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シャッフル

 ルーン・イーチン・タロットのシャッフルについて解説しようと思う。このテーマは既に他の方が触れているので敢えて書かずにいた。私が書いてもパクリになってしまう・・・と思ったが、今確認してみると、丁度今月11月にgooのブログがサービスを終了したらしく、それに伴い誘波マヤさんのルーン・イーチン・タロットのブログまでもが跡形もなく消えてしまったことに気がついた。そうなると、ルーン・イーチン・タロットのシャッフルについて書かれた情報はこの世からなくなってしまったことになる。これでは困る人もいると思うので、私の方から改めて書くというのもありだろう。
 私がシャッフルについて書こうと思い立った経緯は、最近クラスターで占いのイベントをいくつかハシゴした時(2025年11月22日深夜のことだった)、「偶然の中に神が宿る」「偶然は神である」という話題が出て、偶発性やシンクロニシティで占う卜占にとって、シャッフルとは神そのものを入れ込む重要な儀式なのだと改めて考えることがあった。しかもイベントの終わりに私へのアドバイスとして引いてもらったオラクルカードは、ずばり「シンクロニシティ」というカードだった。小林コウメイさん、神託をありがとう。

1件目 金曜日のヒーリングタイム 
2件目 占いカフェ店主の何となく雑談会
3件目 占いの館 導月亭

 偶然とは言葉を替えれば無為自然である。神が自らの言葉を書いたとされる唯一の書「コーラン」の文章も、面白いことに神(アラー)を「自然」という言葉に置き換えてもなぜか意味が通ってしまう。
 『超ムーの世界』というテレビ番組で、ハイテンション・タロットを毎回披露するサイキック芸人のキックさんが「完全偶然」という概念を提唱していたように思う。偶然こそ完全なのだという考え方だったと思う。となると「偶然」とは「偶全」と言い換えてもいい。
 そんなことを考え併せると、いつもやっているシャッフルに対し、新たな新鮮味と洞察を持って見ることができ、ルーン・イーチン・タロット講座の一部としてここにシャッフルの解説を書いてみようと思い立った。それも思い返せば、偶然の積み重ねに導かれた結果である。ルーン・イーチン・タロットに関する情報発信は私にバトンタッチ、という天啓と見た。
 シャッフルはカード占いにおいて最も大切で、最も意識を集中させなければならない作業である。シャッフルは神様と交流するための神聖な儀式だと考えると、シャッフルしている間は最も気が抜けない時間と言える。ルーン・イーチン・タロットのシャッフルはとにかく長い。何しろタロットとルーンと易が混ざってるから、筮竹を分けて丹念に数えていく作業と似たようなところがある。
 ルーン・イーチン・タロットのシャッフルは通常のタロットとはまるで異なる手順だが、一般のタロット占い師もシャッフルを重要視している点はほぼ同じで、シャッフルの解説だけで一本の動画を撮っている占い系ユーチューバーもいっぱいいる。
 タロットにしても周易にしてもなぜこうもシャッフルを重要視かつ神聖視するのか、私の体験談を話すのが一番分かり易いと思う。
 私はかつてお手軽に占いができる簡単なプログラムを作ったことがある。仕組みが単純でデータも軽い、htmlのファイルである。でもそんな便利なものを作っておきながら、自分では全く使ってない。
 勿論、作ってる間はとてもワクワクした。「これがあれば、カードもテーブルも必要なくなる。多くの人が手軽にスマホだけで本格的な占いができるようになる! 革命的なことだ」と当時は信じ切っていた。占いの仕事は全部これで済ませてやろうと考えていた。今考えると笑ってしまう。Webデータだから、どの端末からでも開ける。これを使えば、大掛かりなシャッフルなどしなくても、そもそもカード自体がなくても、スマホやパソコンやタブレットだけできちんとしたスプレッドの鑑定ができてしまう。おまけにカーソルを合わせるだけでキーワードや自分なりのメモまで確認できる。用意する物、タブレット1枚というわけである。
 JavaScriptを使ってそんな便利なプログラムを作っておきながら、なぜ使わないのか? その理由が分かるだろうか?
 私はコンピューターがランダムに選ぶカードが、どうしても信じられなかったのだ。どうしても疑ってしまう。どこか本物じゃない感じがした。この違和感は言葉で表現できない感覚的なものだ。「本当にこのカードはランダムに選ばれているのか?」「本当は何かパターンがあるんじゃないの?」そんなふうに疑ってしまう。そんなことは気にならないと思う人はそのまま使えばいいかもしれないが、私はなんか安っぽい占いに思え、チープなおもちゃに見えてきた。結局アナログな方法に戻ってしまったのは、それだけシャッフルというものが神の意志が入り込む神聖な儀式だったからに他ならない。シャッフルとは、ランダムや不規則という名の神の意志を入り込ませる工程なのだと思う。数学を基本とするコンピューターに、本当にこれができているのだろうか?
 今や何でもAIの時代。実際に占いもせず、AIに相談して得た回答をそのままクライアントに伝えるネット占いも増えていると聞く。noteの記事もAIに書かせたものが溢れ返っている。
 それでも私は敢えて言う。人間もしくは命ある存在にできて、コンピューターにできないことが二つあると。一つは直感やインスピレーションであり、もう一つは完全な不規則性や予測不能なリズムである。まさにカードによる占いは、その両方を前面に押し出した技術なのだ。
 「直感」と「偶然」という二要素は、どこか似通ったところがある。例えば、ゴキブリの動きをコンピューターの計算で予測することはできない。ゴキブリの動きは、ゴキブリ自身の思いつきによる。この自発性は、ゴキブリが主体性を持って生きていることを意味する。全ての生命がこのような主体性を持つから世界は活々と動く。この考え方が個人主義という思想の根底にあり、個が生きてこそ組織が正しく機能するという発想である。体に例えるなら、細胞の一つ一つが活きるから肉体全体が正しく働く。この考え方が日本人は大の苦手で、とにかく個を潰して全体と称するものを守ろうとする国民性がある。中身がガタガタでも建前だけは取り繕おうとする見栄っ張りな性格である。権威や名声に忖度する人ほど個人主義をまるで悪の権化みたいに罵るが、見方を変えれば欧米の個人主義も、実は日本人にとって昔から馴染み深い無為自然の老荘思想に繋がる概念なのである。無為自然を説く道教は、建前を司る儒教に対して実質や本音の部分を担ってきた。この道教の思想をもう少し深く掘り下げてみよう。
 ゴキブリ自身の思いつき、ゴキブリにとっての直感や閃きは、人間から見た時はランダムな動きに見える。つまり、ランダムな動きや偶然というのものは、自分以外の存在の直感やインスピレーションの集積であり、自分の直感や創造力は、他者から見た場合の偶然やランダムな動きに見えるわけである。内側から見た直感は、外側から見た偶然である。その逆も然り。外側から見た偶然は、内側から見た直感である。これがコンピューターで引き起こすことのできない要素、意識というものの本質である。
 科学では、この不規則なリズムのことをゆらぎと言う。ゆらぎは命あるものだけが持っているリズムである。ゆらぎの要素が入ってないものは、命を吹き込まれてないのと同じ。先の動きが全部計算で出せてしまう。仮にロボットを造ってカードをシャッフルさせたとしても、決められた通りの動きから外れることはできない。同じ順番の混ざり方を繰り返すだけで、人間がやるように毎回違う混ざり方にはならない。それができたとしたら、そのような動きをまた別にプログラムされたからに他ならない。意識が発生しない限りゆらぎや偶発性も発生せず、それは続く。
 こうしたいという意図や計算を排除した行為には、必ず宇宙の意図、即ち宇宙空間のミニチュアが発生する。生命ある者が関与すれば、それは必ず発生する。たとえ自分の手元でシャッフルしたものであろうと、偶然やランダムという要素に宇宙の心が入り込むことが分かっただろうか? シャッフルがいかに卜占の要めであるか、理解できただろうか? 思えば人を笑わすギャグにしても、他の人が予想外な動きをした時や予想外なことが起こった際に、自分の中で閃くウィットだと思う。それはその時その場でしか通用しない。
 占いの急所って何かと言えば、カードの読みより結局はシャッフルなんだと思う。ここが生年月日や名前から割り出す命占との大きな違いである。命占は計算ばかりなので、未来は確定していると考える運命論者が多い。だからコンピューターで代用できる代表格だと思う。でももっと大きな意味で言えば、生年月日も偶然だし、名前を決めるのも名付け親の直感かもしれない。その大きな流れの一部を手元で行なう小宇宙がシャッフルであり、シャッフルがあって当たる当たらないが顕在化するのだと私は思う。要するに、当たるカードを出せることこそ、その占い師の実力なのである。
 よく占いの世界では「同じことを占うな!」とか「時間を置いてから占わなきゃダメだ」と言うが、私は全くそんなことは思わない。私は単にエネルギーの無駄だからやらないだけで、基本的には同じことを何回占っても同じ結果を何回でも出せなければ、プロとは言えないと考えている。全く同一のカードが出ることはなくても、大筋において言ってることは変わらないという結果が出せなくてはならない。それが本当の占い師である。
 勿論、同じことを何度も占う実験をクライアントに対してやるべきではない。でも、自分の実力を試すためにこっそりやってみるというのはありだと思う。自分の実力を試すため、練習で腕を磨くためにやると言うなら、どんなタブーだって犯してもいいと私は思う。クライアントからの要望でギャンブルを占うことはないが、自分の練習であれば、ギャンブル性のあるものなら何でも占いの練習になると考えている。私は占いで予言はできないと言いながら、ギャンブルの予測を100%当てられなければ本物じゃないとも考えている。自分でも矛盾してるとは思う。その代わり、練習に使うのは自分が参加しないギャンブルに限っての話である。株は自分が実際に売買すると、それに応じて結果が変わってしまう。でも自分が参加しないのであれば、株の値動きを100%予測できなければならない。
 シャッフルの不思議さについては、かつてこんなことがあった。ある相談で「セミナーの申し込みが2名いるが、この2人が同業者のスパイでないかを占ってほしい」と頼まれたことがある。私はその2人をAとBに分け、決められた通りのシャッフルを丁寧にやり、カードを1枚だけ選ぶという作業を2回繰り返した。その結果、2回とも全く同じカードが出た。2回目に同じカードが出る確率など89分の1しかない。そういう不思議なことが起こり得るのが占いの世界、偶発性の世界である。
 私は「2人とも同業者のスパイじゃないから、安心してセミナーをしていいですよ」と伝えた。
 あれだけ徹底的にシャッフルしたのに、普通の常識で考えれば同じカードが連続で出るなど確率的にあり得ないと思う。日常生活でこんな偶然が起きたら、誰かが仕組んだのではないかと私はすぐに疑いの目を向ける。でも、自分でやってるだけに疑いようがない。こんな不思議な現象が起こるのも、アナログで、自分の手で、現実のカードを使ってシャッフルしているからこそ起こる現象である。本当のランダムがそこに働くからだ。命を持った者のリズムがそこに影響するからである。
 私は自分で自分を占うことができるので、クラスターを始めるまで人に占ってもらうことは滅多になかった。でもモノは試しで、一度だけ占い師に占ってもらったことがある。その時、出てきたカードを見ただけで、当たり過ぎていて私は大ショックを受けてしまった。もうその後は占い師の話など頭に入らなかった。私自身もカードが読めてしまうので、聞いても聞かなくても同じだからだ。その占い師は、当たるカードが出せるホンモノの占い師だった。しっかりとしたシャッフルができる人だった。
 占い師というのは、カードの読み方が優れているだけで評価されるものではない。必要なカードが出せるのも実力のうちと肝に銘じてもらいたい。占いの的中率を上げたければ、シャッフルに時間をかけろと私は言いたい。

 以下にシャッフルからスプレッドに至るまでの一連の流れについて説明する。
 まず適度な大きさのタロットクロスを敷く。タロットクロスは滑るので、百円ショップで売っている滑り止めシートを裏に敷くといい。滑り止めシートはタロットクロスに近いサイズがいいだろう。私は45センチ四方を使っている。
 カードを浄化するという話をよく聞くが、私は浄化という行為をわざわざしたことがない。カードの上にクリスタルを置いたことはないし、カードを叩くなんて馬鹿らしく、カードも痛そうだからやらない。使った後はよくシャッフルすることと、使う時以外はきちんとしたケースに入れること、いつも傍に置いていること、強いて言えばそれが浄化だろうか。
 他の記事で書いたように、ルーン・イーチン・タロットは一般のタロットと違いかなり特殊で、サイコロを使って正逆を決めるので、全てのカードは正位置を維持したまま並べないといけない。だからシャッフルの方法は一般のタロットと大分異なる。
 全体の手順を大雑把に言うと、ディール・シャッフル→ヒンズー・シャッフル→リフル・シャッフル→オーバーハンド・シャッフルの順になる。

<ディール・シャッフル>
 最初はディール・シャッフルでカードを横4列、縦2段の8つの山に分ける。ディールとは配るという意味である。
 複数人でカードゲームをやる時のように同じ配り方を繰り返して八つの山に分けるのではなく、手持ちのカードの束を上から取ったり下から取ったり、8つに分ける時もジグザグに配ったり、反対回りに配ったり、互い違いに配ったり、縦に配ったり横に配ったり、とにかくパターンを打ち壊すように配る。ここにランダムな神の意志が入る。
 私の経験で言えば20以上の異なるパターンがあるが、それを閃きで選びながらカードを8つの山に分けている。

カードを並べる順番の例

 パターンを変えながら配っていると、どこに何枚配ったか分からなくなることがあるので、数えながら配る必要が生じる。この時、1~8までの数字を繰り返し唱えながら数えるのは面倒なので、8つの音を使って数える。便利なことに、日本人の男性は名前を平仮名や片仮名で書いた時、8文字の人が多い。そういう人は自分の名前を使って数えるといい。まるで日本人のためにあるようなタロットで、これで少しは親しみを感じて頂けたらと思う。
 名前が8音でない人は、「とほかみゑひため」と唱えることで8枚を数える。「とほかみゑひため」とは、ルーンで言うアエットのことであり、易で言う八卦(小成卦)のことである。7と親和性が高いタロットとは異なり、8と親和性が高いルーン・イーチン・タロットならではの数え方である。
 「とほかみゑひため」は三大祝詞(三種太祓詞、一二三祝詞、天津祝詞)の一つ、三種太祓詞の中にその一文が登場する。たった三行で書かれた最も短い祝詞だが、一行目は「とほかみゑひため」、二行目は八卦を意味する「坎艮震巽離坤兌乾」、三行目は「祓い給え、浄め給え」の言葉で締め括られる、たった三行で構成されたシンプルな祝詞である。
 だが「とほかみゑひため」の8音は、最強最大の効果と秘密が隠されているとされる、神道の秘儀中の秘儀の言霊である。この八つの音はホツマツタヱにも登場し、古代の占いについて書かれたフトマニの中では基本となっている音である。ルーン文字を8文字×3組に分ける習慣も「とほかみゑひため」×「あうわ」から来ている。

三種太祓詞
とほかみゑひため
坎艮震巽離坤兌乾
祓い給え浄め給え

 三種太祓詞の二行目は方角を差す言葉として八卦の名称が用いられているが、これで分かる通り、易は中国人の発明ではなく、元々神道と関係が深いものだった(以前に書いた「易占(イーチン)」 の記事参照)。易もフトマニも8つのエレメントから構成され、両者はとても親和性が高い。むしろ九星や五行に強引に八卦を当てはめる五行易や九星気学の方が、よっぽど乱暴な組み合わせだと思う。
 全てを生み出した大元である「とほかみゑひため」の8音を用い、8の倍数であるアエットや卦で構成されたカードを数えていく。このディール・シャッフルで、前回占った名残りは完璧に消える。だが、ルーン・イーチン・タロットにはブランクルーン(ウィルド)が含まれるので、8つの山に11回分けると、必ず最後に1枚だけ残る。これは筮竹を使った易占で1本だけ抜いて取っておく作法が変化したものと捉えてもらいたい。半端の1枚はよけてカードケースの上などに表を下にして置いておき、次のシャッフルへと移行する(よけておいた1枚は後で重要な意味を持つ)。
 ディール・シャッフルはカードの枚数を確認するという意味もあるので、初めにやるべき重要な工程である。

<ヒンズー・シャッフル>
 次に、8つの山に分けたカードの束を、両手を同時に使って積み重ねていき、最終的に2つの山にまとめる。山を重ねていく順序も決まりはなく、その時の気分でランダムに積み重ねていく。私にとって一番多いパターンは、下段外側左右の山を両手で同時に持ち、上段内側の2つの山に左右を交差させて置く。次に上段外側左右の山を両手で同時に持ち、下段内側の2つの山にそのまま重ねる。次に下段の2つの山を上段の2つの山に重ね、最終的に2つの山にまとめる。
 この2つの山を、それぞれヒンズー・シャッフルで切る。ヒンズー・シャッフルはみんなが最もよくやっている普通のカードの切り方である。検索すれば、動画はたくさん出てくるだろう。このヒンズー・シャッフルの工程を、後で説明するオーバーハンド・シャッフルに代えても構わない。要は同じことである。オーバーハンド・シャッフルはカードの束を横に持って切るが、カードは縦が長くて横は短いので、カードを横に持って切る方が素速く切れるという利点がある。
 この段階でディール・シャッフルで配った順番が、ヒンズー・シャッフルもしくはオーバーハンド・シャッフルでさらに打ち消される。

<リフル・シャッフル>
 次にやるのがリフル・シャッフルだが、リフル・シャッフルは手品師がよくやるような恰好いいカードの混ぜ方である。
 通常は2つのカードの山を、頭と頭を向かい合わせ、親指で弾きながら、互い違いに噛み合わせて混ぜていく。詳しくは適当な動画を検索して確認して頂きたい。カードが一気に混ざる非常に便利なシャッフルだが、カードの天地の向きがグチャグチャになってしまうので、上下の向きを変えたくないルーン・イーチン・タロットでは、カードの頭と頭を向かい合わせるのではなく、カードの側面と側面を向かい合わせた特殊なリフル・シャッフルをする。これは実際に見ないとちょっと分かりづらいかもしれないが、なかなかのテクニックと練習が必要だ。感覚的には両手をテーブルからちょっと上に離し、バーッと上から落とすようにしてカードを真ん中に集め、混ぜ合わせるような感じでやるのがコツだろうか。外人でたまにやってる動画を見かける。
 かなり思い切ってカードを曲げないと、カードは横にしならない。自分で作ったラミネート加工したカードなら、耐久性があるので大丈夫。予めカードがどのように反っているかを見ておき、それと反対方向にしならせれば、カードに癖がつかず、却って真っ直ぐになってくれる。その際、表を上にしてシャッフルすることになっても、それは仕方ない。
 その後はブリッジで戻すという恰好つけた動作はしない。
 この方法が難しいと言う人は、カードの頭と頭を向かい合わせるのではなく、カードの頭とお尻を向かい合わせてリフル・シャッフルをすれば、上下が変わってしまうことはないだろう。

<オーバーハンド・シャッフル>
 最後の仕上げは、リフル・シャッフルで1つになったカードの束をオーバーハンド・シャッフルで軽く切って終わる。オーバーハンド・シャッフルは既に説明したが、みんながよくやるヒンズー・シャッフルとほとんど違いはない。
 ヒンズー・シャッフルではなくオーバーハンド・シャッフルを使う理由は、89枚もあって枚数が多いので、この半分の厚みならヒンズー・シャッフルでもやり易いが、さすがに89枚もあるとヒンズー・シャッフルではなくオーバーハンド・シャッフルの方がやり易い。ただそれだけの理由である。
 オーバーハンド・シャッフルというのは欧米人がよくやるカードの切り方で、単純に言うと、ヒンズー・シャッフルは左手でカードの束を縦に持つが、オーバーハンド・シャッフルは右手でカードの束を横に持つ。それから左手の親指を使って切っていく感じだが、これも検索すればすぐに動画が見つかるだろう。
 今の説明はオーバーハンド・シャッフルの基本形で、89枚もある大きなカードをオーバーハンド・シャッフルするにはちょっとコツが要る。やり方をやや改変し、右手でカードの束を持つ時、通常は横に持つが、89枚もあるとあまりにも分厚いので、カードを縦に持つ。これだと百枚を越える枚数でも持ち易く、それでいてヒンズー・シャッフルより楽にカードが切れる。

 以上の一連の手順で、もう過去の順番がカードの中に残ることはない。ここまでやると、完全に前の相談者の思念は消えているだろう。
 鏡リュウジ編『タロット技法事典』では、シャッフルの解説だけで一章もの紙面を割いているが、その本によると、理論上ではヒンズー・シャッフルとオーバーハンド・シャッフルは1万回以上やらないとカードが完全に混ざらないらしい。さらにリフル・シャッフルでは、7回以上やらないと完全にカードが混ざらないという研究結果があるそうだ。しかもこれは52枚のトランプの場合である。ルーン・イーチン・タロットでは最初にディール・シャッフルをやることでこの問題を回避する。代わりにウォッシュ・シャッフルはやらない。
 さて、これまでの流れでシャッフルの作業は一通り終わったが、最初のディール・シャッフルで残しておいた1枚のカードがまだある。それを手に取ってカードに書かれた番号を見る。番号を見たら、カードの山の中に適当に挿入して融合する。この時見たカードが、例えば34番の雷天大壮であれば、手に持ったカードの束を上から34枚数えて取り、それをカードの束の下に持っていく。そしてスプレッドに並べる時は、35枚目が最初の1枚となる。
 2枚目以降は数秘術に基づいてカードを捨てる。占いを行なう日の年月日を1桁にばらして全部足し、それをさらに1桁にばらして足すことを繰り返し、その日の運命数を予め出しておく。例えば占う日が2025年の12月1日であれば、2+0+2+5+1+2+1=13となり、さらに1+3で4になる。運命数が4と分かったら、手に持ったカードの束を上から4枚取って、それをカードの束の下に持っていく。要するに、4枚捨てるわけである。それからカードの束を上から1枚取り、スプレッドの2枚目の位置に配置する。
 3枚目以降も同じ。まずカードを4枚取ってカードの束の下へ持っていき、3枚目に出すカードを束の上から取る。カードを出す度に、まず4枚捨ててから、1枚取って出す。捨てる枚数はその日の運命数によって変わる。通常のタロットでは6枚捨てて7枚目を出す方法で統一されているが、数秘術を使って出した運命数を、捨てるカードの枚数に反映させるというやり方は、卜占に命占の要素を加えたようで、ちょっと断易にも通じるものを感じる。
 シャッフルしている間は、目の前にいるクライアントの問題に集中しなければならない。でも長い時間が掛かるので、手早くシャッフルできるように何度も練習して熟達しておくのは勿論だが、その間クライアントを待たせていることを忘れてはならない。そこで、シャッフルも一つのパフォーマンスと考え、クライアントを退屈させないような手捌きができないといけない。その辺りはショービジネスである手品師やカジノディーラーの見事なカード捌きを見習い、シャッフルだけでクライアントを魅了できるようになっておくことが理想である。できればここまでの過程を1分強で済ませるようにしたい。
 よくクライアントにカードを選ばせたり触らせたりする占い師がいるが、私は自分のカードを一切他人に触らせることはない。最初から最後まで自分だけでカードを触り、自分だけでカードを選んで完結する。これは私のやり方なので、それがいいかどうかは分からないが、人に触らせたり選ばせたりする必要性は何も感じない。
 この業界には様々な迷信があるが、私はこれからそれらの迷信を全て一刀両断していこうと思う。
 利き腕でない左手は右脳や潜在意識と繋がっているとか、右手は能動で左手は受動を司るという理由で、わざわざ左手でカードを引く人もいるが、私は普通に利き腕の右手でカードを並べている。これも特に左手をわざわざ使う必要は何も感じないので、ただの迷信だと思っている。右脳と左脳は脳梁で物理的に繋がっており、そこで常に情報交換しているのは解剖生理学の常識である。
 ジャンピング・カードというものがある。シャッフルしていてカードが飛び出し、テーブルの上にうっかり落としてしまうカードのことである。これはある意味本当の偶然が働いているわけで、これぞ本当の神託という考え方をするのもよく分かる。ワンオラクルでジャンピング・カードが5枚出るとか冗談を言う人もいるが、こうなるともはや何のスプレッドか分からなってしまう。
 私はジャンピング・カードは無視する。単に失敗したと思い、拾ってカードの束に戻し、何事もなくシャッフルを続ける。私はジャンピング・カードをどう考えるか以前に、ジャンピング・カードを出すこと自体がプロとして恥だと考える。冷静になってよく考えてみてほしい。手品師がカード・マジックを見せる時、ジャンピング・カードを出したところを見たことがあるだろうか? カジノのディーラーがカードを切る時、そんなヘマをするのを見たことがあるだろうか? ないと思う。あったら相当に恥ずかしいことである。手品師も占い師も同じくプロの筈なのに、どうして占い師だけが許されるのだろうか? ジャンピング・カードを出すのが占い師だけというのは、プロとして恥ずかしいと言わざるを得ない。私のような考えは少数派かもしれないが、そういう考え方もある。
 毎度毎度このような丁寧なシャッフルの儀式ができない時、忙しくて次から次へと手早く人数を捌かなければならない時もあると思う。そのような場合は最初に一度、一連の手順でシャッフルしておき、後は簡単なシャッフルで次の人、次の人、と進めていくしかない。3枚以内の少ない枚数で占うなら、簡易的な方法でカードを切って、カードの束の中から適当に抜き取るというやり方もある。よく扇形に並べ、そこからカードを抜いていく占い師もいる。狭いテーブルだとスペースを取るので私はそこまでしないが、やってることはそれと同じ。その辺りは臨機応変に対応するしかない。

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