パチンコ屋の光に吸い込まれた日
パチンコ屋の光に初めて吸い込まれたのは、ずっと昔のことだ。
まだ子どもだった頃、父親に連れられて入ったことがある。
今では完全アウトだが、当時は「ちょっと座っとけ」くらいのノリで連れていかれた。
店内はうるさすぎて、子どもの鼓膜にはほぼ環境テロだった。
終わったあと、父が景品交換でスーファミのカセットを取ってくれた。
なぜかクソゲーだった。父のセンスなのか、店の在庫事情なのかは今も謎だ。
自分の意思でパチンコ屋に向かったのは、大学の3~4年生の頃だ。
友達が「昨日あの台でアツくてさ!」などと話すのを聞きながら、
なぜか胸がざわついた。
大人の階段を登るより先に、光の階段を登ってしまったパターンである。
ただ、誰かと行くのは気恥ずかしかった。
まるで「パチンコ童貞は1人で卒業しなきゃいけない」という謎ルールでもあるかのように、
初入店はひとりで行くことに決めた。
期待に胸をふくらませつつ、妙にソワソワしながら、
私は自動ドアへと歩いた。
あの瞬間の自分に声をかけるなら、
「やめとけ」と言うか、「行け」と言うか、正直まだ決めかねている。

選んだのは1円パチンコの初代『マクロスF』。
好きなアニメだったからだ。それ以上の理由はない。
スペック?知らない。期待値?知らない。
でも好きな作品のキャラが出てくる台なら、きっと当たる。そう思っていた。
若さとは恐ろしい。
結果は、3000円がきれいに消えただけだった。
ただ、予想外だったのは“ショックじゃなかった”ことだ。
「当たらなかったけど……なんかもうちょっとだけ座っていたい」という、
完全に失敗フラグの気配が胸の中に生まれていた。
それが始まりだった。
“取り返したい”
その感情が芽生えた瞬間、人生のレールが1本ズレた気がする。
その後は1円コーナーで京楽の『銭形平次』に取り憑かれ、
『スケバン刑事』で意味不明の連チャンを体験し、
勝っては調子に乗って2円へ、さらに4円へ。
勝てば嬉しい。負ければ悲しい。
ただ若い頃の私は、その悲しさを毎回
「今日は運が悪かっただけ」
の一言で雑に処理していた。
メンタルが強いのか弱いのか分からない。
気づけば、戻れない場所まで歩いていた。
もちろん、その頃の私はそんな自覚はない。
「なんか楽しい」という謎の快楽だけを頼りに座っていた。
その裏で何かが着実に狂い始めていたとしても、である。
今の私にとって、パチンコは“何も考えなくていい時間”の象徴だ。
外来では一秒ごとに判断を迫られるけれど、
ここでは「当たるかな」「外れるかな」だけ考えていればいい。
人生、そういう時間があってもいいと思う。
もちろん、負けた帰り道に
「この3000円で家族においしいデザート買えたよな…」
という反省が頭をよぎる日もある。
しかし反省はいつも遅れてやってくる。
そして大抵の場合、次の光に消される。
大学時代に踏み込んだあの一歩が、
今の私の生活の一部を確実に形作ってしまった。
良かったのか悪かったのかは分からないが、事実としてそうなった。
光に吸い込まれる瞬間は、誰にでもあるのかもしれない。
私の場合、それがパチンコ屋だった。
次は、そこからもう少し広い“僕自身の話”を書いてみる。
※文章として整えているのはAIですが、
ここに書いた内容はすべて私の実体験です。
AIは光に吸い込まれませんが、私はまだ吸い込まれます。

