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【実録】「俺、無精子症だって」ハッピーな妊活から、突然スタートラインを失った日


1.ハッピーな始まりと、見えないハードル


2024年11月

結婚式が終わり、「やっと妊活できるね」と2人で喜んでいた。
子授け神社へ行ったり、なんとなく子供の名前を考えたり。

この頃は、まさか自分たちが「男性不妊」という言葉に出会うなんて、本気で思っていなかった。

妊活していてもなかなか授からず、普段感じない体調の異変を感じても、妊娠検査薬が陽性判定が出ることはなく、想像妊娠を繰り返す日々だった。

2.「もっと早く行けば・・・」2ヶ月足踏みした初めての婦人科


2025年2月

女性の美容師さんが担当してくれていて、将来子供を望んでいることを話すと「私は婦人科で全然違うことを相談しに行ったんだけど、第二子も考えてはいるって話したらついでにタイミングを見てくれたから、婦人科に診てもらうの早いなって思ったよ!」と教えてくれた。

病院ってそんなことできるんだ!すごくいいこと聞いた!と思ったけど、私は婦人科に行ったことがなく、ちょっと勇気がいると思い、近所の婦人科のHPを見ても、予約まではできなかった。

すぐに予約できなかった理由としては3つ。

1つはGoogleマップでの口コミが悪いのを見ると物怖じしてしまったから。
シンプルに「ここなら大丈夫そう」と思える病院探しに時間がかかる。

2つ目は、予約するのに診察理由は何を選べばいいのかよくわからないという迷いが、予約を後回しにしてしまう原因だった。

最後の理由は、まだ妊活を始めて数ヶ月だったから。
もう少し自分たちのタイミング法で様子を見ることにした。

それから約2ヶ月後。
自己流の妊活で5ヶ月くらい経った頃、「何か不妊の原因があった場合、このまま時間だけ過ぎるのは嫌だ」と思い、ようやく勇気を出してレディースクリニックを初受診した。


3.まさかの「本人同伴指定」とあの日の宣告


受診ついでに、不妊の原因がないか診てもらいたかったので、不妊治療も行なっていて、モットーが「1日でも早く!」の病院に決めた。

まずは1周期目は検査もしつつ指示通りタイミングを取り、妊娠を手助けする漢方などを処方された。

そして、定期的な検査や結果を聞きに通院する中で、有無を言わさず男性の精液検査も流れるように案内された。

夫の保険証を私が持ってくれば、本人は病院に来なくてもカップを使って精液検査は可能だそう。

本人が来なくていいというところがハードルが低くて助かった。
カップを家に持ち帰って、夫に頼む。

夫は「タイミング診てもらうだけって話だったのに、なんかどんどん不妊治療みたいになってない!?」と驚いていたけど、夫も早く子供が欲しいので、スムーズに検査に協力してくれた。

後日、自分の検査が終わった後、そのまま終わりそうだったので「あの、夫の検査結果はどうなりましたか?」と聞くと「ご本人に直接お話しが必要」と言われた。

ん?

その時点で雲行きの怪しさは感じた。

そして、その話は別として、精液検査の結果については本人がいないと話せないというほど良くなさそうな結果なのに、タイミングやお薬の指示があることに違和感を感じた。

「薬1つ1つもお金を払っているので、本当に必要なら飲みたいですが、もしすぐに妊娠が難しいのが先にわかっているのであれば、本当に必要な時に取っておくとか、無駄に飲みたくないと思っています・・・。」と伝えた。

不安な時期なのに、お金まで無駄にしたくないという私のリアルな防衛本能。
まだこの薬は使えていないので、正直今でも高かったなぁと気にしてる。笑

高いと言っても漢方で2000円くらいだけど、1ヶ月間の通院と、これからさらに通院が必要になりそうな感じがしたので、少しでも無駄遣いはしたくなかった。

そうすると「そうですね、一旦お薬はお休みしましょう」ということに。

その時点で、詳しくはわからなくても、なにか原因があるんだな、と察しはついた。

その日の夜、夫に「聞いたけど教えてくれなかった。直接じゃないと話せないらしい」と言うと、「それ絶対めっちゃ悪いじゃん!!!」と言って笑った。

「めっちゃ悪い」という表現は合っていないだろうけど、まぁまだなんとかできるだろうと思い、こんなゆるい調子だった。

笑いながらも「何かあるんだ」という現実が少し怖くて、不安で、いろいろ調べた。

でも何があってもこの人と生きていきたいと決めていたので、もし悪い結果だとしても、二人でなんとかできると信じるしかない。


そして後日、病院へ2人で受診。

「どうか、悪い結果だとしても、なんとかできるものでありますように」と願って待っていた。

でも、看護師さんからは「無精子症」と告げられた。

悪い想像は、現実に起こらないと聞いていたけど、起こるじゃん。
ここに来るまでに男性不妊について調べていたので「あぁ、調べた時に見たやつだ」と思った。

その場で言われたのは、
「無精子症でも2種類、閉塞性と非閉塞性がある」と「詳しくは大学病院で診てもらう必要がある」ということ。

「まだどちらかわからないし、妊娠できないと決まったわけではない。大学病院で診てもらったら精子が見つかって戻ってくる人もいる」とも仰っていた。

私たちは「わかりました、ありがとうございます」と診察室を出た。

夫もある程度無精子症の可能性は考えて行ったので、ショックよりも、看護師さんの必死なフォローや慰める感じの方が嫌だったみたい。

俺らはかわいそうな夫婦じゃない!というスタンスだった。

私の「頼むから、なんとかなるものであってくれ」という願いは叶わず、ちゃんと悪い結果で「えーーーーーーやっぱそうかぁ」という、なんとも言えない感覚。

私は子供みたいに「やだな、納得できない」と言ったら、夫は「やだとかじゃない」と。笑

ショックといえばショックだけど「まぁまだ詳細は検査してみないとわからないし、どうなるかは決まってないよね」と言って、落ち込むにはまだ早いと思ったのを覚えている。

夫も残念な結果だったと思うけど、メンタルが強い人なので「自覚症状もないし、自分でどうしようもできない。自分で改善できるならやれることはやるけど、自分の力でどうしようもできないことにいつまでもクヨクヨしていても仕方がない。」と言った。

それを聞いて私は、なんとなく小学生の時に身長や顔、アトピーとか、見た目に対して酷いことを言った人に、先生がそういうことを言ってはいけない理由を説教していたなぁと思い出した。

夫が言っていたように、無精子症は本人が好きで選んでなったわけでもなく、個性というか、変えられないもの。

私は結婚前に夫が無精子症だとわかっていても夫を選んでいたと思う。

だからこそ、今できることを考えるしかなかった。

「閉塞性だったらまだ希望はある。」と、現実を受け止めつつ、次に目を向けた。

私はまだ無精子症について詳しくわかっていなかったし、「私は運がいいからきっと大丈夫」と謎の自信があった。
なんとかなると思って、その後は通常通り仕事に向かった。


・・・だが、後日。
家で夫と話しているときにサラッと言った。

「2人の子供はできない可能性が出てきたな」

「え!?治療でなんとかできるんじゃないの?」
「精子がなかったら何も始まらない」

その言葉で、初めて現実が頭に入ってきた。


『2人の血が繋がった子供ができないかもしれない』


その可能性を、その時初めてちゃんと理解した。

気づいたら少し涙が出ていた。

4.進まない時計。妊活の絶望的な待ち時間を救ってくれたもの



レディースクリニックでの精液検査の結果待ちに時間がかかったのに、紹介状も1週間待ち。
紹介された大学病院でも検査結果が出るまで1〜2週間待った。

いちいち長くてヤキモキ。

その後日、一人で結果を聞きに行った夫から、非閉塞性だったという連絡が入った。

私も詳しいことは理解できていないけど、「AZF欠失」については欠失がないそうで、次はTESEの手術に希望を抱くしかなかった。

TESE手術は、精巣から直接精子を回収する手術。
ここで精子が見つかれば、顕微授精という方法で2人の子供を授かれる可能性がある。

でも、その確率は約3割だった。

夫と私の血の繋がった子供ができる可能性がどんどん下がっていく感覚が、すごく寂しくなった。

まさか自分たちにこんなことが起こるなんて。

今まで不妊治療だったらお金かかるし辛そうだし、自然妊娠で授かれたらいいなって考えていたけど、それどころか妊活のスタート地点にも立てない。

不妊治療で苦戦してでも、2人の子供が授かれるならどれだけいいか。
なんて他人を羨ましくなった。

本音を話すとネガティブな言葉がたくさん出そうだったけど、夫を追い詰めないよう、私は夫の前で悲しい顔をしたり泣いたりするのをやめた。

だけど、もし2人の子供が本当に授かれなかったらと考えると、とっても悲しくなって、時々お風呂に入っている時にシャワーの音に紛れて、密かに泣いた。


精液検査の結果を聞く時は、私は仕事で行けず、夫だけで行ってもらったが、TESEの手術日を決めるのに夫婦揃ってないとダメと言われたそう。

大学病院も決まった曜日しか受け付けていなくて、仕事で行けない・・・、とすれ違いまくりで手術日決定までも2週間くらい足止め。

そして、後日来院し、約2ヶ月後の10月にTESE手術が決まった。

実は、早く妊娠したいという気持ちだけでなく、少し前から仕事が「面倒だな、しんどいな」と思っていたので、早く妊娠してスムーズにフェードアウトしたい!という邪念があった私・・・。

私にとって、この『数週間待ち』の連続はとにかくモヤモヤの極みだった。

これまで自然妊娠を望んでいて、毎月毎月、今度は妊娠してないかな?と待ち遠しかった。
そんな楽しみは止まってしまい、しばらく妊娠することはない。

まだ子供との縁は遠く、さらに私はいつまで仕事を頑張らないといけないのかなぁ、諦めて頑張るしかないのかなぁと仕事軸でも、どうしようもない悩みを抱えていた。

このままではつまらないから、楽しみを見つけないと。

そんな行き場のないエネルギーと時間をぶつけたのが「編み物」だった。

高校生の時に授業で少しやったことがあって、結構楽しかったのを覚えていて、なんとなくやってみようと思って百均で材料を買ってきた。

やってみると結構ハマって、アニメとかドラマを流しながらできるし、のんびりした休日を送った。

むしろ「時間が足りない!もっと時間が欲しい!」と思える趣味に出会えたことで、なんとなくぼや〜っとしている長く退屈な時間を乗り越えられた。

妊活って「頑張れば早く結果が出る」ものじゃない。

検査結果待ち。
紹介状待ち。
手術待ち。

本当に「待つ」ことばかりだった。

でも、編み物という夢中になれるものに出会えたことで、「結果を待つだけ」の時間が、楽しい「自分の時間」に。

このあと待っていたのは、もっと大きな壁だった。

でも、この時に出会った編み物は私を何度も支えてくれた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、大学病院での検査結果、TESE手術、そして私たちがどんな決断をしていったのかを書こうと思います。

続きも読んでいただけたら嬉しいです。

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