数の事件は、ある一人の男へと繋がっていく。

『奇跡の犯罪者』と呼ばれる男――桐生蒼馬。

かつて櫻子の人生を破壊し、今なお彼女を過去へ縛りつける存在。
これは、心を操る史上最悪の犯罪者と、その呪縛から逃れられない女警視が挑む、異常心理犯罪サスペンスである。

『人間の心はどこまで壊れ、操られるのか』

【ご注意】
本作は2020年の大阪を舞台としておりますが、現実とは異なる架空の世界観を採用しており、新型コロナウイルス感染症は存在しない設定です。

作中に登場する人物、団体、事件、犯罪、およびその描写はすべてフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

イラスト:カリカリ様
背景:ひが様(https://www.pixiv.net/artworks/121177512


プロローグ


「たった一人の為に、ここまでやるんか……」

 大阪曽根崎そねざき警察署の室生むろう署長は飲み残していた珈琲を一息で喉に流して、ゆっくりと立ち上がった。
 彼は、改装されたばかりの部屋に置かれた真新しいソファに座っていたのだ。
 新品のこれに腰かけていたのは、この部屋のボスになる人物への、ささやかな嫌がらせのつもりだった。

「わざわざ新しい課を作ってまで、警視庁のエリートさんがうちへ来るんや? 本店で大人しくキャリア積むのがええと思うんやけどな」
 室生の正面にある窓際に立っていた市井いちい副署長は、手にしていた書類を眺めた。彼が手にしているのは、春の人事辞令書だ。
一条いちじょう櫻子さくらこ、二十五歳。京大出身で警視を拝命。異例のスピード出世の、女性エリートさんですな」
「バケモンやな」
 この部屋は『バケモン』と言われた、警視庁から来る年若い彼女の為だけの部屋だった。警視庁の刑事局長直々の命令だったため、慌てて空いていたこの部屋を改造した。
 机やソファなども、全て新調したのだ。

「特別心理犯罪課って、どんな仕事をするんですか?」

 曽根崎警察署に新しく作られたのは部屋だけではない。新しい『特別心理犯罪課』も、彼女の為に用意された。
「異常犯罪専門らしい」
「異常……ですか?」
 犯罪は、犯罪行為だけでも異常と言える。室生の曖昧な回答に、市井は怪訝そうな表情を浮かべた。
「洗脳や、殺人教唆、自殺教唆、大量殺人、通り魔……普通の人間が早々起こさない、変わった事件を取り扱うらしいわ。一条君の強い希望で、少人数で行動する課になるそうやな」
 呆れたような表情の室生は、空になったカップを市井に差し出す。市井はそのカップを受け取りながら、まだ怪訝そうな表情だった。ソファの前のテーブルに、静かにカップを置いた。
「私が把握しているのは……一条警視と、彼女と一緒に本店から来る警部補とうちの新人刑事。そんな三人で、凶悪事件を捜査できるものなのでしょうかねぇ?」 

 新しい部屋は三人の部屋としては広めで、来客用のスペースもある。彼女の役職から考えて、署長は自分の部屋以上の広さと調度品を用意した。少し苦い思いが、彼の胸にはあった。

「ま、一年か二年で本店に戻りはるやろ。俺らは、一条君が居はる間は彼女の機嫌取りして過ごしたらええ」
「結構な美人らしいですよ。広報的にも、彼女の出世は警察の印象良くするんとちゃいますか?」
「エリートで美人なんて、ドラマみたいやな。恵まれてはる人は、やっぱりちゃうなぁ」
 市井の言葉に室生は溜息と共に頭を掻いて、もう一度真新しくなった部屋を見渡した。

 彼はいわゆる叩き上げなので、定年までにこれ以上の出世は望めそうにない。新人とそう変わらないまだ二十五歳の女性が受ける待遇を、良くは思っていなかった。しかし彼の地位を考えれば、そんな不満をはっきりと口にすることは出来なかった。

「失礼します!」
 突然ドアがノックされ、聞き覚えのない男の声が聞こえた。室内の二人は、その声に振り返る。
「誰や?」
「明後日からこちらに配属になります、篠原しのはら大雅たいが巡査部長です!」
「入りなさい」
 特別心理犯罪課の一人だ。室生が入るよう声をかけると、若い男が部屋に入ってきて頭を下げた。
「部屋の準備で明日からこちらに来るように言われていましたので、今日は一先ず挨拶に参りました。どうぞよろしくお願いします」
 緊張しているのか大きな声の彼に少し笑みを漏らした市井は、手にしていた特別心理犯罪課の資料書類をめくる。

 篠原大雅。二十八歳。大阪中央区南署の道頓堀どうとんぼり交番からの、出世と異動だ。彼も室生や市井と同じくエリートではなく、平凡な警察官だ。
 これから本店から来る二人のエリートの世話をすることになる彼を、室生は僅かに哀れんだ。彼が正義感が強そうで、逞しい体躯の青年だったからかもしれない。
 ――自分にも、警察官という職業に夢や希望を抱いていた若い時期があった。

「署長の室生と、副署長の市井や。交番勤務とは勝手が違うとは思うが、頑張ってくれ。君には、期待してるよ」
「はい!」
 差し出された室生の手を握り返して、篠原はもう一度頭を下げた。

「分かってるわ、心配しないで。もう私もいい年よ? 無茶はしない」
 スマホに向かって、彼女は困ったような笑みを浮かべながら答えた。前下がりのボブカットの色味は、暗めのブラウン。気の強そうな大きな瞳と青味のある紅を引いた唇。細身の身体にフィットした、黒いスカートスーツ姿だった。

「久しぶりに故郷に帰るんだもの、楽しみの方が大きいわ――それに、ようやく会えるんだもの」
 片手に握られているワイングラスを揺らすと、グラスの中の赤い液体がゆらゆらと漂う。
「私は、この時を待っていたのよ」
 一条櫻子はそう言って電話を切ると、引っ越し作業を終えてガランとした部屋を振り返り瞳を閉じた。

 そう、ずっと待っていた。
 夢に見る程――『彼』を、自分の瞳にとらえる瞬間を。

 櫻子は、赤ワインが揺れるグラスをじっと見ていた。
 そして、そのワイングラスを壁に向かい思い切り叩きつけた。憎しみでも恨みでもなく。
 頬を紅潮させて、まるで恋をしている乙女のように。

 グラスは派手に割れて、中の赤ワインが辺りに飛び散った。まるで血のような雫が、壁を伝い落ちていく。

「ようやく会えるわね――桐生きりゅう蒼馬そうま
 瞳を開けた櫻子は、その赤い壁を見つめながら微笑んだ。
 愛しい人の名前を、囁くように。

 彼女はこの為に、幼少期から生きてきた。
 自分の人生の多くを犠牲にして――そしてようやく、今までの努力が報われる。

 彼女の戦いが、これから始まるのだ。

アナグラムー警視・一条櫻子の事件簿ー
一章:今宵彼女の夢を見る

アナグラムー警視・一条櫻子の事件簿ー
二章:文車妖妃の涙

アナグラムー警視・一条櫻子の事件簿ー
三章:キルケゴールの挫折

#創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #女主人公 #男女バディ #関西 #大阪 #警察小説 #心理ミステリー
#サスペンス

いいなと思ったら応援しよう!