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「もう話せない父に、いま伝えたいこと」──“恐れ”が“愛”に変わるまで

【実父との沈黙が教えてくれたこと】

〜恐れの奥にあった、愛のかたち〜


昨日の記事では、
「自己犠牲」という

思考の習慣について
書かせていただきました。


今日は少しだけ、
わたし自身の体験
通してお話ししたいと思います。


わたしの幼い頃の記憶を辿ると、
父との関係には
いつも“恐れ”
がありました。


幼少期、父が帰宅する時間になると、
胸がドキドキして、
リビングのテーブルの下に
隠れていた記憶があります。


母から聞いた
父との間に交わした結婚条件は、
「子どもや妻に暴力を振わないこと」
と語る母。

その約束のおかげか
父から暴力を振るわれたことは
一度もありません。

けれど、
怒鳴り声と、
"バンッ"とテーブルを叩く音


その響きは、
幼いわたしの胸の奥には

一瞬で家や木々を燃やす
“雷鳴”のように刻まれています。


いつも厳しく
大きな声で怒鳴る父に
わたしはいつも怯えていたように思います。

穏やかな母と父が、
言い争うような日もありました。
父が怒鳴り、
母が涙していた記憶が
蘇ります。

わたしが冗談で言ったことを
本気で怒られたこともあり、

そこから
いつも言葉に気を付け…
いつも父の機嫌を
うかがっていたような気がします。



中学生のある日、
ささいな事がきっかけで
父に怒鳴られてから

わたしは父と
口をきけなくなりました。


どこか反発したい気持ちと、
怖くて言葉にできない思いが
混ざり合っていたのだと思います。


その日から、
父と息子の間に沈黙が生まれ

必要な連絡も母を通して
やり取りするようになりました。


大人になってからも、
父との記憶や思い出は
ほぼありません。

沈黙ーー
会話のない親子の関係は
20年以上続きました。

今から5年以上前の事
父が病に倒れ
余命宣告を受けた時ーー



毎日、母と私は
病院へ看病へ行くようになり

病室での狭く長い時間が、
沈黙を溶かしてくれました。

ようやく再び
「コップ洗おうか。」
「新しい歯ブラシ買ってきたよ。」

そんな言葉を
少しずつ交わせるようになりました。


病室のベッドの上でも、
父は仕事の書類を広げていました。

弱った体でなお、
何かを守ろうとしているように見えました。


「どうして 仕事を続けるの?」


思い切って尋ねた
その答えが、
いまでも忘れられません。


「お世話になった取引先に、恩返ししたい」


その一言を聞いたとき、

わたしは初めて
それまで
家庭を顧みず働いているように
見えていた父の後姿…

その仕事一筋の姿勢の中で
“父の中の愛”を
感じたような気がしました。


それは、
やさしい言葉や温かな抱擁ではなくて——


“責任”という形をした、静かな愛。


父なりの誠実さだったように感じました。



父が亡くなった日のことを
いまも鮮明に覚えています。

葬儀のあと、
「厳しい父だった」と話すと、

姉が驚いた顔で
「え?うそ?そうだったかな」
と返してきました。


姉にとっての父は、
理解があり、優しい存在。


同じ家族なのに、
まるで違う父を見ていたことに
衝撃を受けました。


大人になって
関係を見直していく中で、
思い出したことがあります。


父は幼い頃に両親を亡くし、

兄弟に厳しく

育てられたという話。


「男は外で働き、家は妻が守るもの」

そんな価値観を信じて
生きてきた人だったように思います。


母に家のことを
任せきりだったのも、
父なりの責任感だったのでしょう。


そして、

姉には優しく、
ぼくには厳しかったのは、

“男だからこそ
 強く育ってほしい”

という思いが
あったのかもしれません。


「休日くらいは休みたい」

そんな小さな本音を
口にすることもできないまま、

ただ“働くこと”で
愛を表現していた父。


その言葉にはしない
不器用な生き方が、

今ではどこか愛おしく感じられるようになりました。


あの頃は怖かった父の姿

今になってようやく
ひとりの人間として
見えてきた気がします。


わたしは、
大人になって結婚し、
子どもが生まれてきてくれた後も

”愛”とは、よく分からないもの。
そんな価値観の中で生きていました。

誰にも言えない苦しみの中で
不安やおそれの中で生きていました。



わたしの中の“恐れ”は、
父という鏡を通して、

自分の中の“理解されたい願い”を
映していたのかもしれません。


次回は、
そんな気づきの中で
少しずつ変わっていった

「愛の受け取り方」についても
書いてみようと思います。



父を通して、

愛のかたちを見直すこと。

それは、

過去を赦すゆるすことではなく、
恐れの奥にあった“自分への思いやり”を取り戻す旅
なのかもしれません。


🌷 自分を“満たす”という選択


“与える人”ほど、
自分のことを後回しにしがちです。


でも、コップに水がなければ
誰にも分けてあげることはできません。


本当に優しい人ほど、
「自分が満たされていること」への
罪悪感を感じやすいのです。


けれど、愛もエネルギーも
“循環”してこそ広がります。


あなたがまず、
自分の心を満たす選択をするとき──


その波動が周りに伝わり、
自然と優しさが戻ってくるはず


それが、
“自分を大切にする人”が放つ
静かな強さ
ではないかと思うのです。


あなたにとって、
“恐れの奥にあった愛”とは
どんな形をしていますか?

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