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Bistro 陽炎 〜負け犬のくせに、味だけは一流です〜 1話+2話 


【あらすじ】

ここから始まるのは、“異世界Bistroファンタジー”。

現代・六本木の三つ星レストランで働いていた料理人・神谷蓮司は、ある日厨房を追われる。行き場を失った夜、偶然たどり着いた小さな店《陽炎》。だが、その扉の先に広がっていたのは現代日本ではなく、異世界だった。

寡黙な店主・春馬と娘のリオ。借金を抱えた小さな店。冷蔵庫もない世界で、蓮司は料理人としての知識と技術を武器に新たな人生を歩み始める。

これは料理が人を結び、暮らしを変え、心を温める物語。



第1話「六本木料理人、異世界の厨房へ」


「Allô, chef!」  
ホールから声が飛ぶ。  

「Table douze. Premier plat. Ça marche, s’il vous plaît!」  
サービスがオーダーを通す。  

「Allô, table douze! Entrée, foie gras! Poisson, bar rôti! Plat principal, agneau rôti!Garniture, ratatouille, Premier plat, ça marche s’il vous plaît !」

料理長、50歳の桐生誠が矢継ぎ早に読み上げる。  

「Allô, table quatorze, poisson! Envoyez, s’il vous plaît!」  
魚のコールが響き、神谷蓮司の持ち場に緊張が走る。  

「Oui, chef!」  
「Allez ! Vite! Vite! Vite!!」  
「S’il vous plaît!」  

怒号とフランス語のコールが飛び交う厨房。  
六本木の三つ星レストラン《クレアサンス》。  

まだ28歳にして、魚料理部門を率いるセクションシェフ。  
神谷蓮司は厨房でも異色の存在だった。  

オーブンのアラームが鳴り、仔羊のローストが上がる。  
蓮司はスズキを香ばしく焼き上げ、皿に移した。  
そこへ、スーシェフがブールブランをかけようとした瞬間――  

「待ってください!」  

蓮司の声が鋭く響く。  

「ソース、重すぎるでしょ?! ……こんなんでいいんですか!」  

「なんだと神谷?! そこどけ!」  

「蓮司!やめろ!やめとけ!」

押し退けられる蓮司。

「何やってんだ、神谷! 料理を出せッ!!」  
怒声が厨房全体を打ち抜いた。音が止まり、誰もが一瞬、手を止めた。


営業後。厨房に静けさが戻った頃。

「……蓮司。お前、これで何度目だ? ちょっと来い」  
料理長の声は低く冷たかった。

事務室。  
桐生は腕を組み、長く息を吐いた。

これが初めてじゃない。  
度重なる衝突が、蓮司の立場を確実に追い詰めていた。

「俺は、お前の腕は認めてる。仕事に対するセンスも、情熱もな。  
だけど、あの場でやり合うのは違う。……現場は止めちゃいけない」

桐生の語気は抑えられていたが、目は厳しかった。

「料理はチームで作るんだ。どれだけ正しくても、お前が独りで暴れれば、全部が壊れる」

言葉を選びながらも、突き放すように告げた。

「――蓮司。もう、これ以上は庇いきれない。……今日限りで出て行け」

その言葉は、刃のように胸に突き刺さった。

正しいと思って突っ走った。  
でも、気づけば“居場所”を失っていた。

――何のためのこだわりだったんだろう。

ロッカーでコックコートを脱ぎ、足早に店を出た。  

誰とも顔を合わせたくなかった。  


「あーー、またやっちまったなぁ……」

悔しさと情けなさを抱えた声が、夜に滲んだ。



足は自然と、いつものバーへ向かっていた。

「テキーラ。ストレートで」

グラスを口に運び、一気にあおる。  
胃の奥が焼けるような刺激に、思考がほんのわずか鈍る。  
ただそれだけが、今は心地よかった。

もう一杯。  
さらにもう一杯。  

――嫌なことは、アルコールで流すしかなかった。


やがて視界がにじみ、足元が揺らぐ。  
会計を済ませたかどうかも曖昧なまま、蓮司は裏路地をさまよっていた。

――午前0時。

人通りもない暗がり。  
ビルとビルの隙間に、ふと見慣れぬ木の扉が目に留まった。

ランプの淡い光に照らされた看板には、こう書かれている。

《陽炎》

「……カゲロウ?」

ランプの灯りに照らされた看板の文字だけが、酔った目にもやけに鮮明だった。

まるで引き寄せられるように、蓮司は扉に手をかける。  
手応えのないまま、軋む音とともに開いた店内には、  
静かに椅子を片付ける男の姿があった。

「……お客さん、もう閉店だが」

返事をする間もなく、蓮司の体が傾ぐ。  
カウンターに突っ伏し、そのまま崩れ落ちるように眠りへ落ちた。

酒と疲労に呑まれた身体。  
だが、それだけではない――  
まるで世界ごと、ふわりと切り替わったような、不思議な浮遊感があった。

男はため息をつくと、若者の手を見やった。  
包丁だこ、火傷痕――まごうことなき料理人の手だ。

「……料理人か」


春馬は帳簿を開き、黙って目を落とす。  
並ぶ数字に溜め息をひとつ。  
手元の素焼きのカップに酒を注ぐ。

3年前に始めた店は傾き、妻にも出て行かれた。  
残されたのは16歳の娘リオと、借金まみれの店。  

「……最低な父親だな」  


誰に聞かせるでもなく、ぽつりとこぼれた声が、空っぽの店に滲んだ。

苦笑して酒をあおる。

やがて二人は同じ灯りの下で眠りに落ちた。




第2話「食いもんは裏切らねぇからよ」

蓮司はカウンターに突っ伏したまま、重たい瞼を上げた。  
まだ少し頭が重く、口の中に残る不快感と空腹が現実に引き戻す。  

(……寝ちゃったのか、俺)

目に映ったのは、薄暗い店内だった。  
古びた木のテーブル。壁にかけられたランプの灯り。  
まるで昭和の喫茶店か、隠れ家的なバーのような雰囲気――

(……六本木に、こんな店あったか?)

酔いの残る頭では、疑問も深く追えない。  

「……タクシーで帰るか」

ポツリとつぶやくが、昨日クビになったことを思い出す。  
財布は心許ない。贅沢はできない。

――あと2時間もすれば始発が動く。電車で帰るか。  


蓮司は立ち上がり、ふらつく足で扉に向かった。  
手をかけ、ゆっくりと押し開ける。

開いた先には、いつもの夜の路地。  

——深夜の六本木。

街灯に照らされた狭い裏路地。  
建物の壁、アスファルトの道、湿ったコンクリの匂い。  
肌寒さも、確かに“現実”を感じさせる。

数歩進んだところで、足が止まる。

(……あれ?)

お会計をしていないことに気づいた。

「……やばっ」

小さく呟いて踵を返す。  
扉を押して再び店の中に戻る。

カウンター奥には、あの店主らしい男がいた。  
椅子にもたれて、眠そうにこちらを見ている。

「すみません……お会計、まだで……」

「あぁ? お会計か……10クロムだ」

「……クロム?」

聞き慣れない単位に、蓮司は一瞬フリーズした。  
脳がそれを処理しきれず、言葉を失う。

「もういい。サービスだ。さっさと帰れ!」


扉を開けて、外に出た。

——そこは、ついさっきまで見ていた六本木じゃなかった。

「……え?」

蓮司の足が、ぴたりと止まる。

辺りは、街灯もビルもない、深い静けさの中にあった。  
空気は重たく、湿っていて、どこか木と土の匂いが混じっている。  
足元はアスファルトじゃない。砂利と石畳のような不規則な感触。

「な、なんだこれ……」

さっきの扉を開ける“ほんの数分前”までは、確かに現代の東京だった。  
六本木の、ネオンと喧騒が広がる夜だった。  
でも今、目の前に広がっているのは──まるで中世の異国のような、見知らぬ路地。

空を見上げると、月がぼんやりとかかっている。  
星が近く、空気が澄みすぎている。  
それすらも“あり得ない”と感じる。

「ここ……どこだよ……?」

声が震える。手が震える。  
胸の奥が、急激に冷え込んでいく。

さっきまでの自分の行動を必死で思い返す。  
バーで飲んで、ふらついて、見知らぬ扉を開けて──  
でも、帰れたはずだったんだ。  
お会計さえしなければ。あのまま帰っていれば。

「……やばいって、これ……」

頬を叩く。痛い。夢じゃない。  
耳を塞いでも、この静寂は消えない。

「うそだろ……? おい、おい……っ!」

声が震える。息が詰まる。  
目の前の現実がぐにゃりと歪んでいく気がした。

——ここは日本じゃない。東京でもない。  
それどころか、“現代”ですらない。

つい数分前まで、俺は六本木にいた。  
でも今は、言葉も通貨も、何一つ通じない異世界にいる。

「……帰れないのか、俺……」

その言葉が、口からこぼれた瞬間。  
ようやく、蓮司は膝から崩れ落ちた。

蓮司は逃げるように扉を押し開け、再び《陽炎》の中へ転がり込む。

扉を押し開けて、店内へと戻る。

先ほどと変わらぬ静けさ。  
だが、それがかえって恐ろしかった。

「……あの……」

カウンター奥では、さっきの男――店主らしい男が、まだ片付けをしていた。  
蓮司の姿に気づくと、眉をひそめて振り返る。

「……今度はなんだ?腹が減ってんのか?」

「ち、違います……」  
言葉に詰まりながら、蓮司はどうにか口を開く。

「……なんか、外……おかしいんです。  
 ……街灯も、ビルも、なにもなくて。  
 ……土の匂いがしてて……それに、さっき……お金の単位、クロムって……」

混乱が言葉にならない。  
思わずカウンターに手をつき、息を整える。

「ここって……六本木、ですよね?」

男は少し黙ってから、ため息を吐いた。

「……お前、酔いすぎだ」

「いえ……違うんです。  
 本当に、何かが……おかしくて……」

声が震えた。  
恐怖でも、混乱でもない。  
ただ――**現実がわからなくなることへの、本能的な不安**だった。

男は黙って鍋に火を入れ始める。  
何も言わず、ゆっくりとスープをかき混ぜていた。

湯気の香りが、少しだけ張り詰めた空気を緩めていく。



背を向け、カウンター奥の鍋に火を入れる。  
煮えかけのスープをひと混ぜしながら、  
まるで何も聞かなかったかのように、無言の時間が流れた。

蓮司は立ち尽くしていた。  
視界の端で湯気が揺れる。  
その香りに、ぐうっと腹が鳴った。

「……やっぱり腹、減ってんだろ?」

春馬が振り返る。  
声には相変わらずの温度のなさ。

「え……」

「多めに作りすぎただけだ。食っていけ。  
 ……食ったら帰れよ」


それだけ言って、ふたつの器にスープをよそう。

蓮司は小さく頭を下げ、カウンターに腰を下ろした。  
隣では春馬も座り、黙って自分のスープに手をつけている。

静かにスプーンが器に触れる音が、店内にかすかに響いた。

「……いただきます」

蓮司は木のスプーンでそっとスープをすくい、口へ運ぶ。

染みわたるような温かさと優しい塩気が、  
空っぽだった胃と、張りつめていた胸の奥をじんわりとほぐしていく。

言葉もなく、ただ隣で春馬も淡々とスープを啜る。  
気まずさでも、親しさでもない。  
そこにあったのは――不思議と、居心地の悪くない沈黙だった。


器を受け取ると、  
湯気の向こうに、少しだけ現実味が戻ってきた気がした。

ひと口、スープをすくって口に運ぶ。  
その瞬間、温かさと滋味が舌に広がった。

素材の出汁だけで丁寧に整えられた、優しい味。  
蓮司の張りつめていた心が、じんわりとほぐれていく。

「……美味い……」

ぽつりと漏れた声に、春馬

蓮司は黙々とスープをすくい、飲み干す。  
空になった器を見つめ、少しだけ深く息を吐いた。
「……ごちそうさまでした」

俯いたまま、ぽつりとつぶやく。

「……金も、帰る場所もないんです」

店主は器を片付けながら、特に驚いた様子も見せずに言った。

「ここにいたいか?」

蓮司は顔を上げる。

「え……?」

「まぁ好きにしろ。じきに畳む店だ。  
 食いもんくらいは出してやる」

どこまでもぶっきらぼうな口調。  
だが、その奥にほんのわずかな温度があった。

蓮司は深く頭を下げる。

「……ありがとうございます」

しばしの沈黙が落ちる。


「やっぱりお前、料理人だろ」

「……え?」

「食うときの目がそうだった。……飢えてる奴の目じゃない」

図星を突かれたように、蓮司は苦笑いする。

「料理しかできませんけど……」

「それで十分だ。俺は飯が作れねえやつは信用しねぇ」


蓮司は思わず口を開く。

「さっき、店を畳むって……」

「ああ。俺も、店も、もうガタがきてる。ここいらが潮時だ」


その背中に、何か言い知れぬ影を感じながら、  
蓮司は黙って器の余熱を両手に感じていた。

そして、店主がぽつりと口にした。

「……食いもんは裏切らねぇからよ」

その言葉が、蓮司の胸に深く染み込んでいく。

それは、厨房を追われたばかりの自分にとってまっすぐで温かい言葉だった。

やがて店主は上着を羽織り、肩を軽く叩いた。  
「店は好きに使え。鍵はかけとけよ」  

残された蓮司は、カウンターの椅子を三脚並べて横になる。  
決して寝心地は良くない。  
だが背中には、まだスープの温もりが残っている気がした。  

――ここで寝ろってことか。  

目を閉じると、不安に胸を締めつけられた。  
だが同時に、不思議な安らぎもあった。  

静かな吐息を残し、蓮司は眠りに落ちた。  


つづはこちらで。


【後書き】

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。  
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次回もよろしくお願いします。  

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