ポタージュスープは、ママの味方。
ワタシには、もうすぐ2歳になる孫がいる。ものすごく可愛い女の子だ。……まぁ、いわゆる婆バカなのだが。
ワタシがスープメーカーを使い始めた頃、あるメニューが生まれた。
「ポタージュ味噌汁」だ。
野菜と水を入れ、スープメーカーのスイッチを押す。ピーピーと音がしたら、少し冷まして、無添加の出汁と天日塩の米味噌で味を調える。味付けにはジュースモードを使う。とても簡単だ。
子どもが離乳食作りにスープメーカーを使っていたことが、ワタシがこの調理器具を知ったきっかけだった。
「いかにして乳児に野菜を食べさせるか」
それはママの切実な悩みでもあった。子どもから「お母さんのポタージュ味噌汁の作り方を教えて」とSOSが届いたとき、孫の食卓にワタシの知恵が貢献できていることを知り、胸が熱くなった。
離乳食から幼児期へ。このポタージュは、ママにとって「救世主」のような存在になるかもしれない。そう表現するのは少し大げさかもしれないが、わが子に野菜を食べさせる数少ない手段の一つになったことは確かだ。
ママは今でもポタージュを作り続けている。味噌から洋風の味付けに変わったようだが、「わが子に少しでも野菜を食べてほしい」という願いは変わらない。
女性は、娘から母となり、婆となり、やがて「グランドマザー」という存在へと昇華していく。
大きな愛で何もかもを包み込む、優しくて偉大な存在。人生の最終章にいる、穏やかな女神。そんなイメージだ。
ワタシが孫から「グランマ」と呼んでもらおうと決めた理由は、決して崇高なものだけではない。
「おばあちゃん」や「ばあば」と呼ばれるのが、どこか嫌だったのだ。イラストに描かれるようなイメージを押し付けられるのが、まだ受け入れられなかった。「まだまだ若い」そう思っていたから。
「なんて呼んでもらおうかな……」
天を仰いだときに浮かんだのが「グランマ」だった。
「グランド」という響きに、ワタシは大地、素晴らしいもの、壮大なもの、堂々とした立派な姿を重ねた。
「めっちゃいい。これにしよう」
そう決めたその裏側で、ワタシは大人になってからも解決できない問題を抱え続けていた。
社会に出るまで、ワタシは母親に対して従順だった。しかし独立してからは、母の言葉を素直に受け入れられなくなっていた。それは遅咲きの反抗期というより、もっと深い反発だった。
母親から禁止や命令をされるのが、嫌でたまらなかった。
喧嘩のたびに「もう帰ってくるな」と言い放たれた。
一度目は、親の反対を押し切って結婚したとき。
二度目は、会社を二週間休んで、瞑想の合宿に参加したとき。
「そんなことで会社に迷惑をかけるな。行くならもう帰ってくるな」
ーー親の忠告など聞いていられるか。
人一倍怒りっぽかったワタシにとって、怒りを鎮めることは人生の修行そのものだった。しかし、超越瞑想に出会い、マントラを授かった途端にその苦しみは軽くなった。家族も驚くほどの変化だったからこそ、さらなる上位資格のための合宿を断念することはできなかった。
三度目の大喧嘩は、一年前のこと。
更年期の体調不良から、まだ抜け出せずにいた時期だった。厳しい食事制限を自分に課し、必死に体調を整えていた頃。そんな中で迎えたお正月、実家への帰省。母の料理を食べられないワタシは、食べられるものを持参した。
詳細を語るには労力を要するほど、当時の外泊は大きなストレスを伴うものだった。
それから二ヶ月後、母から電話があった。お正月に帰省した時のワタシの食生活が気になったようで、母は「病院に行って検査しろ」と繰り返した。
当然、ワタシは拒否した。怒りがふつふつと湧き上がり、過去の記憶までが堰を切ったように溢れ出す。
「お母さんは、ずっとワタシをいじめてきたじゃない。あんなのと結婚して、とか、あれこれ言って……」
その後の会話は覚えていない。「もう二度と帰ってくるな。お兄ちゃんと妹がいるから、おまえなんかいなくていい」
ガシャんと、電話が切られた。
母の言葉をパートナーや子どもに話すと、みな一様に呆れた顔をした。
「またぁ?」
まさに、その通りだった。
それからしばらくして、ワタシは人生を変える調理器具、スープメーカーに出会った。
ポタージュを作り、大豆を丸ごと使った豆乳を飲む生活。それが、長らく喉に居座っていた「おもりのような違和感」を、すっかり消し去ってくれた。何をやっても取れなかった苦しみが、ひとつ消えた。
今年の春、再び人生の転機が訪れた。
穏やかな生活は当たり前のものとなり、お金の悩みも消え、体調不良も改善していた。
思えば、若い頃から願望実現力は高い方だった。親が大反対するような男性と大恋愛して結婚できたほどだから。アラカンになるまで、たくさんの願いを叶え、やりたいことはやり尽くした。
「もういつ死んでも後悔はないな」
何気なく子どもに漏らしたら、泣きながら「そんなこと言わないで」と止められた。
それならば、生きている限りは子どもと孫の笑顔を見て幸せでいよう。それが今の目標だ。
他になにか体験したいことはあるだろうか、と想像を巡らせたとき、誰もが一度は夢見る願いが浮かんできた。
「宝くじの高額当選を経験してみたい」
当時のワタシの頭の中には、「宝くじなんて当たるわけない」という先入観がこびりついていた。この思考のままでは叶うはずがない。まずは「宝くじは当たる」と本気で信じられるよう、思考改革に着手した。
YouTubeや書籍で情報を集めると、思考改革で人生を激変させた人や、宝くじの高額当選者が実在することを知った。そして、お金を引き寄せるためには「親子関係のクリアリング」が不可欠であるという真実に辿り着いた。
まずはお金への影響が強いと言われていた父親ワークを試した。これは驚くほど簡単で、すぐににこやかな父のイメージが心に現れた。
しかし、母への思いを変えるのは難易度が高かった。もう一年も、こちらから連絡をとっていない。当時のワタシには、母は「毒親」でしかなかった。
それでも諦めたくなくて、さらに調べていくうちに、兄弟の存在、強い反抗心、そして長年消えない怒りの因果関係に気づいた。自分の深層心理を理解できたとき、母への怒りは少しずつ和らいでいった。
けれど、どうしても拭いきれないモヤモヤが残っていた。そんなある夜、本で読んだ「水による浄化」を試すことにした。
大切にしていた水晶を手に取り、水を流しながら丁寧に清める。そっと握りしめて、お願いした。
「どうしても取ることのできない、母へのわだかまりを洗い流してください」
眠りについた翌朝、不思議なほど心が軽くなっていた。
そして、自然と心の奥底から、こんな想いが湧き上がってきたのだ。
「ああ、ワタシ、本当はお母さんのことが大好きだったんだ」
その瞬間、長年抱えていた心の重さが、まるで氷解するように消えていった。
大好きだったから、苦しかった。愛されたかった。分かってほしかった。
その純粋な気持ちに気づいたとき、母へのわだかまりは消え、代わりに感謝と尊敬が溢れ出した。かくして、母娘問題はあっさりと解決した。
「子どもに少しでも野菜を食べてほしい」
それは、母親という役割が始まったばかりの女性にとっての、共通の願いかもしれない。
ポタージュスープは、ワタシの心と体を癒すだけでなく、母親から子どもに注がれる愛をワタシに教えてくれた。
かつて娘だったワタシも、きっと同じような愛情を注がれて育ったのだろう。
できたての温かいポタージュスープをお気に入りのマグカップに注ぎながら、そう思う。
きのうちまみの背景にある物語を、もっと深く知りたい方は、こちらもあわせてお読みください♡
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