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シントラ・ロカ岬(ポルトガル)の雑記|海外ひとり旅

 ポルトガルのリスボンから国鉄列車で40分ほど西に行くと、7~8世紀ごろにムーア人(キリスト教徒によるイスラム教徒の呼び方)が城を築いたシントラという都市がある。
 レコンキスタ(イベリア半島における、キリスト教徒によるイスラムからの国土奪還)により、1147年に初代ポルトガル王のアフォンソ・エンリケスにより奪還され、以来王家の避暑地として愛されてきた土地でもある。

 ポルトガル全盛期の大航海時代には、その富をもってシントラの宮殿も立派に増築された。また、かの天正遣欧使節団もシントラに寄った経緯がある。そして、シントラからさらに西に行くと、ユーラシア大陸の最西端であるロカ岬にもアクセス可能だ。

 リスボンを3日間楽しんだ後、世界遺産の町でもあるシントラに日帰りで出かけけることにした。
 シントラまでの列車はスイスやポーランドで乗った最先端を行く列車とは違い、田舎を走るJRのような味わい(国鉄のにおい)で、とても旅情を感じさせる。こういうのが良い。

 駅に着き、タクシーの客引きを押しのけてマップが示すバス停留所へ向かう。そこにhop-onのバスがやってきて、運転手曰く、公共バスは工事で止まっているのでこのチケットを買うべきだ、とのこと。
 googleマップでは迂回運転という表示だったが、これまでの経験上、バスの情報はあまり信用できないので、その運転手の言う通り、ちょっと割高なバスチケットを買い乗り込んだ。

ペーナ宮殿
 バスは急な坂道を上がり、まずはシントラを代表する観光地、ペーナ宮殿へ到着した。
 ここは元々修道院だったそうだが、1755年にリスボンを壊滅状態にさせた大地震の際、ここにも被害が及び廃墟となったそうだ。ただ礼拝堂は残っており、それを見たポルトガル王子のフェルナンド2世が1836年に宮殿を建てたという。

 『19世紀ロマン主義を代表する建物』と聞いてもピンと来なかったが、ロマン主義が『感受性や主観に重きをおいた一連の運動で、古典主義と対をなす』と聞くと、なるほど確かに、と思う。それくらいわかりやすくメルヘンでエキゾチックで、ご近所さんからは趣味の宮殿、とでも呼ばれていそうな外観だ。

 庭園と内部のチケットが別で売られており、私は知らず庭園だけ購入し入った。内部に入るにはかなり長い列が出来ており、外観だけでも十分満足したので、入らずに退場した。

山の中に色とりどりのタイルが映える
おとぎ話の中のお城のよう
ペーナ宮殿は高台にあり、後述のムーアの城跡を見下ろせる


ムーアの城跡
 ペーナ宮殿からも見えていた要塞は、ムーア人がその昔建てた城の跡で、レコンキスタ以降キリスト教徒が住んでいたが、徐々に村の中心に移るようになりさびれていたそうだ。
 ここも、ペーナ宮殿を作ったフェルナンド2世により修復された。彼、とても良い仕事をしている。

 ペーナ宮殿からバスも出ているが、近いので徒歩で行くことにした。ハイキングにもってこいの緑豊かな気持ち良い道で、要塞に入ると結構ハードな石段を登り続ける体力が要る場所だ。というかシントラは基本、どこも坂道だった。 
 やっとこさ頂上まで来ると、これまでの人生で一番の強風に吹かれてよろめき落ちそうになる(その後のロカ岬で更新されるのだが)。
 ただ眺めは頗る良く、岩に掴まりながら360度の景色を眺め、千数百年前の風景を想像した。
 山だらけだっただろうに、当時のムーア人は何を見ていたのだろう。

雰囲気の良い道を歩いていく
城壁は狭く急で、風も強く体力が必要
頂上からの眺め。向こうに大西洋が見える

シントラ宮殿
 個人的にはここが一番面白かった。
 夏の離宮として愛されてきた立派な宮殿は、内装に大量の高価なアズレージョ(タイル)を施し、豪華で見ごたえのある部屋が保存状態良く残っている。14世紀に出来た城は16世紀にコショウで得た富をつぎ込み増築されており、何に使われた不明な部屋がたくさんあった。

 アジアとの海上貿易を強化したマヌエル1世はヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓をこの王宮で決定したと言われている。また、キリシタン大名の命でローマまで派遣された天正遣欧使節団一行は、この城の白鳥の間で公爵と謁見したそうだ。
 説明を読む限りでは、当時はまだ白鳥が描かれていなかった?かもしれないが、ともかくこの広間は最上級のおもてなしの場だったそうだ。
 他にも、ポルトガル王家や貴族の紋章をドーム一面に描かせた紋章の間など、カネにモノ言わせて(?)豪華絢爛な部屋を作っている。

 ペーナ宮殿と比べるとあまり人気が無いのか、人が少なくゆっくり静かに観られたのも良かった。
 イスラム風とキリスト様式、マヌエル様式の混ざり合う不思議な雰囲気の宮殿だった。

シントラ宮殿の正面。ここに背を向け山側を見ると…
可愛らしい建物が並ぶシントラの中心部が見える
入ってすぐの螺旋階段は当時にしては非常に高い技術だそう
白鳥の間。天井に優雅な白鳥の絵が描かれている、気品あふれる空間だ
宮殿内で使われているタイルのサンプルが飾られている。イスラムの影響も


紋章の間の天井。マヌエル1世の紋章を囲むように貴族の紋章が並ぶ
紋章の間のアズレージョ
中庭にも、いたるところがアズレージョで飾られている


ロカ岬
 シントラから公共バスで40分ほど西にひた走り、西経9度30分のロカ岬に到着。夕日を見るつもりだったが、シントラ観光が一息ついたのと、丁度バスが来たので流れで乗り、日没まで2時間くらいある時間に到着してしまった。

 その時はとにかく風が強く、立っているだけだと吹き飛ばされそうだった。風向きに対して前かがみになり岬の突端に進む。あちこちでサングラスや帽子が飛ばされており、こどもなんか吹き飛ぶんじゃないかと本気で心配になる。

 とりあえず十字架の碑の写真を撮って、近くのレストランに避難するも、なんだかシケていたので、日没までここで過ごすことを断念。
 バスで来た道を少し歩いて引き返し、レストランがある場所で昼兼夜ごはんを食べることにした。

 この40分ほどの道のりがとても素敵だった。
 もちろん人が歩くことは想定されていないので、バスやバイクには気を付ける必要があるが、大西洋、海岸、なだらかな丘と広い空の下を歩くのはとても気持ち良いものだった。

 シーフードの看板を出していたレストランに入り、リスボンで飲めなかった白ワインと鯛のグリルを注文した。強めの塩で味付けされており、サイドはジャガイモ4つとカリフラワー1房。美味しく完食!以前リスボンで干し鱈のグリルを残してしまった悔しさを挽回した。しょっぱい口を直すアイスも食べて大満足。
 エネルギーチャージし元気な足取りでロカ岬へ戻る。幸いにも風は弱まっていた。

こんなきれいな海と空を見ながらひたすら歩く
ポルトガルの魚料理は、塩とニンニクとオリーブオイルでグリルするのが一般的なようだ


 岬に着くと夕日目当ての観光客がベストな場所を陣取っている。私も適当な岩場を確保し、15分ほどかけて写真や動画を取りつつ日没を眺めた。
 
 毎日欠かさず出ては沈む太陽だが、ユーラシアの西の果てというエッセンスが特別感を演出する。天正遣欧使節団もロカ岬に来たというが、その時も今も、太陽は同じように見えていただろう。

 日が完全に沈むと同時に余韻を投げ捨てバス乗り場へ急ぐ。発車時刻がルーズなおかげで早めに乗車でき、2時間ほどかけて夜のリスボンに帰るのであった。

「ここに地果て、海始まる」十字架の記念碑にはポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの詩が刻まれている


 ポルトガルはヨーロッパの中でもブラジル、イスラムやアフリカなど多様な民族や文化がある魅力的な国だった。1か月くらいかけて全土を回ってみたいと思える国だった。

 約3週間で6か国という過密なヨーロッパ旅行の次は、いよいよアフリカ大陸、モロッコへ!


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