効率化の時代に「あえて遅くなる」時間を作る
私が「散歩日和」と名乗って、エッセイを書いたりZINEを作ったりするのは、「日常の何気ない景色に宿っている美しさを見つめる視点」を大切にしたいからだ。

散歩は、何気ない日々に存在する代表格のような行為だ。効率化の時代に、目的もなく歩く。早足ではなく、あえてゆっくりと歩いてみたりして。無駄だといってしまえばそうでしかないのだけれど、無駄な行為の中にこそ、普段見逃してしまいそうな瞬間がたくさん宿っているのだと、効率化や速さが善とされる世の中に居心地の悪さを抱えている人に届いたらいいなぁと思いながら、私は今日もこうして綴っている。
そうやって日々「どんどん速く効率化されていく世の中」に順応できないと悶々としていたところ、「遅さ」「身体性」「感性」 をテーマにしたイベント登壇のご相談をいただいた。
散歩というとてもシンプルな実践を通して、日常の景色や感性のひらき方を更新されている姿勢にとても惹かれました。
「五感をフル活用すること」や、「今見ている景色は二度と見られない」という視点は、今回のイベントでまさにご一緒したいテーマそのものだと感じています。
私が細々と日々考えていることに興味をもってくださる方が、そして見つけてくださる方がいるのだ!と驚きながらも嬉しく、日々の発信を続けていてよかったと思ったことを覚えている。
そうして、先日イベント「まちをなめる」を無事に終えることができた。この記事では、イベント登壇をして感じたこと、より深まった「遅くなること」への視点をまとめていきたい(イベント主催者さま、素敵な機会をいただき、本当にありがとうございました🍃)。
散歩を通して「無意味な時間」について考える
イベントでは、「散歩を通して日常の捉え方を更新していく実践者」としてお話させていただいた。前半はゲストトーク、クロストーク、後半はワークショップとシェアの時間。ワークショップでは実際に参加者全員で街を歩いて、身体性と感性の行き先を観察する時間が設けられた。

自分の内側から立ち上がってくる感性を観察する。その時間を作るには、散歩をするのがぴったりだ。
散歩とは、ある意味で内省的な行為だと思っている。歩いているとき、ふと周りのある景色が気になって目が離せなくなる。そんなときに、「なんで今、この景色を見て立ち止まったのか?何が私を惹きつけたのか?」と自分に問いかける。
そこで、繊細に揺らめく影であったり、道端に咲く小さな花であったり、たしかに存在するはずの、しかしあまりにもさりげなさすぎて見逃してしまって「存在しないこと」にされてしまったものが、意味もなく歩いていると浮かんで目の前に見えてくるようになる。
新卒で入った旅行会社での仕事がコロナ禍で壊滅的に暇になったとき、することがないからと近くの川をひたすら歩いていたときのことを思い出す。忙しく過ごしていた日々がピタッと静止したかのような無意味な時間がたくさん生まれて、その中でいろんなことを自分に問いかけた。
「これからどう生きていこうか」「転職活動をした方がいいのか」といったネガティブな不安を抱えながら歩いていて、歩き続けているといつしか「余白の時間であれこれ考える時間があるのはいいなあ」「理想の暮らしってなんだろう」と将来に向けて考えていることに気づいた。
それから私は仕事を辞め、アパートを解約して移住先探しのための多拠点生活をはじめた。きっと、忙しく過ごしていたら気づけなかった、心の奥にひそんだ理想の暮らしを、散歩で生まれた余白の時間が引き出してくれたのである。
立ち止まらなければ、見えてこないものがある。余白が生まれるからこそ、自分自身の気持ちを、周りの風景を、季節の巡りを、感じることができる。今回のイベントを通して、改めて「立ち止まってみることの大切さ」をより一層強く感じられた。

今回のテーマ「曖昧さ」に合わせて素材を組み合わせたそう。
まちをなめるように歩いて見えてきたもの
イベントの後半では、実際に会場のすぐ近くにある天神橋筋商店街を、参加者それぞれの視点で歩くワークショップを行った。いつもよりゆっくりゆっくりと、まさに「なめるように」街を練り歩き、気になった風景を写真に撮って、なぜ気になったのかそのときの気持ちを観察してメモに残す。そうやって30分ほどゆっくりと歩いた。

天神橋筋商店街を歩くのは、実ははじめてだった。夜だったにもかかわらず、行き交う人々は多く、活気がある。速度を下げて歩いていると、速やかに歩き去る人たちに取り残されるかのような気持ちになった。現代の基準で生きていると、「あえて遅くなる」には勇気と努力が必要なのだと思い知る。遅くなる勇気、立ち止まる勇気、空白を恐れない勇気。
まるで自分と、自分が見ている景色だけがスローモーションに動いているかのように錯覚しながら、それでもあえて速度を落として歩き続ける。
すると、どうだろう。
いつものように歩いていたら見逃してしまったであろう風景が、次々と目の前に飛び込んでくるのだった。
たとえば、「駐輪禁止」の張り紙。
それぞれの店舗で、「店の前に自転車を停めないでください」ニュアンスの張り紙がされていて、その文言の違いを探るのが楽しく、張り紙に注目しながら歩いてみた。
「駐輪禁止」のステッカーが貼られている店、「お客様以外の駐輪は御遠慮ください」という優し目の注意書き、「自転車停めるな!」という強迫的な注意書き、そして極め付きは、

「どうなってもしりません」の言葉。たぶん、社会的な表現をすると「自転車の紛失には責任を負いかねます」という言葉であるはずで、実際にそのように書かれていたらそこまで目につくことはないだずだ。だって、一般的な表現で、日ごろからそれとなく目についている文章だから。なのに、「どうなってもしりません」と書かれている瞬間、なぜだか興味が湧いてくる。
そもそも、駐輪禁止の張り紙がなぜこんなにもたくさんあるのか。それはきっとこの商店街が地元の人の暮らしに根付いているからで、歩きでも車でもなく、自転車、というところが暮らしだなぁと実感する。夕方、自転車で商店街に立ち寄り、スーパーで食材を買ったり、花屋さんで花を買ったり、総菜屋さんで世間話をしながら夕食のメインを買ったり。そういった、日常に商店街がある暮らしをしている人は、今の世の中では少数派かもしれない。なんでも揃う郊外のショッピングモールはもちろん便利でありがたいが、自転車で通える距離に商店街があり、そこで見知った顔の店員さんと話しながら買い物をする、なんだか羨ましいなぁと感じたりする。
(と、こんなことを歩きながらそこで暮らす人々の生活を妄想していたが、実際「駐輪禁止」に困っているのは、電車を利用する人が駐輪料金をケチって自転車をどこかしらに置いていってしまうからなのか…?あれ?と分からなくなった)
植物や看板や店構え、道路標識などに目を奪われながら、交わることのない誰かの人生を勝手に妄想する。趣味でさえ「有益なコンテンツ」でなければならない気がする今の世の中で、こんなにも無駄な行為があるだろうか。けれど、無駄という余白があるこそ、思考は深まっていくのを知っているから。私はあえて一度立ち止まったり遅くなったりすることで、勇気をもって余白を作る選択をするのだ。
たまには余白の時間だからこそ生まれる発見や感情をじっくりと味わう機会があってもいいのではないか。そう思って、私は日々街歩きを楽しんでいる。

「押」のボタンに大きな矢印が貼ってある優しさ。

ゆっくり歩いていたからこそ見つけたもの。
ワークショップ終了後は、会場に戻り、参加者が撮った写真をスライドに映し、気になった写真をピックアップ。なぜこの写真を撮ろうと思ったのか、気になる要素は何だったのかをシェアしてもらう時間が設けられた。ひとりで街歩きを楽しむのももちろん好きだが、思考をシェアするだけで、さらに感性の幅が広がっていく気がした。
効率化の時代に「あえて遅くなる」時間を作る
イベントに登壇して、改めて思ったことがある。
効率化の時代に「あえて遅くなる」時間を作る必要性。何でもかんでもすべて効率化していたら、考える余地や答えのない曖昧さを失ってしまうことになる、のだと。たしかに、効率化すれば便利になるかもしれない。ただ、効率化を進めたところで、それで空いた時間にはさらに何か新しいタスクがやってくるだけだ。「これを終わったら、あれをやらなきゃいけない」ループするようにずっと思い続けてしまう。
だからこそ、速くなっていく世の中で、少しでも立ち止まって「あえて遅くなる」時間を作ること。いつもとは違う道を歩きながら寄り道を楽しんだり、PCやスマホで文字を打つのをやめて紙の手帳に感情を綴ってみたり。忙しなく過ぎる日常のなかで、ほんの少しでもいいから遅くなる時間を作ってみると、自分の日々に手触り感が一気にやってくる気がする。自分で自分の日常を作っているぞ、という感覚だ。

これは、決してAIをまったく使わない!といった極端な話ではない。効率化や最速が良しとされる今の時代に、どれだけの「非効率」や「遅さ」を楽しめる時間を確保できるかどうか。
Googleマップは最短最速のルートを導き出してくれるけれど、最短最速のルートに、必ずしも私の心が揺れ動く景色があるとは限らない。急いでいる時はGoogleマップで導き出された最短最速のルートが間違いなく便利だが、そうじゃない時間、たとえば、地図を見ずに街を歩いてみたり、歩いたことない道だけを選んで散策してみたり、途中で見つけたカフェに必ず入ると決めて歩いてみたり、そういった非効率さを楽しんでいる時に、心の余白から立ち上がる感情が見えてくる。

車窓から見える景色を味わう余白の時間と捉えたい。
この余白の時間を、日常の中に取り入れる。ささやかな風景から、自分の心が揺れ動く瞬間を観察する。非効率の中から生まれる楽しみ方を味わう。余白の中で生まれた感情を言葉にする。すべて時間がかかり、この世の中では無駄だと一蹴されてしまいそうなことだが、私はその中に価値を生み出せる人で在りたいな、と常々思っている。
▶︎季節の移ろいと感情の揺らぎを綴った日記本を作りました📚
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