それぞれの毎日(2)浦安とみなと
みなとが警備員になってから、2ヶ月ほどたった。
「うーん。なんかビミョーだな~。連絡ないけど、今日やんのかね~?」
美樹は助手席にみなとを乗せ、徐々に強まる雨を眺めながら車を走らせていた。
結局、会社に着くまで美樹のもとには連絡が来ないままだったが、みなとが玄関のドアを開けて挨拶したとたん、大熊の明るい声が飛んできた。
「いやぁ、わざわざ1時間早く来てもらったのに、ごめんね」
「えっ……まさか」
謝られた時点で想像はついたものの、そう言わずにいられないみなと。
大熊の代わりに、給湯室からコーヒーを持って現れた小椋が、彼女に声をかける。
「おはよう。残念ながら中止だよ、お嬢」
現場が中止になると、稼働しないので当然ではあるが、会社に来たとしても日給は出ない。小椋はせめてもの思いやりで、みなとにコーヒーを差し出した。
「なぁ~んだ~、早起きしたのに~」
猫舌のみなとは熱いコーヒーに息を吹きかけながら、大熊と小椋、そして少し遅れて事務所に入ってきた美樹を見回すと、何かを企むような笑顔を浮かべた。
「じゃあ、せっかく来たんだし……」
みなとから遅れること20分。ドアの開く音がしたかと思うと、やや間延びした男の声が響いた。
「みなさ~ん、お~はよ~ございますぅ~。みなとちゃ~ん、会社に慣れたか~い?……って、じ、十分なじんだみたいだね……」
みなとの少し前に入社した、浦安という50歳の男は、ややヒキ気味に彼女の背中を見ていた。みなとの目が血走っている。
「ちょ!!ちょとまて!!つ、ツモったぁあっ!!」
みなとのただならぬ気迫に、小椋だけでなく大熊や美樹まで青ざめた。
「やった!!字一色!!役満!!朝からラッキー!!」
麻雀牌を見せ、関西の商人みたいな愛嬌を振りまきながら、全員の点棒を受け取るみなと。
「いやぁ、ありがとうございますぅ、ありがとうございますッ」
点棒がスッカラカンになった小椋の顔は、青白さも失っていた。
「オレぁ、事務に戻りますよ……こんなお嬢に負けるたぁ……」
「や~、誰だよコイツ採用したの……」
「あんただ、あんた。賭けてなくてよかったじゃん」
見る影もないほどがっくりと肩を落とす大熊に、美樹がすかさず笑いながらツッコむ。
「てか、なんで朝からみなさん麻雀やってんのォ?」
場の空気を読まずに浦安が尋ねる。みなとは、先ほどまでの気迫を忘れたような爽やかな笑顔で彼に挨拶した。
「あっ、浦安さんおはようです!わたしたちが行こうとしてた現場が中止になったから、1回だけやろうってことになって~」
「え~!!じゃあどーしてオレに中止の連絡なかったのォ?」
わざわざ弁当を作って雨の中を急いだ浦安は、中止を知っていたら会社に来る必要はなかったのにと落胆している。大熊は内心、新入り女のみなとに麻雀で負けて悔しかったが、すっぱり切り替えて、いつもの明るい声で浦安に言った。
「いやぁ、実力者の浦安さんには、ひとり現場に行ってほしいんですわ」
「えぇ~?実力者なんて、思ってもないこと言っちゃってるよ~」
大熊におだてられた浦安は、案外まんざらでもなさそうに目尻を下げる。
後ろから美樹が言う。
「そいで通り道だから、みなとさんを家まで送ってほしいのさ」
みなとも頭を下げた。
「ごめんなさい、面倒でしょうけどお願いします」
「いっ!!いやぁ!!ここまで頼まれたら、なんでもしまっせぇ!!」
ふたりの美女に頼まれ、喜んで引き受けた浦安だった。
「ちょれぇな、このおっさんは」
美樹が笑いをこらえて呟く。
「だ、だめ、中原さんっ。せっかくいいって言ってくれたんですから~」
有頂天な浦安にバレないように美樹を制し、みなとは笑いながら幹部たちに手を振った。
「じゃあみなさん、おつかれさまで~す」
「みなとさん、ばいびー」
「お嬢おつかれぇ」
「ごくろーさーん」
女性の多い職場特有のヘンなベタベタ感は、この警備会社にはない。
入った頃はどうなることかと思ったが、慣れると意外にも、みなとには合っていた。
みなとの自宅前まで来ると、浦安が少し寂しそうに言った。
「なぁんだ、今日はみなとちゃんと片交できると思ったのにさぁ~」
『片交』とは「片側交互通行」の略で、工事などで交通規制をかけている範囲の両サイドに立ち、互いの側にある車両を順序よく通行させることだ。歩道がふさがっている場合は、交通規制の範囲に入らないよう、歩行者通路への誘導も同時におこなう。なお、自転車は「軽車両」なので、車と同じ扱いだ。
みなとも、本当はこのおもしろい浦安さんと仕事をしたかったのだが、天気のせいだから仕方がない。
「残念でしたね。たぶん、そのうちまた一緒になりますよ。ありがとうございました。気をつけて行ってくださいね」
話が長引かないよう、車から出ながら礼をするみなと。
「うん。ぼくちん頑張る。またねぇ~!」
「は~い、さようなら~!」
みなとに「うぐいす警備」の、ひと癖もふた癖もある面々と親しむきっかけを与えてくれたのは、実はこの浦安だった。
――あの人がいなかったら、この会社になじむの大変だったかも。ほんと感謝してます。
遡ること2ヶ月前。入社して4日間は新任教育で、行きも帰りもひとりだったみなとは、このうぐいす警備の実情を、まだ何も知らなかった。
教育期間が終わった翌日、真新しい制服に身を包んで初出勤したみなとが目にしたのは、それまで想像していた警備会社のイメージとは、遥かにかけ離れた人々だったのだ。
――な、なぁにこれ……!?
雰囲気に圧倒されて置物と化す、みなと。彼女が見たものは……
――スモーク?空気が淀んで……ってか、異常にタバコくさッ……!!
同僚たちが吸うタバコの煙が、部屋全体を覆うほど大きな雲を作っている。
みなとは、公園や駅にあるガラス張りの喫煙所を連想した。中の喫煙者たちを見るたびに、檻に隔離されている動物みたいだと思っていたが、まさかタバコを吸わない自分が似たような空間に閉じ込められるとは、予想していなかった。
その「檻」の中にいる珍獣――先輩たちにも度肝を抜かれるみなと。
「はぁ~?所長~なに、今日のメンツ。これじゃ、俺が仕切んなきゃなんねーじゃん?メンドくせーなぁ~」
ソファにふんぞり返ってテーブルに両足を乗せ、あの大熊を相手に文句を言う若い男。
「も~、今日の現場、中止でよくね?」
「だよなー、帰ってライブ配信やりてぇなぁ。正直そっちのほうが儲かるし」
勤労意欲のまったく感じられない会話をして、笑い転げる者。
いろいろな隊員にすり寄っては、物乞いをする中年男もいる。
「なぁ、タバコ1本分けて?だめぇ?」
「まーたタカってんのかよ。俺だって最後の1箱だから、やらねぇよ」
あきれ顔の隊員に断られた中年男は、灰皿の吸い殻を物色すると、
「しゃーないな、じゃあ、この長めのヤツもらうか……」
誰が口をつけたかわからないモノを、ためらうことなく咥えて火をつける。潔癖なみなとには、信じがたいことだった。
女性の隊員も数名確認できたが、彼氏らしい同僚と体を寄せ合って話し込んでいる若い女性や、目つきがきつくて近寄りにくい、姐さんオーラを漂わせている女性ばかりで、誰もみなとの存在に気づいていないようだった。
――うっわ~……なんていうか、チンピラの集まりみたい……挨拶しなきゃだけど、どうしよ……
みなとが、とんでもない場所に来てしまったのかもしれない、と思いかけたとき。
「あ~ららら~、なんか、うちの会社に似合わない美人さんだねぇ~?どこのお姉さ~ん?」
後ろからやってきて、みなとを見るなり声をかけてくれたのが浦安だったのだ。細身の体で、背はそれほど高くない。少し垂れ目で気のいいおじさん、というのが、みなとが浦安に抱いた第一印象だった。
「は、はじめまして、仁科みなとと申します。今日からお世話になります。よろしくお願いします」
とにかく、誰かに気づいてもらえてよかったというのが、みなとの本心だった。浦安は目尻をさらに下げて話し出す。
「そうかぁ~、みなとちゃんね。よろしく~。俺は浦安っての。実は俺も1ヶ月前に入ったばっかなんだ。新米どうし、仲良くしよう」
浦安と話していると、ほかの隊員たちが聞き慣れない女の声に気づいたらしく、その場にいる全員の視線がみなとに注がれた。
「おっ?また新人かぁ~?しょちょー、俺にお守り押しつけんなよ~?」
ソファにふんぞり返っている若い男は背もたれに寄りかかったまま、さらに体を仰け反らせて毒を吐く。
「ほー、そこそこかわいいじゃん。なあ、何ヶ月で辞めると思う?」
「ん~、まぁ、2ヶ月続きゃマシなほうじゃね」
「じゃあ俺は、3ヶ月に千円」
ライブ配信がどうのと言っていた男たちは、みなとがいつ辞めるかで賭けを始めた。
物乞い中年男はサルのようなすばしっこさと人懐っこさで、あっという間にみなとと浦安のそばにやってきた。
「おっはよー。なぁに~?浦安ちゃん、この子新しい子?」
「そだよ~。きのう新任終わって、今日から現場だって」
「ふぅ~ん?」
興味津々といった様子で、サル――山野がみなとの顔を覗き込む。
――うはっ……この人、めちゃくちゃタバコ臭すごい……!
山野の顔が至近距離に迫ってきて、反射的に視線をそらすみなと。
しかし山野は気にも留めずに尋ねる。
「あんたさぁ」
「は……はあ」
――な、なんだろ……もしかして、さっそく因縁つけられてる?こわいんだけど……
怯えるみなとに、山野はのんきに笑う。
「タバコ持ってたら、分けてくんない?」
「げっ」
あまりに図々しい山野に、思わず声を漏らすみなと。
――そ、そーいやこの人、さっき汚い吸い殻、平気で咥えてた人だった……!!
目を白黒させるみなとを見て、浦安は山野を茶化すようにたしなめた。
「ちょっと山野さ~ん、ダメですよぉ。初対面の女性からタバコをもらおうなんて、厚かましいにもほどがありますよ~?」
「す、すみません、わたしタバコ吸わないので……」
みなとがすかさず頭を下げると、山野はつまらなさそうに顔をしかめたが、それでも諦めは早いほうらしく、サルのような顔で屈託なく笑った。
「ま、いっか。とにかく、これからよろしく~じゃね~」
山野はそれだけ言うと、ふらふらと大熊の席へ向かっていった。山野に話しかけられた大熊の眉間に、若干しわが寄っている。あとから聞いたところによると、大熊がああいう顔をするときは、たいてい山野に給料の前借りをせがまれているらしい。
「さてぇ?そろそろ無線の用意しなきゃね~」
楽しそうに言いながら、浦安はホワイトボードに目をやった。得意先の建設会社名と、メンバーの組み合わせがわかるようになっている。
「あっ!みなとちゃんは今日、小椋さんと一緒だね。うちの課長だよ」
同僚たちの強烈さに圧倒されて、幹部へのあいさつを忘れていたことを、みなとは急に思い出した。しかもみなとが小椋と顔を合わせるのは、この日が初めてである。
「あ……課長さん、いらっしゃるんですか?」
大熊にしても美樹にしても相当個性的なので、小椋はいったいどんな人間なのだろうと緊張しながら、おそるおそる尋ねるみなと。すると、浦安はわざとおどけて言ってみせた。
「えぇ?まだ会ったことない?小椋さんはねぇ、あすこでやっすいコーヒー飲んでる青白い人だよ」
「こらっ、人を顔色で紹介するんじゃない!!」
浦安の声に反応して、すかさず両隣3軒先まで届きそうなほど大きな怒鳴り声をあげたのが、課長の小椋である。
――わっ、すごい声……!!
だみ声とボリュームに驚くみなとだったが、声の主を見ると、少しつつくとポッキリ折れそうな細い人だったので、そのギャップについ、吹き出しそうになってしまった。ごまかすように、みなとは慌てて礼をする。
「あ……あの、小椋課長。今日からお世話になります、仁科です。よろしくお願いします」
「ああ、ついに今日から現場入りだね。しっかりやってもらうよ」
「は、はい」
なんとか笑いを感情の奥へ押し込んで顔を上げるみなとだったが、小椋にはバレていたようだ。
「てか、あんたさっき笑っただろ、笑ったでしょ」
「いっ、いえ、気のせいですよ、たぶん」
小声で尋ねる小椋に、みなとも焦って笑いながら小声で返す。
「やっぱ、笑ってねぇかい?まあ、いいけどよ~」
小椋は疑いのまなざしでみなとを眺めていたが、あまり話し込んでいると現場の集合時間に遅れてしまうので、さっそく指示を出した。
「じゃあ、手始めに無線の用意してもらいますかねぇ。オレの分も入れて2個ね」
「はい!」
元気に返事をしてみたものの、思えば無線がどこにあるのか、それすら知らないみなとだった。先ほどまでいた浦安やクセのある先輩たちは、いつの間に用意をしたのか、早々と車に乗り込んでいなくなっていた。
――えっと?どこにあるんだろ……
みなとがあたりを探して見つけたのは、充電器に刺さっているバッテリーだけ。本体の置き場所はわからなかった。
「あの~……無線って、どこにあるんでしょうか。バッテリーはわかったんですけど」
みなとがおずおずと尋ねると、大熊と美樹、小椋の3人が同時に声をあげた。
「あァ!?」
不意に3人の視線が集中して、身をすくめるみなと。
――え!?まさか怒られちゃう??やばい!?
小椋はいいとして、美樹と大熊に叱りとばされたら、立ち直れないような気がした。
だが、思い出したように大熊が切り出した。
「あ~!!申し訳ない、仁科さん!無線の使い方しか教えてなかったね!どこに置いてるか、言うの忘れてた!ほんとごめん!」
両手を合わせて謝る大熊。それを見て、美樹と小椋は呆れ気味に笑う。
「なぁーんだ。あんたが悪いんじゃねーか。ダメじゃん、ちゃんと教育のときに教えておかないと。なぁ?」
「くまちゃ~ん、頼むよ~?あやうく仁科さんのこと、怒るとこだっただろ」
みなとは、怒られずに済んで安堵すると同時に、幹部たちの砕けた会話を聞きながら、慣れたら案外打ち解けやすい人たちなのかもしれないと思った。それに気づけたのは、最初に浦安がフレンドリーに話しかけてくれたからだろうと、みなとは感謝していた。
