イスタンブール(トルコ)の雑記|海外ひとり旅
エジプト・カイロを出発し、2時間半ほどでイスタンブール空港に到着。ここ10日のモロッコ・エジプト滞在で少し気が張っていたので、ヨーロッパを感じる涼しさと清潔さにホッとする。
空港では早速、コンニチワ、タクシードウ?などと声を掛けられる。トルコは親日国として有名だが、さてどんな1週間になるかな、とワクワクしながら地下鉄でホテルのある旧市街まで向かった。
空港駅で旅行者必携のイスタンブールカードを購入し、乗り換えに迷いながら地下鉄で40分ほど。地下鉄が地上に出た瞬間、美しい景色に思わず息をのむ。金角湾の橋を渡る間、旧市街側のモスクが輝いて見える。イスタンブールがこんなに綺麗な街だとは予想しておらず、期待感がぐっと高まる。

引用:https://plus.rurubu.jp/article/934107192
駅からホテルまで歩く。石畳の町はヨーロッパ的だが、美しいモスクが調和しており、イスラムの国であることを感じさせる。
トルコの人たちはよく声を掛けてくる。日本から来たと答えると、みんな笑顔&食い気味で「自分は日本人が大好きだ、尊敬している、友達になってくれ」などと言ってくれる。
ある靴屋の兄ちゃんは、日本人にはサービスするが中国人はダメだ、なんてぼやいていた。『親日』はこの街全体にインストールされている考え方なのかもしれない。
なお、親日のきっかけとなった1890年の和歌山のエルトゥールル号遭難事件は、トルコの学校でみな学ぶらしい。義理堅いことだ。
見どころが多すぎてかなりボリュームのある雑記となったが、イスタンブールの思い出を残しておこうと思う。
じゅうたん詐欺に遭いかける
到着初日の夕方、夕飯を探しにホテルを出て観光地の通りを歩いていると、絨緞屋のおじいちゃんに熱烈な声掛けをされた。日本人なら是非もてなしたい、店でりんご茶をご馳走するからとにかく入って…と、断っても全く聞かず、腕を掴んで店内に引っ張りこまれる。予定がありどうしても無理だと言うと、明日10時に絶対にまた来てね、と一方的な約束と共に解放された。
ただの絨緞売りだろうになぜここまで強引なのかな?と可笑しくなりながら2、3分歩くと、別の絨緞屋の前にいたおやじに声を掛けられ、さっきと全く同じトークでりんご茶を飲んでいけ、と言われた。しかもそのおやじ、近くの別店舗にいる親戚が日本でも働いており、日本語ペラペラだと言う。
興味本位で話を聞いてみることにした。絨緞セールスは断れば良いし、日本語に少し飢えていたということもある。
甘酸っぱいりんご茶を飲んでいる間、おやじが親戚に電話し、その親戚は流暢な日本語で「良ければトルコのお話をしますよ」と申し出てくれた。近くの店舗にいるそうなので、おやじの息子に連れられ歩いて10分ほどの店舗に向う(車で行くか?と聞かれたがさすがに断った)。
息子にトルコ語の挨拶を教えてもらったり、通り道のバザールの案内などをしてもらいながら店舗に到着。2階に連れられ、日本語ペラペラの絨緞屋に再度りんご茶を出され、色々と話をした。
もちろん最初は「絨緞を売るつもりはない」と安心させ、お互いの世間話やトルコ観光の話に付き合ってくれていたが、そろそろ…と去ろうとすると、せっかくなので絨緞を少し見せたいと言ってきた。
キタ!と思いながらも、先日モロッコ絨緞の解説を聞いたりして、トルコ絨緞に純粋な興味があったので、織り方や各国絨緞の違い、価格帯など色々質問する。そして絨緞屋からあの手この手のセールストークを受ける。
しばらくして、興味は示すがなかなか買うムーブを見せない私に痺れを切らしたのか「これまでここで絨緞を買わなかった人はいない」と茶色く澄んだ瞳でクロージングを掛けられた。潮時だと思い丁重に断ると、案外すんなりと帰してくれた。
定番のセールス方法なんだろうなと思い後で調べてみると、非常に古典的な手法の詐欺だと知った。一人旅で少し旅慣れ、現地の人と触れ合いたい人がカモになりやすいとか。まるで私だ。
また怖いことに、飲み物に薬が入っていたり、監禁されるなどの事例もあるらしい。ただの絨毯売りだろうと高をくくっていたのは迂闊だった。
以後、日本語ペラペラのトルコ人には距離を置くようにした。


こうして初日にちょっと出鼻を挫かれたが、せっかくなので絨毯屋のアドバイスを活かしプランを立て、翌日からは気持ちを切り替え楽しんだ。
イスタンブールは公共交通機関も充実しているし、歩くのが好きなら徒歩でも十分に廻れる、街歩きに最適な場所だった。
旧市街の観光
金角湾の南側にあるイスタンブールの旧市街はすなわち、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルがあった場所だ。
1453年にオスマン帝国のメフメト2世により陥落し、キリスト教のコンスタンティノープルはイスラム教のオスマン帝国の都となった。
オスマン帝国は16世紀の全盛期に覇権をふるったが、17世紀ごろより徐々に衰退し、1922年にトルコ共和国建国の父、ムスタファ・ケマル(ケマル・アタトュルク)によるトルコ革命で約600年の歴史に幕を閉じた。
鎌倉時代から大正時代まで、というとその歴史の長さに驚く(でも日本の皇室は2000年以上続いているんだ…という新鮮な驚きも同時に感じる)。
ムスタファ・ケマルは国の発展のため、政治と宗教の結びつきを無くし、西欧化を目指す『政教分離』政策を行った。トルコにヒジャブを被る女性が少なく、イスラムではご法度のお酒も飲まれているのはそんな歴史からだ。
一方で、2014年から続くエルドアン大統領はイスラム主義を背景に持ち、イスラム回帰を進めている。
ただ、モロッコやエジプトの雰囲気と比較しても、トルコは世俗化が続いているように感じた。ほんの一部の表面しか見ていないけども。
エジプシャンバザール
有名なのはグランドバザールだが、絨毯屋曰くエジプシャンバザールがお勧めとのこと、入ってみると美しいアーケードに色とりどりの店が並び、清潔で楽しい市場だった。
18世紀頃、エジプトから輸入される香辛料や生薬を多く取り扱うようになったことからこの名前が付いたようで、スパイスやお茶などお土産にも良さそうなものがずらりと並ぶ。客引きは強くないのでゆっくりと見物可能。

スルタンアメフトモスク(ブルーモスク)
17世紀初頭に建設された、オスマン建築最高峰と言われるモスク。入場料はかからないが、礼拝時間はムスリム以外立ち入り禁止となる。
靴を脱ぎ、肌の露出を避けた服装(女性はスカーフ等を被り髪を見せない)で中に入る。驚くほど高さと奥行がある。整然とした柱とドーム、緻密に敷き詰められた美しい模様のタイルに神々しさを感じ、これは宗教施設の最高峰ではないかと思うほど圧倒される建物だった。


トプカプ宮殿
オスマン帝国の王であるスルタンと家族の居住地であり、行政の中心であり、かの有名なハーレム(日本でいうところの大奥)があった場所だ。
今は博物館になっており、当時の生活を垣間見れる場所や、オスマン帝国時代の財宝を見学することが出来る。多い時には16,000人がこの宮殿に滞在していたとのことで、とにかく広く、展示品も見ごたえ十分。3時間ほど掛けて廻ったが、全て見るには時間が足りなかった。
ここでハーレムという言葉に対する一般的な(誤った)認識を修正出来たのは良かった。ハーレムはいやらしい場所ではなく、600年続いた王朝を強力に支えた場所だったのだ。
個人的にはここがイスタンブールで一番面白い観光地だった。入場料2570リラ(≒9900円)はちと高すぎるが、博物館好きにはぜひお勧めしたい。











アヤソフィア
アヤソフィアはイスタンブールで最も有名な歴史的建造物だ。
オスマン帝国の前、ビザンツ帝国時代のキリスト教大聖堂から始まり、オスマン帝国下ではイスラム教のモスクとして機能した。
トルコ共和国となってからはムスタファ・ケマルの政教分離政策により博物館として使われ、その後イスラム回帰を進めるエルドアン大統領により、2020年から再度モスクとして使われている。
トルコの歴史そのものがこの建物に反映されているようだ。
生憎大がかりな工事中だったが、大理石の内装と金地のモザイクは見る価値あり。またキリスト教時代のモザイク画は必見だ。オスマン帝国がこれらキリスト教の痕跡を壊さず、漆喰で隠したことで保存された状態となり、20世紀になって”発見”されたそう。当時の王様、Good Jobである。
アヤソフィアから徒歩5分の場所にある博物館はかなり先進的だった。各国語の音声ガイドを聴きながらグループ単位で部屋を移動し、部屋の壁に映される映像でアヤソフィアの歴史について学ぶ。臨場感のある映像で、正直、足場だらけのアヤソフィア内部よりも面白かった。




ちなみに…アヤソフィアには、トルコ最終日の朝、カッパドキアから夜行バスでイスタンブールに到着した足でそのまま訪れた。寝不足が災いしたのか、チケット売場の超早口のお姉さんにまんまと2日分の券(2600トルコリラ×2日分≒18700円)を買わされていた。
気づいた時には売場に人が多すぎて返金交渉を諦めたのだが、この悔しさを晴らすためにもチケットを無駄にしたくない。
外国人観光客に無料で譲るよ、と声を掛けるも英語力問題(?)で断られたので、粘って日本人女性二人組を見つけ、チケットを譲ることに成功した。
彼女達からは支払います!と言われたが、あげるからこそこちらの気持ちも晴れるもの。半ば強引に渡し、勝手にスッキリして空港へ向かったのであった。
新市街の観光
金角湾の北側にある新市街は、中世にジェノバ(今のイタリア)の商人が東方貿易により商業の拠点を築いたのが始まりだそう。
旧市街よりもヨーロッパの雰囲気を味わえる街並みだが、個人的にはそこまでの風情は感じず、旧市街の方が好みだった。
ガラタ橋、ガラタ塔
金角湾に架かるガラタ橋は旧市街と新市街を結び、ずらっと並ぶ釣り人たちと美しい景色が名物のランドマークだ。橋の下に並ぶレストランで川を眺めながら食事をしたり、屋台のサバラップを食べ歩きすると最高だ。



橋を渡りオシャレな坂道を上がっていくとガラタ塔が現れる。14世紀ごろにジェノバの商人によって物見塔として建造され、その後様々な用途で使われている、街の中で一段と目立つ塔だ。入場すると博物館があり、展望デッキからイスタンブールの街並みを一望できるそうだ。


タクスィム広場
ガラタ橋から目抜き通りのイスティクラル通りをしばらく歩くと、タクスィム広場に到着する。地下鉄、トラム、バスが集まるターミナルで、新市街の中心地と言える場所だ。だが、私が行った時は閑散としており、有名なムスタファ・ケマルの記念碑はなぜか周囲が立ち入り禁止となっていた。
イスタンブールは2023年に世界で最も観光客の多い都市と聞いて覚悟していたのだが、中東情勢の影響なのか、総じて観光客は少なかった(旧市街のスルタンアメフット地区を除く)。恐らくエジプト同様、キャンセルも発生しているのだろう。
滞在中にイスラエル領事館前でデモがあると外務省からの注意喚起もあったが、街の中に不穏な雰囲気は特に感じなかった。


ボスポラス海峡
トルコのヨーロッパ側とアジア側を隔てるボスポラス海峡。
大きな地図で見ると分かりやすいが、黒海を港にもつロシアはこの狭い狭い海峡を通らなければ大西洋に出られない。航行権を確保したいロシアと、それを阻止しようとするトルコ(オスマン帝国)や欧米列強の間で長く駆け引きが続けられてきた重要な場所でもある。なお、今は商船の自由航行と軍艦の条件が条約で定められている。
また海峡の両岸には、オスマン帝国時代の要塞や、宮殿や王族の別荘、学校などの重要な施設が建設されている。
私は夕方の海峡クルーズに参加した。音声ガイドと飲み物が付き、2時間で1450円とお手頃価格。甲板で冷たい風に吹かれながら、沈む夕日と美しい街の影を眺め、オスマン帝国の歴史に思いを馳せながらゆっくりと過ごした。




以上が、初めてのイスタンブールでド定番の観光地を巡った記録だ。
イスタンブールの物価事情
ちらちらと書いていたように、イスタンブールは観光地の入場料がこれまで行ったどの国よりも高かった(かつ上がり続けているとのことだった)。
肌感覚として、観光客向けレストランはヨーロッパ並み、ホテルは日本と同じくらい、公共交通機関は日本より安く、観光地の入場料が異常。
トルコリラのインフレ・通貨安と世界的観光地であることの掛け合わせに起因するのだろうが、現地の人と観光客の価格差はやりすぎだ。あのエジプトの方がまだ謙虚だとすら感じる。
またトルコリラの変動が激しすぎるため、飲食店メニューの価格書き換えも忙しい。世界三大料理の国ということで、トルコでは結構外食をしたのだが、価格が書かれていなかったり、メニュー価格400リラで注文したものが実は600リラだったこともあった。
美味しかったからまあ良いのだけど。



そんな、経済的にはちょっと不安定なトルコだが、圧倒的な歴史の厚みと、不思議な自然と、こちらが戸惑うくらいに親日感情をぶつけてくる愛すべき人達には大きな魅力を感じた。
この国は、いつかまた来たい国ではなく、きっとまた訪れることになると思う。
ということで、可愛いネコちゃんを思い出しつつ、次はカッパドキア編。



