実家の食器棚には、母の“もったいない”が詰まっていた
『和の器も、洋の器も、気軽に使える普段の器も好き』のみさです。こちらのnoteでは、いつものごはんを器で整える楽しさ、器との出会いや、心惹かれた食器のことをお届けしています。

実家の食器棚を開けると、昔から見慣れたお皿が今も並んでいます。
子どもの頃から使っていたような器。
少し柄が薄くなっているもの。
何度も食卓に出てきた、家族にとっては見慣れすぎているお皿。
それ自体が悪いわけではありません。
長く使っている食器には、実家らしさもあります。
ただ、その一方で、天袋にはいただき物の真っさらな食器や器がまだ残っています。
箱に入ったままのものもあるし、一度使ってまた箱にしまわれたものもあります。
新しい器があるのに、普段使うのは昔からの食器ばかり。
ひびが入ったり、欠けてたりして、私が言ってようやく交換する。
実家の食器棚には、そんな「まだ使えるから」「もったいないから」が、ずっと残っているように感じます。
新しい器があるのに、出番がこない
いただき物の食器は、意外と使うタイミングが難しいものです。
きれいな箱に入っていると、なおさら日常使いにしにくい。
「これは来客用に置いておこう」「何か特別な時に使おう」
そんなふうに思っているうちに、何年もそのままになってしまうことがあります。
でも実際には、来客の回数も昔ほど多くなかったり、特別な日にはいつもの使いやすい食器を出していたりします。
そうなると、新しい器はずっと天袋の中です。
使うために置いているはずなのに、使わないまま時間だけが過ぎていく。
実家の食器棚を見ていると、そういうことは案外どこの家にもあるのかもしれないと思います。
「もったいない」は、物を大事にしてきた証でもある
母が古い食器を使い続けるのは、ただ片付けが苦手だからではないと思います。
まだ使えるものを簡単に捨てない。
気に入って買ったものだから、もうちょっと使う。
そういう感覚が、長年の暮らしの中にしみついているのだと思います。
特に親世代は、物を大事にすることを当たり前にしてきた人も多いです。
少し古くなったからといって、すぐに買い替えることに抵抗がある。
欠けたり割れたりして初めて、「これはもう仕方ない」と手放せる。
その気持ちは、雑に否定できるものではありません。
私も、母のそういうところを見て育ってきたので、物を大事にすること自体は大切だと思っています。
ただ、少しもったいないなと思うのは、使われないまま残っている新しい器の方です。
使わないまま置いておくことも、少しもったいない
食器は、食卓に出して初めて役目が生まれるものだと思います。
どれだけきれいな器でも、箱に入ったまま何年も眠っていると、忘れ去られてます。
反対に、何気なく使った器の方が、「あのお皿、よく使っていたな」と印象に残ることがあります。
気に入って買ったものだからずっと使う。
それも一つの考え方です。
でも、大切にすることと、使わずに置いておくことは、必ずしも同じではないのかもしれません。
普段の煮物を盛ってみる。
朝のパン皿にしてみる。
お漬物や果物を少しのせてみる。
そんな小さな使い方でも、器はちゃんと暮らしの中に入ってきます。
特別な料理を用意しなくても、新しい器を使う理由にはなると思います。
食器棚を見直すことは、暮らしを少し動かすこと
実家の食器棚は、ただの収納場所ではありません。
家族が長く使ってきたもの。
もらったけれど出番がないもの。
捨てるほどではないけれど、積極的には使っていないもの。
そういうものが、何となくそのまま残っている場所です。
全部を一気に変える必要はないと思います。
母の使い慣れた食器を、無理に処分する必要もありません。
ただ、天袋にしまったままの器を一つだけ出してみる。
古くなった食器と入れ替えてみる。
実家に行って、天袋をのぞいた時は、「こんな素敵なお皿あるよ。使ったら」と出すようにしてます。
年齢を重ねると、「食器を見直そう」、「交換しようという」というのも気力のいることなのかもしれません。
今ある器を、今の暮らしの中でちゃんと使えるように母とも話しながら手伝っていけたらと思います。
母の「もったいない」という気持ちもよくわかります。
でも同時に、使われないまま残っている器を見ると、それもまた少しもったいない気がします。
しまってある器を使うことで、食卓が少し変わることもあります。
新しいものを買わなくても、家の中にある器だけで、いつものごはんの見え方が少し変わることもある。
奥にある器は、案外まだ出番を待っているのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました
