❶【実録不思議体験】壮大な秘密― 水が映し出す現実創造の仕組み 第一部 その1 #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門 応募作品
私は二〇二六年五月二十日から何かに導かれるように執筆をはじめた。
思考の中に次々とあらわれてくる文字を紡いでいく中で、まるで地球に隠されてきた壮大な秘密に触れたような感覚を覚えた。
それは私が考え出したものではなかった。私がみつけたというよりも、高次元から届けられたものを受け取ったような感覚だった。
一か月の間に、二冊の本としてまとめることを想定した原稿を書き上げた。
一つ目の原稿は『毒親の正体』としてまとめたもの。
二つ目が『壮大な秘密』です。
noteから『壮大な秘密』を公開することは、私にとって大きな勇気が必要でした。
さまざまな不安におそわれました。
しかし、私がたどり着いた一つの仮説を、世界中のみなさまと共有したい。この切なる願いが水への祈りとして広がっていく未来に希望を託すことにしました。
『壮大な秘密』をたくさんの方々と共有しながら、新しい地球の扉を開いていきたい。そこは愛と感謝であふれ、調和と循環があたりまえの世界。
たくさんの仲間たちとともに、新しい地球の扉を開いていく。
その一員への招待状として、『壮大な秘密』をnoteで公開します。
#創作大賞2026 #オールカテゴリ部門 に応募します。
私は親しい友人たちと二〇二六年六月十九日から二十一日まで東北旅行を計画していました。旅行を計画したときは、その中に夏至が入っていることにまったく気づいていなかった。
二〇二六年六月二十一日夏至。
これに気づいたとき私は、この日をひとつの節目のように感じた。振り返れば、これまでもそうだった。夏至に向かうように何かが動き出し、そのあとに新しい何かが開花していった。
夏至の祈りにのせながら、『壮大な秘密』を世界に放つ。
この物語が、みなさま自身の探究の旅へとつながっていくことを願いながら。

このページでは第一部の1から10までを公開しています。
The Grand Secret of Creation
壮大な秘密
― 水が映し出す現実創造の仕組み
本書は、私の人生映画の大切なエキストラである、世界中の人々に捧げます。
はじめに
私はスピリチュアルを全面的に肯定しているわけではない。
むしろ長い間、その世界に違和感を抱いていた。
日本ではさまざまな考え方が混在し、ときに根拠の曖昧な主張も語られている。だから私は一定の距離を置きながら、それらを見つめてきた。
しかし同時に、私は無神論者でもない。
目に見えない偉大な何かに感謝を捧げることは好きな方だし、人間の理解を超えた働きが存在する可能性も否定していない。
だからこそ、見聞きしたことをそのまま受け入れるのではなく、自分なりに吟味しながら真実を探究してきた。
それでも、自分自身の体験を無視することはできなかった。
近年では量子力学と引き寄せの法則を結びつけて説明する人もいる。しかし私は物理学者ではない。量子力学の正しさを論じたいわけでもない。
私が語りたいのは、水という存在に注目したときに見えてくる一つの仮説である。
古くから語り継がれてきた教えや、近年広まったスピリチュアル的な考え方にも触れてきた。その中には納得できるものもあれば、どうしても違和感を覚えるものもあった。
そうして長い年月をかけて考察を重ね、自らの体験と照らし合わせながら紐解いていくうちに、一見無関係に見えた事柄の間に、不思議な繋がりが見えてきた。
本書は、その探究の過程で見えてきたものを皆さんと分かち合うために書いたものである。
これからお話しする内容を信じる必要はない。
ただ、もし皆さんが私と同じように「なぜなのだろう」と問い続けてきたのなら、本書がその探究の一助となれば幸いである。
目次
はじめに
第一部
探究への道
1.並行世界
2.宇宙語
3.バイブル
4.赤いポール
5.過去生
6.超越瞑想
7.三つの神棚
8.二つの教え
9.こころざし
10.じいや
11.封印解除
11-1.量子最適化アプリ
11-2.超強力磁力線発生器
11-3.タイムウェイバー
11-4.超能力開発
12.毒親の正体
第二部
水が映し出す現実創造の仕組み
13.水が映し出すもの
13-1.水のワーク
13-2,作家みたいな服
13-3.水は答えを知っている
13-4.呪いと祝福
13-5.鏡のワーク
13-6.対人関係の創造
13-7.語りかけるように祈る
13-8.巨大な鏡
13-9.壮大な秘密
13-10.二〇三五年
14.人生映画
15.毒親の正体
第三部
人生天国化メソッド
16.人生天国化メソッド10のこと
① 決める
② 心地よさを判断基準にする
③ 境界線をつくる
④ 人体の水が鏡だったら? 巨大な鏡に囲まれているとしたら?と考えてみる
⑤ 心地よいもので満たす
⑥ 心と体を注意深く観察する
⑦ 不安と上手につき合う
⑧ 年齢にふさわしい生き方を見つける
⑨ 成功の定義を変える
⑩ 人生の最終目標を見つける
第四部
真実への探究
17.健太さんのバイク
18.アセンション
第一部 探究への道
1.並行世界
並行世界。
この言葉をご存知の方は多いと思う。
よく、引き寄せやスピリチュアル界隈で耳にする言葉だ。
並行世界とは、現在私たちが見ている世界と並行するように、いくつもの世界が存在し、私たちはどの世界に存在するかを選択できる――といった概念だ。
この言葉とその意味を知ったとき、誰もが一度はこう思ったはずだ。
――並行世界は実在するのか。
そう考えたことのある人は少なくないだろう。
何を隠そう、ワタシもその一人であった。
しかし二か月前の体験によって、その考えは一変した。
並行世界の存在を疑えなくなるような体験をしたのである。
その体験をしたのは、ワタシこと裕子である。
出来事を客観的に振り返るため、ここでは自分自身を「裕子」と呼ぶことにする。
裕子は説明のできない記憶違いに直面した。そのことに裕子はどうしても納得できなかった。
その記憶違いは、大まかに分けると二つある。
一つ目は、新しく購入した土地のすぐそばにあった水路が消え、別の場所に出現していたこと。
二つ目は、いつも通っていた小さな橋の幅が広くなっていたことだった。
裕子の趣味は、自分所有の畑で家庭菜園をしながら、地域猫たちに餌をあげることだ。
畑は、自転車で十分ほど走った高台にある。約四年前に購入した。
裕子はかねてから、もっと自宅に近い畑に引っ越せたらいいなと思っていた。
裕子はまた、田んぼへの憧れもあった。
四季折々に移り変わる田んぼの風景が好きだった。
「稲を育ててみたいなぁ」
「子どもの頃に見た、美しいレンゲ畑をもう一度みたい」
とも思っていたから。
そんな中、見つけてしまったのだ。
自宅から徒歩十分以内の高台に、入手可能な金額で売りに出されている、大きな古家付きの広い農地を。
宅地部分も含めれば、三百坪以上あった。
それは一人で管理するには、かなり大変そうな広さだった。
不動産屋に聞いてみると、農地の大部分の地目は「田」だった。
自分の願望が実現しつつあると感じた裕子は、不動産屋に内見を申し込んだ。
裕子は、不動産屋に内見を申し込む前に、一度その畑を訪れている。
不動産屋のウェブページに掲載されている畑の写真とGoogleマップを照らし合わせながら、畑の所在地を突き止めた。
それは何度かウォーキングで訪れたことのある場所だった。
土地は横に長い形状で、東西にそれぞれ細い道路が通っていた。さらにその外側に川が流れていた。
道路はどちらも軽自動車がやっと通れるくらいの広さだと感じた。進入路の道幅が狭いから、この値段で売り出されているのかと思った。
東側の道路には、川にせり出すように頑丈そうな手すりが設けられており、狭いながらも軽自動車で入って来られそうに感じた。
しかし、西側の道と川の境目には何もなく、とてもこんな道を車で入って来られないと感じた。裕子は自分の運転に自信がなかったからだ。
道も川も比較的新しそうな白っぽいコンクリート造りだった。
川のさらに西側には、真砂土で敷き詰められたような土地が二段ほどあり、道とその土地を結ぶように、ややアーチ型をした白っぽいコンクリート造りの細い橋が二つ架かっていた。
購入を検討していた土地の農地部分は黒い防草シートでほぼ覆われていたが、古家の前だけは少し土が見えていた。
その土の部分には、古い洗濯物干し用のポールが置いてあり、物干しざおと古びたハンガーが掛かっていた。
それを見た裕子は、少しならここに稲が干せそうだな、と思ったのを覚えている。
不動産屋と内見に来た時は、特に地形の違いは感じなかった。
購入予定地の東側の道は行き止まりだったが、西側の道を上った先は三十年ほど前に作られた道路と繋がっていた。
上の道路から西側の道へ入る部分は、少し広くなっているように見えた。
前の住人は西側の道の下側から駐車場に進入していたそうだ。
その駐車場に上側から進入するには、少し鋭角になっており、すぐ横が川なので不可能に感じた。
Googleマップには、その駐車場に車が写っている。
購入予定地の上には三階建ての大きな家があった。家の前にはボンゴ型の普通車が停まっていた。
上の家の住人は、車を上の道から出入りさせていると不動産屋は話していた。
しかし、土地代金を支払うために不動産屋と約束していた日の朝、その土地に行ってみると、以前見た地形とはまったく別物になっていた。
その日の朝、裕子は懇意にしてもらっている市会議員の健太さんに連絡した。軽自動車しか入らないその土地の道幅を、広げることができたらいいなと思っていたからだ。
健太さんは、裕子が何か頼みたいときに、いつも素早く対応してくれて何度も助けてもらっていた。その日も健太さんに電話すると、ちょうど午前中は空いているとのことで「今から行きますよ」と言ってくれた。
裕子は売買契約した古い民家の住所を告げ、待ち合わせの場所まで坂道を上って行った。
そして、民家の近くまで来て驚愕した。道のそばにあったはずの水路がなくなっていたからだ。道幅も記憶していたものより広かった。
道のすぐ横は、真砂土が敷かれた土地になっていた。健太さんは250ccバイクでやってきていた。
ーーあれ、健太さん、バイクを買い換えたのかな。いつも50ccバイクだったのにーー
と、裕子は思った。
道のすぐ隣が水路だったら、道幅を広げるのは難しそうだなと思っていた。道の横が水路ではなく空き地だったら、道幅を広げる難易度は下がりそうだと思った。
坂の上にある道路は、神社の裏手からも上がれるようになっていた。裕子が退職した頃は、周辺の道を歩いてよく散策していた。
上の道路まで登ってみて、裕子は思わず足を止めた。
そこには、今まで見たこともない立派な水路が造成されていたのだ。その水路は空き地と山の境界線あたりに出現していた。
よく見てみると、そんなに新しそうな感じでもなく、汚れており、苔が生えていた。
ーー二か月前にはこんなのなかったのにーー
水路の位置が変わったことを健太さんに話すと、健太さんは少し笑いながら「パラレルワールドですかね」と言った。
ーーパラレルワールド?
えっ?
まさか……。
とても信じられなかったけれど、道幅が広くなったらいいなと思っていた裕子にとっては好都合な変化だった。
健太さんは「空き地についてちょっと調べてみます」と言ってくれた。お願いをして裕子は帰宅した。
午後から不動産屋が自宅に来たとき、裕子は内見のときの話を持ちだした。すると不動産屋は、
「あの日、停められる場所がないか、一度坂の上まで登ったんですよ。なかったので、バックで下りました。怖かったですけど」
ーーえっ、あの日は早めに行って家の前で待っていたけれ、どそんなの見なかった。
不動産屋は普通車で下からやってきて、少し広くなった場所に車を停め、歩いて上がってきたのを見ていた。
裕子の記憶では軽自動車がやっと通れるほどの道幅しかなかったのだ。普通車で上がれるはずがない。
その道を不動産屋は車で上がったという。裕子には、その食い違いをうまく説明できなかった。
もし並行世界というものがあるのなら、不動産屋と裕子は別々の世界を見ていたことになる。
現在が変われば、過去も変わる……。
これが並行世界なのか……。
当時の裕子には、それ以外の説明が思いつかなかった。
食い違いはそれだけではなかった。
古い民家には台所の横にある洗面所に勝手口があった。それは畑に面した東側に位置した。
裕子は玄関からではなく、勝手口から出入りしたいと考えていた。
外から鍵を開けて勝手口から家に入れるか不動産屋に電話でたずねた。不動産屋は「勝手口の鍵はありません。勝手口は中からしか施錠できません」と言った。
しかし、受け渡しの日には、勝手口の鍵を渡された。
さらには、土の上に置かれていた洗濯物干しのポールはなくなっていて、土の上には防草シートが敷かれていた。
その防草シートの留め具は新しいものではなく、茶色く錆びていた。
一人で下見に来たとき、東側に一箇所だけ、イノシシよけの細い鉄格子が低い場所があった。裕子はそこをまたいで畑に入らせてもらった。
しかし購入後には、裕子がまたいで入れそうな場所は東側にはなかった。
上にある大きな家の前にはよく軽トラが置いてあり、別の場所に軽自動車が置いてあることもあった。しかし、ボンゴ型の普通車は、購入前に一度見たきり、見ることはなかった。
これが一つ目の記憶違いについてだった。
引き続き二つめの記憶違いについてお話ししよう。
土地の受け渡しの日の夕方、裕子は地域猫の待つ畑に向かった。行くときは、いつもと違う道を通った。
畑から帰るとき、いつも通っていた小さな橋を渡ろうとしたとき、裕子は目を疑った。
今までは、自転車がようやく通れるほどの細い橋だった。
何度も渡ったことがある。間違えるはずがない。
だがその橋はーー。
そこにあったのは、裕子の知る橋ではなかった。
橋の幅は、倍ほどに広がっていたのだ。
2.宇宙語
子どもが小学二年生の頃のことだ。ある日突然、目に見えない存在について語り始めたことがあった。
子どもは突然、「宇宙語だよ」と言って、聞いたこともない言葉を流れるように話し始めた。裕子は思わず聞き入った。
とてもやわらかなイントネーションで愛に満ちた言語のように感じた。その言語からはパステルカラーのような優しさが伝わってきた。宇宙語だという不思議な文字もサラサラと書いてくれた。その文字にはハートのような形がたくさんあった。

言って書いたもの
六芒星に並べた水晶を見つけると、「これ、何かできそう」と言い、水晶の上から指で何かをしているようだった。
裕子が体験した内容のすべてをここに記すことはできない。だが、子どもから告げられた二つの言葉がいつまでも心に残った。簡単には受け入れられない言葉だったから。
空いっぱいに広がった鱗雲を指差して「あれはお母さんを守っている龍たちだよ」と子どもが言った。

ーーえっ、あんなにたくさんの龍に守られているワタシって一体何者なの……。
もちろん、信じられる話ではなかった。
ーーもし、それが本当だとしたら、ワタシは何をすればいいのだろう。
この問いは、長い間裕子を苦しめた。
たまに映像を伴うインスピレーションや、何かを象徴しているような短い言葉が浮かぶことはあった。
しかし、それ以外に特別なスピリチュアル能力を持っているわけではなかったからだ。
ーーワタシに一体何ができるというの?
考えれば考えるほど分からなかった。
そしてもう一つ。
「おばあちゃんしか、お母さんを育てられなかったんだよ」
と言われた。当時は全く理解できなかった。理解したくもなかった。母親とはずっと上手くいっていなかったから。
しかし、今ならその意味が分かるようになったかもしれない。
突然スピリチュアル的な能力を発揮し始めた子どもとのエピソードをもう少しお話ししよう。
デパートの宝石売り場で子どもが宝石を指差し「お母さん、あの指輪には仕掛けがあるよ」と言った。
それは小さな角ダイヤが四角く敷き詰められた、少し重たそうな銀色の金属台の指輪だった。
裕子は店員さんにその指輪を見せてもらうことにした。
その指輪は、ダイヤモンドをひっくり返すとピンクサファイアが現れた。
その指輪は気軽に買える金額ではなかったが、裕子は買って帰った。今も宝石箱に大切にしまってある。
ある日、自分も宇宙語が話せるという方と、子どもと一緒に電話で話す機会があった。電話口の向こうからは、子どもが話す宇宙語とは全く違う言葉が聞こえてきた。途端に子どもは顔をしかめ「これは宇宙語ではない。動物」と言った。少し甲高く、裕子には黄色っぽい印象を受ける声で、あまり気持ち良い話し方ではなかった。とても嫌な気持ちになった。
キツネかタヌキだったのだろうか。それはわからない。子どもの話す言葉にどこか神聖なものを感じていた裕子にとって、これは少しショッキングな出来事だった。
子どもが神聖な宇宙語を話していると証明できるものはなかったし、子どもが動物だと言ったことも未確定事項でしかなかった。
ただ、仮にそれが本当に動物霊だったとしても、誰かを納得させることは不可能だと感じた。それは単なる個人的な主張でしかなく、声高に主張することは、いかがわしくさえ思ったからだ。
神聖なものと、そうでないもの。その境界線は思っていた以上に曖昧だった。
裕子は、しばらくスピリチュアルの世界とは距離を置くことにした。自分の無力さにも失望していたし、何を信じていいのか分からなくなっていたからだ。気づけば、スピリチュアルという言葉そのものに強い抵抗感を抱くようになっていた。
ほどなく子どもは、自分自身の判断で、その能力を閉じた。
3.バイブル
裕子には、子どもがまだ小さかった頃、バイブルのように大切にしていた一冊の本があった。
キヨ・ササキ・モンロウ著『愛と希望の讃歌』1995年初版、1997年5刷。
どのような経緯でその本を手にしたのかは、もう覚えていない。
しかし、その本だけはなぜか手放せなかった。
その本には、高次元との交信によってもたらされた教えが記されていた。
当時の裕子は、
ーーそんなこともあるのかもしれない。
と思いながら読んでいた。
全面的に信じていたわけではない。かといって、否定することもできなかった。
気になる箇所には何度も目を通し、生活の中で実践できそうなことは取り入れてみた。
本の中には、愛についても数多く語られていた。だが裕子は、人類愛と呼ばれるような境地には、まだまだ遠いと感じていた。
そんな中で、どうしても忘れられない言葉があった。
アセンション。
次元上昇とも呼ばれるもので、太陽系そのものの変化によって、地球は三次元から五次元へと移行していくーーという考え方だった。
ーーアセンションは本当に起こるのだろうか……。
裕子はスピリチュアルの世界から距離を置くようになった後も、この問いだけは心のどこかに残り続けていた。
4.赤いポール
裕子は長い間スピリチュアルの世界から距離を置いていたが、引き寄せと量子力学のつながりに興味を持ち始めた。
それは、偶然見つけたいくつかのブログで発信されていた。裕子は興味がある講座や催しには参加した。
伊勢神宮や出雲大社にも訪れた。東京や福岡にも行った。
そんなある日のことだった。
裕子がトイレに座っていたとき、突然「赤いポール」という言葉と映像とともに、脳天からビリビリと強烈な稲妻のようなエネルギーが降りて足先から抜けていった。
裕子はすぐには、何が起こったのか分からなかった。
それは体験したこともないようなエクスタシーというより、もっと強烈なバイブレーションだったから。
ーー今のは一体、何だったのだろう……。
ーー赤いポール……なんのこと?
しばらく頭の中にある思考や記憶を探した。
ーーあ、赤いポールって、もしかして……。
裕子は数日前に読んだ、あるブログにその「赤いポール」が出てきたことを思い出した。
裕子はそのブログを見つけて読み返してみた。そこには、マラソンの折り返し地点の「赤いポール」のことが書かれていた。
ーー赤いポールって、もしかして、折り返し地点ってこと?
そう考えた瞬間、裕子の脳裏に、ある言葉が浮かんだ。
ーーアセンション。
かつてバイブルのように読み返していた本に書かれていた言葉だった。地球は三次元から五次元へ移行していくーー。
その考え方を信じ切れていたわけではない。だが、その言葉だけは不思議と忘れることができなかった。
ーーもしかして、アセンションの折り返し地点を教えられたのかもしれない……。
裕子はそんなことを思った。だが、それ以上のことはわからない。裕子は、分からないことは一旦忘れる主義だった。
まるでその日を境にしたかのように、裕子は引き寄せや量子力学、スピリチュアルへの関心を失っていった。
そして、赤いポールのことも、いつしか記憶の奥へと沈んでいった。
5.過去生
裕子が長い間スピリチュアルと距離を置いたあと、引き寄せと量子力学の繋がりに興味を持ち始めていた頃のことだ。
裕子は何か新しいことを学びたいと思っていた。
占い。
カードリーディング。
心理的ブロックを外す方法。
ハンドヒーリング。
今こうして並べてみると、自分でも少し笑ってしまう。
当時の裕子は、とにかく何かを探していたのだなぁと。
結局どれも極めることはできなかった。副業にすることさえできなかった。裕子にとっては、趣味の範囲を超えることはなかった。
ちょうど更年期で仕事が続けられなくなり、一度目の退職後のことでもあった。十年間勤めた職場を退職したことで、少しまとまった額の退職金が入った。裕子はこれらの習い事でその退職金をほぼ溶かしてしまった。
今でも気になれば教科書を引っ張り出して読み返し、学び直すこともできる。しかし、そんなことをやりたくなるほど裕子は困っていなかった。
自分をよく知るという観点では、役に立ったかもしれない。
自分には向いてなかったんだと選別できたから。
ただその経験の中で、今でも「まさか」と思っていることが一つだけある。
それは、先生によれば誰でも簡単に習得できることが、裕子にだけはどうしてもできなかったからだ。困った先生は裕子の手に触れ、しばらく沈黙した。
そして突然、
「あ、何か見えてきたぞ」
と言い、裕子の過去生について話し始めた。
裕子はエジプト時代に優秀な神官だったそうなのだ。あまりにも優秀すぎたため妬まれてしまい、他の神官に第三の目を封印されたそうな。
優秀な神官だったなんて信じられるものか。本当にそうなら嬉しい限りだ。だが、本当に第三の目を封印されているとしたら、どうすればいいだろう。
裕子は、たくさんの龍に守られているという話も、かつて神官だったかもしれないという話も、心の奥にしまい込み、忘れるように生きてきた。
だが、第三の目を封印されているかもしれないという話だけは違った。
6.超越瞑想
裕子が気になることを片っ端から学んでいたとき、さまざまなヒーリングを受けたり、チャネリングの会に参加したこともあった。
仕事を体調不良で退職した直後だったこともあり、とにかく現状を変えたかった。心の苦しみからも逃れたかった。そして何よりも自分を知りたかった。
そんなとき、講座で知り合って仲良くなった友人から「私は瞑想をしているのよ」と聞いた。
裕子は瞑想と聞いて思い出すことがあった。それは以前参加したチャネリング会でのことだ。
裕子はそこで、「どうすればもっと自分を高めることができますか」と質問した。するとチャネラーは、膝の上で片方の手をもう片方の手に重ねるような仕草を繰り返しながら、こう言った。
「メディテーション」
「メディテーション」
瞑想が良さそうなことは何度も耳にしてきた。だけど、やり方がわからなかったし、どうやって学ぶものなのかも知らなかった。
同じことに興味を持ち、一緒に学んできた友人が瞑想をしていると聞くと、もっと詳しく知りたくなった。
その友人は瞑想の先生のチラシを見せてくれて、その場で先生に電話をしてくれた。すぐに説明会に参加する約束をした。
説明会で先生のお話を聞いた。内容は悪くなかった。だけど、すぐには信じられなかった。瞑想を習うにはある程度の費用も必要だったし、一日で終わるものでもなかった。
説明会の帰路、車の中でいろいろ考えた。不安もあった。本当に大丈夫だろうか、とも思った。
だけど、人生の中での一度目のスランプ期を乗り越えたかったし、瞑想をして自分をもっと高めたいとも思った。
裕子は先生の話を信じてみることにして、勇気を出して瞑想を習うことにした。
帰宅してから、すぐに先生に電話をして日程を決めた。
これが裕子と超越瞑想の出会いだった。
超越瞑想ではまず、マントラという短い言葉が与えられる。
先生は数多くあるマントラの中から、その人に合ったものを選んで伝授していた。どのように選んでいたのかは分からないが、当時の裕子には不思議な仕組みに思えた。
マントラを授かると、心の中でそのマントラをふわっと思うだけで、心の奥深くにある場所へ連れて行ってもらえるそうだ。
実際にこのマントラ瞑想を行ってみると、とても心地よく、穏やかな気持ちになれた。裕子は、毎日瞑想することが欠かせない習慣になった。
怒りの閾値も高くなった。怒りが全くなくなるわけではないが、家族も驚くほど穏やかになれた。
今まで習ってきたどんなことよりも、超越瞑想は裕子にとって効果的だった。
裕子は超越瞑想の上級コースとその上のシダーコースも順番に学んでいった。それらのコースは開催日程がある程度決まっていたので、全部を学び終えるには、それなりの月日が必要だった。
上のコースを学ぶごとに、裕子の人生も少しずつ開けていくように感じた。実際に良い出来事もたくさん起こった。
一番印象的だったことは、「必要なお金を下さい」と真剣に願った翌日に、予想もしていなかった形でまとまったお金が口座に振り込まれたことだった。
そのお金の一部で家族にもマントラを伝授してもらえた。しかし、裕子以外の家族は瞑想を続けようとはしなかった。
超越瞑想を学んでいる間、裕子の関心はさらなる上のコースを受けることや、関連するアーユルヴェーダなどに移っていった。
引き寄せや量子力学、スピリチュアルへの興味も薄れた。
だから、赤いポールのことも長い間忘れていた。
もっとも、その言葉が本当に消えてしまったわけではなかったのだが。
7.三つの神棚
裕子は若い頃から神仏に手を合わせるのが好きだった。それが高じてか、今では家に三つの神棚がある。
一つ目は、宇宙や存在、ソースなどと呼ばれる、この世界の源にあるエネルギーへ感謝を手向けるためのもの。
ヴェーダではこれを非人格神と呼ぶ。
二つ目は、神社で祀られているような人格をもった神さまに感謝を手向けるためのもの。裕子が守護神だと感じている存在も、この人格神に含まれている。
三つ目はご先祖さまに感謝を手向ける場所。
これらの神棚は一度にできたわけではない。時の重なりとともに今のカタチになった。
一つ目の神棚を自宅に作ったのは、両親の大反対を無視して結婚を決めたすぐ後だ。確か六月の終わり頃だったと思う。
当時の裕子は神さまが大好きだった。そう、それは、目に見えない何かが自分を救ってくれると信じていたからだ。
どんな神棚にしようかと探していたとき不思議な体験をした。仏壇店で大きな神棚を見つけて帰った日のことだった。まだ購入する前のことである。
裕子はこんな声を聞いた。
「それに入れるほど小さくない」
これには本当に驚いた。
裕子は大きな神棚を買うのはやめ、高い位置に棚をつくり、神道式のお供えに使う三方(さんぼう)と、対になったロウソク立てを置いただけのシンプルなものにした。
神棚を作った場所は朝日の見える方角。
かくして裕子は、家族も巻き添えにしながら、毎朝、朝日の登る空に向かって祈る日々がスタートした。
裕子は当時祈りながら、「自分は一体何に対して手を合わせているのだろう」といつも思っていた。東の空なのか、宇宙なのか、それともどんな神なのか。よく分からなかった。今の形になるまでは。
その神棚には毎月はじめにご馳走が並んだ。いわゆる月次祭を盛大に行っていた。お餅、海のもの、山のもの、果物、甘いもの。当時はかなりギリギリの生活であったが、このお供えものを買うときだけは財布の紐をゆるめ、"偉大な神さま"に相応しいと思える最高のものを選んだ。
神棚に並ぶ甘いものは、あるとき和菓子からケーキに変わった。いろんなショートケーキを10個も買うと、当時でも三千円くらいはした。家族の誕生日でもないのにケーキを買うために出す金額としては大きな支出だったと思う。
果物もできる限り上等なものを選び、海のものは鯛を一匹お供えすることが多かった。そのお魚は鮎にかわることもあった。
トータル八千円から一万円の支出であった。当時の裕子は、それほどまでに神さまに従順であったのだ。
しかもそれは、裕子の中だけに存在する特別な神さまでもあった。そのことは誰にも話していなかった。だが心の奥では、少しだけ自慢したい気持ちもあった。
今思えばそれは、古代から受け継がれてきた、目に見えない何かに対する畏敬の念の体現だったのかもしれない。
月次祭のあとにケーキを食べることは、毎月一度のイベントのようなものだった。家族全員でジャンケンをして、勝った者から好きなケーキを選んだ。または、一番食べたいケーキを、「せーの」で全員が指差して決めたりもした。子どもたちが大喜びしていたのは言うまでもない。
その習慣の中で育った子どもは、何かお祝いごとがあるたびに、たくさんのショートケーキを用意しているようだ。まるでケーキバイキング。健康面を考えると、いかがなものかとも思える。だが、お祝いのイベントに添えられる花より団子精神は、喜びの心を増やし、よい気の流れを生んでいるかもしれない。
それから月日は流れ、子どもたちがみな巣立った頃に、神棚は三つになった。今では盛大な月次祭はやらないし、神棚にお三方もロウソク立てもない。特別に手を合わせることもしなくなった。だが、炊きたてのご飯だけは必ずお供えしている。甘いものを買うときも、その数は三つ以上のことが多い。神棚に手を合わせることを特にしなくなっても、目に見えない存在たちに対する感謝の念だけは消えなかった。心の中ではいつも合掌しているのだ。
若い頃は修行と研鑽の日々のような堅苦しさがあった。神さまに近づこうと必死だったのかもしれない。
だが時を重ねるごとに、その思いは少しずつ変わっていった。今はただ、目に見えない何かと共に生かされていることに感謝している。
8.二つの教え
裕子が結婚を決め、自分なりの神棚を作った頃のこと。"偉大な神さま"から裕子に届いていた二つの言葉がある。
一つ目は戒めであった。それは、
「慢心するな」
慢心すると必ず没落し、変な世界に迷い込む。そんなイメージとともに裕子が常に受け取っていた言葉だ。これは裕子が最初に神様から告げられた、最も重要で基本的な教えだった。裕子はこの教えを深く心に刻んだ。
実際に、もてはやされた後に道を踏み外してしまったのだろうと思える人たちを、裕子は何人か見てきた。だから、「この人は少し慢心しているかもしれない」と感じる人には、距離を置きたくなることもあった。まるで天狗のように偉そうに自分を持ち上げて語る人とは一線を画したかった。
そんなわけで誰かから、まるで"すごい人"であるかのように語られても、鵜呑みにできなかった。それらの言葉を百パーセント信じてしまえば、どこか間違えてしまいそうだったから。
それに加えて、裕子には何ら特別な能力があったわけでもない。だから余計に「信じられない」という気持ちと、頑なに「信じたくない」という強い気持ちがあった。
もう一つの大切な教えは、
「人智を尽くして天命を待て」
だ。この言葉を聞くと、誰もが「おやっ」と思ったはずだ。広く知れ渡っている慣用句では「人智」ではなく「人事」だから。でも、裕子には「人智」と、どうしても聞こえていた。
裕子なりに調べてみると、「人事」には人の配置や人の務めといった意味があることを知った。だが、裕子の感覚とは少し違っていた。
裕子が受け取っていたのは、「やれるだけやって、努力した後は神に任せなさい」そんなイメージだった。
裕子は、「だから人事ではなく人智なのだろう」と思った。
この二つの教えは、裕子の心に常にあった。それは、間違わないためと、自分を励ますためだった。
だから誰かから、「まさか……」と感じるような裕子を持ち上げる表現を聞かされても有頂天にならずにすんだ。
困難に直面したときは、「やれるだけやってみよう」と自分に言い聞かせながら乗り越えてきた。そして探究を続けることもできた。
しかし、長い間祈り続けていれば、中だるみのような時期もあった。
「自分は一体何をやっているのだろう」
「これは何のためなのだろう」
そう思うことも何度となくあった。それでもやめられない気持ちがどこかにあった。
そして長い間わからなかったことが、還暦を前にしてようやく少しずつ見え始めた。
裕子が胸の奥に"あるこころざし"を抱いてから、三十年以上が経過していた。
9.こころざし
裕子は、結婚を決めた頃に神棚を作ったとき、一つの願いがあった。それは、「この地上をもっと素晴らしい世界にするために、自分も何か貢献したい」そんな想いだった。
「どうすれば貢献できるのだろう」
「神様に使ってもらうには……」
そんな問いのような祈りを持ち続けてきた。
裕子は若い頃、「地上天国」という言葉や、「三六九(みろく)」「弥勒菩薩」といった言葉に強く惹かれていた。そこに込められた数字の不思議さにも心を動かされた。
神棚を作ったのも、何かよく分からないままでのスタートだった。けれど、その分からなかったものへの探究心と畏敬の念、手を合わせたい気持ちだけは、長い間消えることはなかった。
裕子は神さまを「みろく様」と呼んでいた。どんな神様かを誰かに説明することは難しかった。だって裕子は、何もない空や宇宙に向かって祈り始めたから。そこに何があるのか、どんな意味があるのか分からなかった。
だけど東の空に手を合わせずにはいられなかった。
裕子は長い間「使ってください」と祈り続けた。
今では、そんな祈りすらしなくなった。祈らずとも、それが裕子という人になっていたから。
祈らなくなっても、どこかで誰かの役に立ちたいという思いは消えなかった。
そして今では、その頃の想いを懐かしく振り返れるようになった。
なぜそこまで強く願っていたのか。それは、若い頃からさまざまな教えに触れる中で、腑に落ちないものや、どうしても埋まらない「何か」が残っていたからだ。
「本当のことを知りたい」
「本物を伝えることができるようになりたい」
「何か新しいものを生み出したい」
そんな想いだった。
それらを振り返ったとき、「あの想いは若いころに抱いた
"こころざし"だったなぁ」と思うのだった。
その"こころざし"はいつしか裕子の中で「到底実現できそうにないもの」として認識されていった。
だから、若い頃に最も成し遂げたいと強く思っていたことは、少しずつ心の中での存在感をなくしていった。最近ではすっかり忘れていたと言ってもいいかもしれない。
この本の冒頭でお話しした、あの並行世界体験をするまでは。
10.じいや
数年前のある日のこと、突然「じいや」と聞こえてきた。
裕子はすぐにこう思った。
ーー守護神様が「じいや」と呼んで欲しいのかな。
裕子の脳裏には、若い頃からたびたび思い浮かんでいたおじいちゃんの姿が浮かんだ。
白髪で、長い白髭をたくわえ、右手にはのの字の杖を持っている。くるぶしまで届く白い衣を纏ったおじいちゃんだ。
ときどきそのおじいちゃんは、のの字の杖を振り回して「えい、やー」と何かをしていた。裕子の中では、まるでアニメのように、映像が浮かんでいた。少ししゃがんだかと思うと、ビューっと高く飛び上がったり、縦横無尽に空間を移動したりもしていた。
すると、ある神さまの名前が浮かんできた。「◯◯さまですか?」と裕子が尋ねると爺やは肯定した。
裕子は真っ先に質問したいことがあった。それは、何年も心に引っかかっていたことだ。
「ワタシの第三の目はまだ封印されていますか?」
爺やはまた肯定的に答えた。
その日から、裕子はいつも爺やの存在を身近に感じるようになった。
裕子は今まで、どこか普通の人と好きなことや興味などが違うことに寂しさを覚えることもあった。
しかし爺やとの対話が始まってからは、その寂しさが少し柔らいだ。いつも爺やがそばにいてくれるという安心感があった。
文章を書いていると、いつの間にか爺やの言葉を書き留めていることもあった。裕子自身が知らなかった内容まで書いていることもあった。
最初のうちは、爺やの言葉を受け取ることに難しさを感じていた。聞こえるときと、全く聞こえなくなるときもあった。
そして裕子は爺やの勧める方法で第三の目の封印を解いていった。爺やによると、今は裕子の第三の目の封印は解けているという。
だが、その方法はどこか裕子が思い描いていたスピリチュアルとは違っていた。
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