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🩺 医者シリーズ 第1話#医学部に受かったあの日、人生が少し変わった

医学部に受かった瞬間、  
それは当時の人生で“いちばん嬉しい出来事”だった。

今は子どもが生まれた日のほうが上かもしれないけれど、  
20歳のあの日は本当に胸が熱くなった。

「これで生きていける」  
「なんとか自立できるかもしれない」

そんな安心を、人生で初めて持てた日だった。

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■ 医者家系でもない、後ろ盾もない自分にとって


うちは医師家系でも何でもない。  
背負うものもない代わりに、後ろ盾もない。

ただ、祖父も父も「医者になりたい」と言っていたらしい。  
祖父は戦争で勉強ができず、  
父は三浪して叶わなかった。

だから“医学部合格”という出来事には、家族にとって特別な意味があった。

当時の家庭環境はほぼ壊れていたけれど、  
それでも喜んでくれた姿は素直に嬉しかった。

■ 医学部で私は浮かれた


そして私は見事に浮かれた。

文化系サークル、飲み会、深夜のドライブ、旅行。  
バイトも続けて、とにかく楽しい大学生活。

そして──パチンコにも行くようになった。  
(前回の記事で少し書いた通り。)

結果、成績は学年最下位層をずっとさまよい、  
留年の危機で教授に頭を下げ、  
「今年だけは…」と同情で進級する。

それを5回繰り返した。

■ 医師国家試験:偏差値30台の常連


医師国家試験は6年生の冬に行われる。  
模試や予備校が充実していて、みんな本気で取り組んでいた。

私はというと──  
模試は偏差値30台。  
全国1万人中、下から500番以内。

毎年1000〜1500人が落ちる試験の中で、  
ずっと“圧倒的不合格圏内”だった。

ただ、友人にだけは本当に恵まれていた。  
卒業試験も国試の勉強も、  
仲間に入れてもらったおかげで乗り切れた。

■ 試験前日はパチンコに行った


国試は2日間。  
普通なら前日は追い込みだろうが──  
私は当たり前の顔でパチンコへ向かった。

「外れてくれ、勝つな。  
ここでは運を使うな。試験に回せ。」

そう願いながら打った。

ちゃんと負けた。  
そして試験には勝った。

“医者になる入口に立てた”という実感があった。

■ この日のことを今も覚えている


私は要領の良い学生ではなかった。  
むしろ逆だ。

運と友人、少しの根性、  
そして試験前日に適度に負けたパチンコが、  
私を医者の入口まで押し出してくれたような気がする。

26歳の春。  
掲示板で自分の番号を見つけた瞬間のあの景色は、  今でも鮮明に覚えている。


🌱 **次回予告**  
《医者シリーズ 第2話:初期研修という地獄(と、その大事さ)》  

・家に帰るのは2〜3日に一度  
・当直10回  
・患者より自分の方が調子悪い日々  
・それでも大成功だった初期研修先の選び先

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