ギザ(エジプト)の雑記|観光編|海外ひとり旅
エジプト・ギザでの2泊3日は、世界一周で訪れた13か国の中でもなかなかに刺激的な旅だった。
●前回の記事:ギザ(エジプト)の雑記|エジプトの洗礼編
今回、ピラミッドと大エジプト博物館の2か所に絞り、観光した際のメモを残しておく。
エジプトについて
エジプト文明は、紀元前3100年にナイル川流域で発生した。紀元前30年にローマ帝国により併合されるまでの3000年以上に渡り、王権・宗教・建築・芸術などが高度に発展した。
地理的には定期的に氾濫し肥沃な土壌を生むナイル川により安定的な農業が発達。また周辺の土地は砂漠などで囲われており、『豊かでありながら攻められにくい』という、文明が育つには好条件な環境であった。
しかし、アフリカ・アジア・地中海を結ぶハブであったことから、交易路や軍事遠征などの要所であり、常に周辺の国によって支配を試みられてきた。
ツタンカーメンやラムセス2世など、有名なファラオが居た『新王国時代(紀元前1567〜1085年)』には超大国であり、アフリカ~中東で最大勢力を誇る勢いがあったが、内政が弱ると周辺から攻められやすい運命にあった。ローマ帝国に攻められ、支配されることとなったのが紀元前30年だ。
古代エジプトの軍事力は非常に先進的なものであったが、現代でもアフリカ・アラブ世界で最強の軍事力を持っている。またアメリカ・イスラエルのイラン攻撃においても、パキスタンやトルコなどと共に調整役として絶妙に存在感を示している。
アラブでの中心的な国であり、アジアとヨーロッパの大動脈であるスエズ運河を保有する国でもあり、現代でも地政学的に大変重要な国なのである。
…ということをyoutubeのファスト教養動画などでさらりと学び入国した。

エジプトで感じたこと
この度の世界一周旅行で久しぶりに歴史を学び、エジプトで改めて感じたことも書いておこう。
昔の歴史は基本的に土地の奪い合いだ。昔の支配者は、獲得した領土・領地の範囲をどう定めていたのだろう。境界も曖昧だろうし、未知の場所も多かっただろうに。ここオレの場所!にどこまでの意味があったのだろうか、と思う。
また支配者の決定事項が市井の人々に伝わるまでに、どのようなプロセスがあったのかも気になる。
4月に帰国し自転車の交通ルールが変わっているのを見て、大昔は公布から施行まで大変だっただろうなとか、いや、丁寧な周知なんてしないのかな…など、細かい部分が気になったりする。
何が言いたいかというと、『エジプトはローマに支配された』の一文に隠された様々な営みが絶え間なくあったんだな、と思うだけでも、私が想像する『昔の人々の生活』にリアリティが付与されるのだ。
また、時代や場所によって価値観や社会規範は異なるという前提に基づくと、物事に対し絶対的な良し悪しのジャッジは出来ない、ということもエジプトで改めて感じた。すると、嘘つきぼったくりエジプト人も、何かの背景やポリシーがあるんだろうと解釈し許せてしまうのだ(まあ彼らは愛嬌があってなんだか憎めない、という側面もあるのだが)。
歴史を学ぶのは今を良く生きるためと言うが、確かにこの姿勢があれば、人生におけるストレスは減るだろうなと思う。
ギザのピラミッド、スフィンクス
約4500年前に建てられたギザの三大ピラミッドは何のために作られたか。
王の墓というのが定説だが、厳密には分かっていないそうだ。
古代エジプトには太陽神ラーやホルスなどの神がたくさんいる。
王(ファラオ)というのは、生きている時は神の化身であり、死後は死と復活の神オシリスになると考えられており、ピラミッドは王の魂がオシリスになるための場所として建設されたという説が有力だ。
ピラミッドは各地に存在するが、ギザにおいては、クフ王(おじいちゃん)が世界最大のピラミッドを作り、その後カフラー王(息子)はピラミッドに加えスフィンクスも造ったと言われている。メンカウラー王(孫)のピラミッドもある。一番小さいが精巧な作りだ。
ちなみに、クフ王の父であるスネフェル王が最初にピラミッドを建設した際には、土台の基礎がしっかりしておらず美しい四角錐にならなかった。クフ王はその問題点を技術的に改善した上で、美しい巨大ピラミッドを作ったそうだ。
しかし。一つ数トンの石を各地から運び、緻密に積み上げていくこの技術。アテネのパルテノン神殿の作りも驚いたが、ピラミッドはそのさらに2000年前だ。当時の王の絶対的な権威・権力の強大さをひしひしと感じた。
また、ピラミッドを作るための労働者たちには専門職(測量や石工など)と季節労働者(運搬作業など)が居て、しっかりと福利厚生もあり、立派な職業だったそうだ。そういう理性的な部分にも圧倒的な文明を感じる。
ピラミッドの内部には入らなかったが、その巨大さを感じるだけでも十分に来た甲斐があった。




大エジプト博物館
2025年11月にオープンしたばかりの『人類史上最大のエジプト考古学博物館』に行った。
チケット売り場に行くと、受付でオンラインオンリーと言われる。
スマホのUIクオリティが低いためなかなか手続きが進まず、30分かけてようやく購入出来たと思ったら、まさかの翌日予約になっていた(当日を選んだ記憶があるのだが、最終確認ページが無くチェック出来なかった)。
日時変更・払い戻し不可のため翌日出直しだ。なんだかいちいち非効率で、融通が利かない国だなあと感じてしまう。
2日目に再訪。そのまま空港へ行く予定だったので、持ってきたバックパックを無料のロッカーに預け入れ、無事入場できた。
この博物館は、建設運営に際し、JICA(国際協力機構)が842億円の円借款で協力したとあって、海外では珍しく展示品に日本語解説があり、日本語オーディオガイドもあった。
オーディオを借りて4時間ほどかけて回ったが、なにせ展示物の量が圧倒的で、全部見ることは出来なかった。
広い内部は展示方法が工夫されていて、時系列で並べるのではなく、ストーリー性を持たせた展示となっている。オーディオ解説も、よくある事実羅列だけでなく問いを意識したもので、時代と共にエジプトの政治、宗教、暮らし、人々がどう変化していたのかの繋がりが感じられる。
また何と言ってもツタンカーメン王の副葬品(約5000点)を完全展示しているエリアが凄かった。
ツタンカーメン以外の王の墓は、中にあるミイラや副葬品がほぼ盗掘されている。ツタンカーメン王は若くして亡くなり、墓も小さく目立たない場所にあったことから奇跡的に盗掘されず(形跡はあるが)、1922年に世紀の大発見をされたのだ。
在位が長いほど墓は大きくなると言うが、ツタンカーメンの在位はわずか10年ほど。それでもここまでの数の品が残されているということに、当時のエジプトの富と豊かさを感じる。










エジプトは、古代が終わった後も地中海世界の学問の中心であり、7世紀にアラブ軍によりイスラム化されてからはアラブ世界の中心であった。
16世紀からのオスマン帝国支配の後、19世紀に近代化し、一時イギリス支配もされていたが、現在も中東で強い存在感を持つ国であり続けているのだ。
正直、ピラミッド・スフィンクス・ミイラしかイメージが無い国だったが(それでも十分凄いのだが)、この国はイスラム・アラブ地域の雄だった。
最近ホルムズ海峡封鎖による影響が叫ばれており、極めて限定的な地域の問題で世界経済に影響を及ぼしうることを実感する。
万が一スエズ運河が封鎖されたら世界の物流が混乱する、そんな『急所』を持っている国でもあるエジプト。
もしまた行く機会があれば、王の墓がある古都ルクソールや地中海都市アレクサンドリアに足を伸ばし、カイロ市内で観光地化していない町や人に触れ、この国の特徴をもう少し深く捉えてみたいな、と思った。
(ギザは2泊3日でもうお腹いっぱい)
