それぞれの毎日(4)堀田とみなと
「いやぁ~、ボカァ嬉しいな~」
唐突に後ろから聞こえてきた声に、みなとは背筋を震わせる。
――ぼ、ぼくぅ!?なに言ってんのよ、この声は十中八九……
みなとがゆっくり振り返ると、呑気に笑って立っていたのは、この日コンビを組む堀田であった。
――やっぱり~!ハラスメントじじい……いや。
「あら~、堀田のおじいちゃまぁ、おはようございますぅ」
わざとおちゃらけて堀田にあいさつをするみなと。もちろん、みなとが茶化して言っているのは、この人もわかっている。
背が低く、白髪頭でいかにも好々爺といった雰囲気の堀田は、みなとの頭にげんこつを下ろすフリをして笑う。
「こら!みなと。言うに事欠いて、おじいちゃまとはなんだ」
だが、みなとのほうが背丈はあるので、堀田のげんこつは彼女の頭に届かない。
「へっへ~ん、残念でしたぁ~。届かないでやんの~」
子どものような口調で堀田をおちょくるみなと。この隙だらけの老人を前にすると、なぜか彼女はからかいたくなるのだった。
「あ~悔しい~!今日はみなとと一緒で喜んでたのに~」
膨らませた白い顔の頬だけを赤くして、怒りのポーズをする堀田。それを見ながら小椋が言う。
「なんか、お嬢と堀田さんの掛け合いも、すっかり恒例になってきたよなぁ」
「そうか?なんなら、俺とみなとの固定コンビにしてくれてもいいんだよ」
鼻の下を伸ばして締まりのない顔で言う堀田に、みなとは容赦なく返す。
「えぇ~?わたしは毎日堀田さん相手ってのは、なんだかな~」
みなとの言葉が聞こえた美樹は、自席のノートパソコンに隠れるようにしてこっそり吹き出す。
「あーそうかいそうかい。あーあ。みなとに見放されたぁ。さみしい年寄りだなぁ、俺は」
申し出を即却下された堀田は、いじけた素振りをして、わざと泣きそうな声を出すが、ちっともかわいいものではない。
「まーた。そんな演技、わたしには通じませんからねぇ」
「ちっ、バレたか、みなとめ」
軽口を叩きながら空いている椅子に座る、みなとと堀田。
「堀田さん、無線用意できてますよ。予備のバッテリーもちゃんとあります」
「おお、さっすがみなと。気が利くねえ、ありがとう」
しかし、超がつくほどせっかちな堀田は、座って5分もしないうちに立ち上がる。
「じゃ、もう行こうか」
「えっ?今座ったばかりなのに……」
今回の現場は同じ市内で、開始時間もほかより遅めであることを知っていたみなとは、もう少しゆっくりしたいと思っていたのだが、堀田は急き立ててくる。
「でもほれ、コンビニとか寄らんでいいのか?」
堀田はどこでもたえずうろちょろと動いて、落ち着くことを知らない。座るみなとの周りをぐるぐると歩き回る。こうなると、獲物にたかるハエ以上にうっとうしい。この頃には堀田の習性をわかっていたみなとは、諦めて立ちあがった。
「そうかぁ……じゃあ、行きますか」
「ほかにも行きたいトコあったら、どこでも連れてくぞ」
堀田は機嫌よく、平気でとぼけたことを口にする。
「えぇっ??堀田さん?これから仕事なんですよ?」
「まーまー。早く行こう、ほれほれ」
呆れるみなとを促しながら、ここぞとばかりに彼女の背中に触りまくる堀田。
「こらー!!堀田さん、それセクハラ!!」
「やだなぁ、中原ちゃん。わかってるよ~」
「ったく、このエロじじいは……」
「なんのことかな~」
美樹が目ざとく見つけて注意しても、全然懲りる様子のない堀田だった。
「それじゃ。所長、小椋さん、中原さん、行ってきまーす!」
まともにつきあっていても仕方がないとわかっているので、みなとは幹部たちにあいさつして外へ出ていった。
「みなと~、待ってくれぇ。置いてくなよ~」
哀れな堀田は目の前でエレベーターの扉を閉められ、泣く泣く階段を下りたのだった。
「ところで、今日は駐車場での誘導だって聞きましたけど、具体的に何するんですか?」
みなとは工事現場での片交は慣れてきたが、駐車場での仕事はこの日が初めてだった。しかし、60代後半にもなって大人げない堀田は、階段を歩かされたことをまだ引きずっていて、むくれたままなかなか教えようとしない。
「さぁね~、知らないね~。行ったらわかるんじゃないの~」
「ちょっと……!!なに?あれぐらいで、まだイジケてんですか?困った人ですねぇ~」
「意地悪な人に教えることはありませーん」
棒読みで答える堀田に、みなとは確かに少しやりすぎたかもしれないと思い直して、謝ることにした。
「もー……わかりましたよ、さっきはすみませんでした。ごめんなさい、わたしが間違っておりましたっ」
「ふむ」
助手席で頭を下げるみなとを見て、いくらか怒りがおさまったのか、堀田はいつもの調子に戻って説明を始めた。
「んっとね。やることはそんな難しくないの。駐車場の中から出ていきそうな車を探して出口方面に誘導して、空いた場所に車を入れるだけ。優先するのは駐車場から出る車。先に入れちゃっても、満車だと駐車できる場所ないからね」
堀田は抜けた顔をしているが、実のところ、うぐいす警備の若草営業所内では一番の古株だ。もともとは本社に籍を置いていたのだが、若草営業所ができたときに異動してきた、ベテラン中のベテランなのである。そのため、仕事内容の説明はとても簡潔でわかりやすい。普段は茶化してばかりのみなとも、こういうときの堀田には一目置いている。
「ふーん、確かに難しいことじゃなさそうですね」
だが、納得して頷くみなとに、堀田は少し引っかかることを口にした。
「たぶん、俺と行くってことは、そんなに広い駐車場じゃないはずだ」
「たぶん?はずだ?って……どういうことですか?」
切れ長の瞳を見開いて眉を寄せるみなとに、他人事のように告げる堀田。
「話によると、今日オープンする店の駐車場らしいんだな」
何食わぬ表情で、堀田はのんびりと話す。一方、みなとの不安はだんだん大きくなっていく。
「え……?あの、参考までに、なんてお店ですか?」
みなとは前日のローカルニュースで、某有名チェーンのデパートがこのベッドタウンに華々しくオープンする、という話題を取り上げていたことを、不意に思い出した。
――なんとなく、不吉な予感が……
堀田が店名を答えた瞬間、みなとの頭は稲妻に貫かれたようにショートした。
「はわわ……!!」
「なんだ??急にどうした、みなと!?」
「ほ、堀田さん……わたしたち、今日生きて帰れないかも……っていうか、堀田さんともあろう人が、あの超有名デパートを知らなかったなんて……」
愕然とするみなとに、堀田はどうってことないと言わんばかりに胸を張る。
「はぁ?どんなに店が有名だろうが、問題なのは駐車場の規模だぞ?」
「それがね、堀田さん……」
これからの業務を想像するだけで、みなとの震えは止まらない。
みなとがローカルニュースで聞いていた情報を伝えると、今度は堀田が腰を抜かした。
「なにィ!?300台分あるってのかぁ!?」
「このあたりは、土地だけならバカみたいにありますからね……」
だだっ広い駐車場をこの少ない人数で駆けずり回ることを想像した2人の顔は、すっかり青ざめていた。
「あ……あいつら、よりによって、そんなところに俺とみなとだけを……」
大熊や小椋、美樹の顔を思い浮かべて、苛立ちを隠せずにいる堀田。
「今日が初日でしょう?たぶん町のヒマ人、みんな集まりますよ。大丈夫かなぁ……」
それでなくても初めて経験する業務なのに、恐ろしく混みあうのがわかりきっている場所へ放り込まれると知ったみなとは、とにかくこれからの8時間を完遂できるように祈るばかりだった。
2人が沈痛な面持ちで店の詰所へあいさつに行くと、駐車場一帯を仕切っている50代ぐらいの男性が、陽気な笑顔で迎えてくれた。
「どうも、今日は駐車場警備のお手伝いをしていただけるそうで、ありがとうございます」
「は、は……あ」
堀田はすっかりやる気をなくしてしまったらしく、声を絞り出すのがやっとだった。
「なんせ初日ですからね。お客様もどのぐらい来るのか想像つきませんで。どうぞよろしくお願いいたします」
それでも気にせず話し続ける男性。堀田を見かねたみなとは、カフェ時代に培った度胸のよさを発揮して、堂々とあいさつをした。
「はい、こちらこそお世話になります。精一杯務めますので、どうぞよろしくお願いいたします」
みなとのビジュアルと立ち振る舞いを見て、男性は感心したように言う。
「ほう。あなたはうちの売り場に似合いそうな方ですねえ。もし転職したかったら、いつでも言ってください。上の者に伝えますから」
「ありがとうございます」
みなとは穏やかな笑みを浮かべたが、内心、デパートの売り子も女性が多いし、もう人間関係でゴタゴタするのはごめんだと思っていたので、あっさり断った。
「そうおっしゃっていただいて嬉しいのですが、わたし、今の仕事を気に入っておりますので」
「なるほど……それでは、持ち場の説明に入りましょうか」
男性の説明を聞いているうちに、心配でたまらなかったみなとと、ふてくされ気味だった堀田は安堵の表情に変わった。
「よかったねぇ、堀田さん。2人だけで300台全部見るとかだったら、どうしようかと思いましたよね」
男性の説明によると、駐車場は6ブロックに分かれていて、うぐいす警備の2人でそのうち1ブロック、つまり50台分を担当してほしいとのことだった。
「50台なら、きっとなんとかなりますよね。わたしは初めてだけど」
「俺は最初っから、そんなこったろうと思ってたよ?それぐらいなら大丈夫だろ」
「えぇ~??うっそだぁ。堀田さん、あの人の説明聞くまでやる気ゼロだったくせに」
すべての流れについての打ち合わせが終わると、店のほうで用意した無線が、リーダーの堀田に手渡された。詰所を出て、持ち場に歩いていくみなとと堀田。しかし……
「ちょっ、ほ、堀田さんも少しは動いてよ!!さっきからっ、無線で……!わたしに指図ばっかして!!」
数時間後、息を切らしながら無線で怒鳴るみなとがいた。
有名デパートの初出店とあって、みなとが想像していたとおり、この町の人間はもちろん、隣接する町の人々まで押しかけてきて、彼女は休む間もなく対応に追われるハメとなった。
「みなとが動くの、当たり前だろ~?年寄りに向かって、この駐車場を走り回れっていうのかぁ~?」
常に駐車場の端から端まで走り回っては誘導棒を振り回すみなとに、堀田は呑気にとぼけた声で返す。
「ほれほれ、奥の空いてるところに1台行かせるぞ~誘導頑張れ~」
――ぐぁ~!!むっかつく――!このサボり魔!セクハラじじい!!
そう叫びたいのを我慢して、たえず出入りする車を誘導し続けるみなと。
「あーもう、わかりましたよぉ!!もうちょいしたら、手前から2台出ていきますからね!それぐらい見てくださいよ!?」
「ふーん。別に大丈夫だもんね~」
おちょくるような堀田の口調に、みなとの苛立ちは倍増する。
堀田は、ベテランで仕事内容のすべてを把握している分、手の抜きどころもわかっている――早くいえば、サボることが得意なのだ。今回も、駐車場誘導を初めて経験するみなとが相方であるのをいいことに、自分はラクできるように出入口周辺、それ以外は彼女に誘導してもらうと強引に決め、無線で指示して振り回しているのだった。
「何事も経験だよ、みなと」
急にそんな無線を飛ばしてくる堀田。
「自分はラクしてるクセに……やかましいわ……」
開店時間から走り続けているみなとはもう、ぐったりした声で返すのがやっとだった。
「つーわけで、あと1時間がんばろ~」
わざわざみなとから見える位置まで入ってきて腕を振り上げ、からかうように舌を出して笑うと、堀田はさっさと逃げていく。
「もうやだ、このじじい――!!」
堀田の無線から、みなとの叫び声があたり一面に響きわたる。あまりの音量に、堀田は思わず無線の電源を切りそうになった。
――な、なんだかみなとのヤツ、中原に似てきたなぁ~……
最後の1時間も車の出入りは一向に減らないまま、ようやく駐車場での一日が終わった。
「堀田さんったら、わたしばっかりこき使って、ひどかったんですよぉ~!見てくださいよ、今日だけで3万5千歩ですよ??」
「うわぁ~、こりゃオレなら明日筋肉痛だァ」
「すっげぇじゃん、50台の駐車場でこんなに?みなとさん、かなりがんばったな!」
歩数計の数値を見せられた小椋や美樹が、みなとの苦労をねぎらう。
「とにかく、初日だけでホントよかったぁ~!明日もだったら足腰立たなくなっちゃいますよ~」
ソファにもたれて座り込むみなとに、悪びれる様子もなく無邪気な笑顔で話しかける堀田。
「いやいや~。それにしても今日のみなとちゃんは、大活躍だったねぇ~」
「みなとちゃんとか、気色悪いなあ、もう。どっかのじいさまが動いてくれてたら、わたしも少しは休めたんですけどねぇ~?」
すっかりくたびれていたみなとは、きつい皮肉とともに堀田を睨みつけていた。けれども、堀田はある程度自覚していたので、笑顔を崩さず続ける。
「だからねぇ。今日頑張ってたからさ、帰り送っていってやるよ」
「えぇ~??いいですよ、別に~。中原さんが終わるの待って、一緒に帰るから」
顔をゆがめて断ろうとするみなとだが、堀田も食い下がってくる。
「そんなこと言わないでさ。ほれ。ついでに、みなとが行きたがってた24時間営業のディスカウントストアに連れてってやるから。な?」
車の運転ができないみなとは、駅やバス停から離れた大型店に行く機会は滅多にない。会社と現場との往復でそういう店のそばを通るたび、行ってみたいと思っていた。それを感じ取っていた堀田は、大型店を餌にしてお気に入りのみなとを誘っているのだ。
「えっ?ホント?」
「ああ、いいよ?車だったら買いだめもできるし」
「そっかぁ。どうしよう、行ってみたいな~……?」
少し本気で悩み出したみなとを見て、美樹が慌てて声をかける。
「そっ、そーだ、みなとさん!ダメだよ。オレと焼肉行く約束だろ!!」
いくら堀田が高齢者といっても、油断はできない。堀田のストライクゾーンは異常に広いのだ。堀田はもちろん妻帯者だが、彼の妻はなんとまだ30歳。みなとより年下なのである。
――昼間ならまだいいけど、今日は遅いから用心するに越したことはねぇ。
「なっ、堀田さん。明日の現場は早いんだから、寄り道しないでまっすぐ帰る!!」
堀田の顔に指を突きつけ、美樹は翌日の予定が示されているホワイトボードを顎で示した。
「あ~あ。はいはい、わかりましたよ。中原先生」
堀田は現場と時間を確認してため息をつく。
「先生ちげぇし」
「じゃあ帰るから。おつかれさま。みなと、またね。今日はどうもね」
「堀田さん、ばいばーい」
みなとのあいさつを背に受け、堀田は少し気落ちした様子で事務所をあとにした。
「んーと?わたしは……?」
ホワイトボードに視線を移しかけたみなとに、小椋は笑いながら言う。
「お嬢は明日休みだよ。堀田さんにこき使われたんじゃねぇかと思ったから、くまちゃんに言って外してもらったんだけど、想像どおりだったな」
「あ~!小椋さん、ありがとうございます。実は、明日こんなんで仕事できるか、心配だったんですよ~。よかった~」
小椋とみなとが話していると、大熊が大きなテーブルの上にコンロをセットし始めた。その後ろから、上機嫌の美樹が肉の載った大皿を持ってくる。
「えっ!?ん?なに始めるんですか?!」
驚いたみなとが尋ねると、美樹は大皿をテーブルに置いて楽しそうに答えた。
「ほら、さっき言っただろ。焼肉パーティーだよ」
「えぇっ!?あれ、堀田さんへの口実じゃなくて、ホントだったの??」
みなとは、焼肉の約束などしていなかったので、美樹が堀田を帰らせるために言ったのだろうと思っていた。そのあとの説明は大熊がしてくれた。
「いやぁ、これね。今日夜勤に行く連中のために用意したんだよ。勤務時間長くなるから、気合い入れてもらうつもりでね。たぶんそろそろアイツら来るんだけど、仁科さんも疲れただろうから、一緒に食べていきなよ」
「いいんですかぁ!?やった~!!」
思わぬ誘いに目を輝かせるみなと。噂をしていたら山野と浦安のおとぼけコンビと、若手の実力派がぞろぞろやってきた。
「おっつかれさまでぇ~す!あ、あれぇ?みなとちゃん?なに、夜勤に来てくれんの?」
さっそく浦安が声をかけてきた。
「ま!!まさかぁ、今日は駐車場でクタクタですよ~」
みなとが言うと、いつか大熊と対等に話していた若い男、須藤がニヤついて口を開く。
「なーんだ、駐車場ごときでダレてんじゃねーよ。さすがおばちゃんっ」
「な、なによ~!来ていきなり『おばちゃん』はないでしょ~!?」
「俺より年上なんだから、立派におばちゃんだろーがよ」
黒髪を長めのツーブロックにした須藤は、口や態度は悪いが、端整な顔立ちをしている。みなとはつい、思いのままに言ってしまう。
「黙ってればモテるだろうにね~。須藤さん、ガラ悪いからな~」
「お、おまえなあ」
須藤は怒ってみせるものの、みなとは怖くなかった。須藤と何度か仕事をするうちに、彼は意外と面倒見がよく、誰よりも優しい男だとわかったからだ。
「おつかれっすー。焼肉マジだったんだぁ~」
全員が席に着くと、大熊がソフトドリンクの缶を手に、音頭を取った。
「みんなそろったね!今夜の現場はかなりハードらしいから、じゃんじゃん食べて、いっぱい動いてきてください!!」
大熊の声を合図にして幹部やみなと、隊員たちは好きなソフトドリンクを選び、好みの肉を焼いて次々に食べ始めた。いつもは換気扇を回してもタバコのスモークが消えない部屋だが、今は焼肉のおいしそうな匂いがあたりを満たしている。
――こういうスモークならいいな。お肉もおいしいし。労働のあとの焼肉パーティー最高だね!
すっかり打ち解けた幹部や隊員たちと楽しいひとときを過ごしながら、次の出勤日を心待ちにしているみなとだった。
