私たちは、「いらない人間」なのか。
日々、生きていると感じる。
私たちは、「いらない人間」なのか。
私たちは、中小企業で約10年勤めている。8時から19時頃まで、土日祝以外働き、手取りは約20万弱。日本を取り巻く円安、物価高、原油高等もあり、会社の業績は下がり、賞与はカットされ、今後は減給もあるのではないかと、震えている。私たちの仕事は、無価値なのではないかと怖くなる。
「嫌ならやめろ」と、おっしゃる方もいるが、それで仕事を辞めるなら、教師や保育士、介護士、警察や自衛隊、等々…、その方々が世の中からいなくなってもいいのだろうか。嫌でも、世の中での自身の役割や責任を果たそうと頑張る方がたくさんいる。「嫌ならやめろ」という言葉は、よりお前は「いらない人間」と、言われている気持ちになる。
地域の方や、他社の方、テレビに出ている人を見ていると、私たちの行けない場所や買えないもの、見ることのない世界の話がたくさんあり、同じ世界を生きているのかと疎外感を感じることがある。特に、政治の話を聞いていると、私たちはいらない人間なのではないかと強く感じることがある。世界や、日本のなんの力にもなっていないのではないかと感じる。
世界を見渡すと、私たちよりも過酷な環境で生きる方がたくさんいる。食べるものもない、住む家もない、飲む水もない、暑い、寒い、災害で人が亡くなり、戦争で人が死ぬ、そんな中、一生懸命、自分が「いらない人間」かどうかを考える、そんな無駄な時間を過ごす暇もなく、ひたすらに生きる人がいる。
そんな私たちが未来のためにできることはなんなんだろうか。
ただただ、日々の役割と責任をこなし、1円の募金、落ちてるゴミを拾う…等々、できることをできる限りやるしかないのだろう。そして、私たちは、「いらない人間」ではないと信じて、小さな小さな小さな価値を、未来のために作り続けるしかないと思っている。
追伸
令和8年熊本地震にて、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
改めて、自分たちに何ができるのか。考えて行動して生きてまいります。

