マラケシュ(モロッコ)の雑記|海外ひとり旅
リスボンから南へたった1時間のフライトでモロッコ・カサブランカ空港に到着。
世界一周旅行10か国目、モロッコのお目当てはアフリカ大陸と砂漠だ。アフリカにありながらヨーロッパの影響を受け、イスラムの文化が強い国。ちょっと想像が付かない場所でやや緊張する。
とりあえず1泊目だけはカサブランカのホステルを予約しているため、空港からcasa oasis駅まで列車に乗る。車窓から見えるカサブランカの街はヨーロッパのようで、アフリカ感はあまりない。
ホステルにチェックイン後、モロッコでの過ごし方を計画する。
サハラ砂漠ツアーはカサブランカから出ていないようだ。マラケシュ発着の2泊3日ツアー(900モロッコ・ディルハム≒15300円)を予約し、併せてマラケシュでの宿泊先を確保する。この度の超円安旅行で初めて1泊2000円台のホステルが取れ、物価の高いヨーロッパから出たことを実感する。
先ほどcasa oasis駅でマラケシュ行きの電光表示を見ていたので、調査しに再度駅へ。1時間に1本出ており安心だ。帰りにスーパーで買い出しをした。地中海沿岸の国が続き、このところオイルサーディン・ギリシャヨーグルト・パンの組み合わせにはまっている。
モロッコは国教がイスラム教で、豚肉とお酒はご法度、女性は基本的にヒジャブを被っている。祈りの時間になるとアザーンという祈りの声が流れ、初めて聞いた時は驚いた。
民族的にはアラブ人が65%、先住民のベルベル人が35%、混血も進んでいる。政治的には戦後フランス支配からの独立をなしたムハンマド5世(空港の名前にもなっている)の孫、国王ムハンマド6世の統治下で、街中の様々なところに彼の写真が飾ってあったのが印象的だ。
またモロッコはアフリカの中では治安も悪くなく、ヨーロッパから数時間のフライトで来れるともあって観光客が非常に多い。
過去に様々な国に支配されていた歴史から、人々は公用語のアラビア語、ベルベル語に加えフランス語を話す(そのため英語表記が無く困ることも多かった)。
スペイン語も割と話されており、観光地の人は英語やイタリア語も話す。ユーロが比較的普及していることもあり、世界中から旅行しやすい場所なのではと思う。
カサブランカからマラケシュへ
翌朝マラケシュ行きの列車に乗り、大量の荷物を持つ地元民に混ざり2時間半ほど揺られて到着した。
マラケシュはカサブランカと全く違い、建物がみな赤茶色だ。駅は立派で、周辺は綺麗に整備されている。
駅を出てすぐ、通りすがりのおじいさんにどこから来たの?と声を掛けられた。道端での声かけは南米やヨーロッパではあまりなかったなあと新鮮に感じながらアパートまで歩く。




マラケシュ旧市街観光
サハラツアーは翌日の早朝開始だったので、その日はマラケシュの旧市街を軽く見物した。
旧市街はメディナと呼ばれ、11世紀後半、かつてマラケシュが首都だった頃中心地だった歴史ある場所だ(今のモロッコの首都はラバト)。
当時、マラケシュはサハラ砂漠の交易拠点だったので、敵の侵入を防ぐために先住民のベルベル人が強固な城壁を作ったそうで、その特徴的なエリアは世界遺産にも登録されている。
城壁をくぐってすぐにある市場を通る。細い道に所せましと肉、魚、野菜果物、パン、お菓子の屋台が並び、大勢の人が行き交っている。
目の前にロバが迫ってきたので避けたところ、すれすれでバイクが排気ガスをまき散らしながら通り過ぎていった。そこらにいる猫だけは悠々自適にお昼寝している。
このカオスな匂いや雰囲気が、旅してる!という感じでとても楽しい。





市場を抜けて観光客向けの店を歩いていくと、中心地のジャマ・エル・フナ広場に到着する。そこにマラケシュで一番大きなクトゥビーヤ・モスクの塔が見える。
広場では、フルーツジュースの屋台、ツアー販売、民族衣装を着ての写真撮影などの客引きに余念がない。私もさんざん声を掛けられ、コンニチハ!アリガトウ!と言われまくった(他の国では中国人か韓国人と思われることが多かったが、モロッコのプロ達はほぼ間違わなかった)。
普通の観光客からもニイハオ!と言われ、この国に来るとフレンドリーになるのかな?と思いながら歩く。


遅い昼ご飯をとろうと食堂に入ると、私を日本人と確信した店員が「コンニチハ!ミヤサコデス。ワカチコワカチコ‼」と言いいながらメニューを持ってきて、むしろこれを彼に教えたであろう日本の観光客に感動した。
旅行先で「日本から来た」と言うと、だいたい皆、アリガトウとか日本大好き、日本に行きたい、と言ってくれる。それらの国を旅行した先人たちと、日本という国の素晴らしさに感謝する日々だ。
食堂ではモロッコ定番のタジン鍋(野菜・チキン・クスクス)を食べた。オリーブが良いアクセントだ。
モロッコ料理の所感としては、全体的に薄味で、スパイスと素材の味を生かしており、非常にヘルシーだ。ただ、レストランより屋台で食べる方が味もコスパも断然良かった。




バヒア宮殿
マラケシュの一番の見どころであるバヒア宮殿にも足を運んだ。
19世紀後半に建設されたモロッコ建築を代表する宮殿で、時のスルタン(王様)ハッサン1世の宰相とその息子が作った。モロッコ貴族の豪華な生活が垣間見える場所だ。
工事箇所が多かったのが少し残念だったが、ポルトガルのシントラ宮殿でも見た幾何学模様のイスラム美術に触れ、歴史と地理の繋がりを感じられた。
なお、見出しの画像にある女性の横顔は、バヒア宮殿の一画に展示されていた、現代のモロッコアーティストの作品だ。美しく見入ってしまった。




あわやスマホ盗難
サハラツアーを経てモロッコの最終日、ホステルからマラケシュ駅までバスで向かうため朝6時半に出ると外は真っ暗だった。
この時間はもっと明るいはずだったので違和感を覚えるが、携帯は確かに6時半を示している。道には少ないながら明かりもあり、掃除の人、開店準備をしている人、旅行客などがぽつぽつ居たので大丈夫だろうと思い、予定通りバス停まで15分ほどの道を歩くことにした。
マップでルートを確認していたその時だった。後ろから近づいてきたバイクが私の手から携帯を奪い取ろうとしたのだ! ウワッ、という声が出た。首からスマホストラップを下げており、そいつの力が強くなかったので、携帯は取られず、そいつはスピードを出し走り去っていった。
びっくりして、そこから先は道端の人たちを睨みつけながら(申し訳なかったが)、前後左右を警戒しつつ足早に歩き、少し先にいた3人の観光客の後について行った。
怖いというより情けなかった。ブラジルではあれだけ注意していたのに、ちょっと旅行に慣れて油断していた。気を引き締めなければ。
やっとこさバス停に付き、そこで初めて腕時計を見ると1時間早い5時45分を指していた。もしかしてサマータイムみたいなやつか?と調べてみると、まさにその日、3月22日からラマダン明けでサマータイムが再開していた。もしアナログ時計を頼りにしていたらトラブルになっていたかもしれない。盲点だった…。
そして結局予定のバスは来ず、uberで駅まで行くこととなった。アテネでも空港に行く時にバスが来なかったので『外せない時間の時は公共バスを使わない』という教訓を得た。
心癒される出会い
そんなさんざんな朝だったが、カサブランカ空港へ行く途中の乗換駅で、嫌な思いを帳消しにしてくれる出会いがあった。
ベンチに座りメモを取っていると、クリクリの目をした女の子が近づいてきて、ニコニコしながら持っていたクッキーを私にくれたのだ(しかも2枚!)。
その子は愛嬌の塊で、胸に手を当て、投げキッスし、手でハートを作ってくれた。あまりの可愛さにやられてしまい、母親に断り写真を撮らせてもらった。ノートとペンに興味を持ったようなので渡してみると、ご機嫌に歌いながら何かを書いている。母親曰く猫だそうだ。
その子は3歳でメイサという名前だった。ノートとペンを返してもらう時に嫌がって大泣きされたが、本当に心癒されるひと時だった。

後に『世界三大うざい国』としてインド、エジプト、モロッコが挙げられると知ったが、モロッコの人たちはみなフレンドリーで温かく、うざいとは感じなかった。
何なら、次に行くエジプトはどんな国だろう、とワクワクしながらカイロ空港に向かったのであったが、この時はまだエジプトの強烈さを知らなかった…。
