【こぼれ話】元カレ裁判話【裁判迄の経緯】
注意:これは元カレが貯金返さず遁走し裁判をした愉快な話のこぼれ話です。
先に下記を読むと経緯がわかります。
こぼれ話
元カレ裁判話のこぼれ話で、ページの都合で載せなかった話を書きました。
私の聖誕祭(私の誕生日の名称)ついでに上げます。
裁判する迄に時間がかかった理由
裁判をした元カレに、私が裁判を決意して裁判当日を迎える迄の間、半年以上かかってしまいました。
それはひとえに「穏便に済ませたい」という気持ちがあったから、でもそれは決して元カレに対して情があった訳ではなく「当日心身共にお世話になり、私に良くしてくれた元カレのご家族に迷惑をかけたくなかった」と言う私の情でした。
元カレの両親について
私的に縁を切っていた血縁と、物理的に縁を切った話でも書きましたが、私は早くに父を亡くして、他の身内とも地獄の釜の中のような理由があって疎遠になりました。
つまるところ、私は血縁と縁が薄い方です。
と言うか今現在は物理的に縁も切りました。
そんな私が、元カレと付き合い出した当時の状態ですが、もう既にクソババア的な祖母が亡くなり、実家で実兄と二人暮らしをしていた時期でした。
まあそれも又、地獄の釜のような最悪な時期だったので、元カレと付き合ってすぐ、元カレからそのご両親を紹介された瞬間、私がこう、両親的な存在に飢えていたのもあり、私は元カレのご両親に即懐きました。
そしてそれは元カレのご両親もで、とてもあたたかく迎え入れて貰い、家族と言えるような親密な関係になりました。
今思えば元カレのご両親にもこう、打算と目的(特定の彼女を作らず、何とか作っても数ヶ月で別れる的な女性関係がフラフラしていた跡取り息子(元カレ)に、家柄と持参金がある私が彼女としてできたので、元カレの年齢的にも、何としても今私を嫁に迎えたいっての)があったのでしょう。
しかし私も私で、早くに実母は要介護になって祖母ともどもヤングケアラーの元凶になり、まともだった実父も亡くし、母親と祖母の介護で心身共にボロボロしていた時期だったので、ここに来てようやく「甘えられるまともな庇護者ができた」となっていたので、地獄に仏と言う感じでした。
本当にお互いにいいタイミングに出会い、いい関係だったんですよね。
元カレではなく、元カレのご両親と私が。
そんな訳で、当時の私は元カレの家に遊びに行けば、ご両親が私の手を引いて車に乗せてあちこち連れ回し、色んな人(元カレの家業の関係者)に紹介され、公私ともに「息子の嫁です」として喧伝され、元カレそっちのけで、がっつりと取り込まれていったのです。
と言うが「遊びにおいで?」としょっちゅう直メールをお母さんから貰い、その度に元カレ宅に遊びに行けば元カレ不在で、私が「あれ?お母さま、元カレはどこですか?」とお母さんに聞くと「あの子(元カレ)は今日仕事だから私しかいないわよ?さ!今日は歌舞伎観に行きましょう!終わったら◯◯でご飯食べましょうね?」となる感じでした。
上記のように、特に元カレのお母さんは、会った初日から「私の事はお母さんて呼んで!」と宣言され、家に遊びに行けば元カレを置いて(時々共だって連れ出されるがほぼ元カレは空気扱いになっていた)、私を連れ出して遊びに行くのが常で、ホテルランチだ観劇だ映画だ美術館巡りだ水族館だレストランディナーだと連れ回され、手持ちの着物だ帯だ髪留めだと贈り物をされる日々でした。
元カレのお母さんと私の性格や趣味嗜好が似ていたのもあったのですが、お母さん曰く実の娘さん(元カレのお姉さん)と折り合いが悪く、娘さんが結婚されて家を出てからは更に疎遠になったそうで、会う度に「私こんな娘が欲しかったの!」と面と向かって言われ、猫の子のように可愛がられていました。
ちょっと、いやかなりお人形さん扱いだった気もしましたが、私は本当に血縁、特に実母が地獄なので、大人の女性から母親として娘扱いされたり、優しくされたり、それが本当に嬉しかった為、私からも喜んで仲良くさせて貰っていた訳です。
元カレのお父さんも、お母さんと仲良しの私を見て安心されたそうで、お母さん程ではないにしろ、家に行くと一緒にサッカー中継見ない?これ食べない?映画のチケットあるからいる?この本好きそうだけどいる?とあれこれと世話を焼いてくれました。
後まあ、ここ迄書いていてあれですが、当時の私も自覚していました。
元カレ的にはこれが「面白くなかった」んだろうなあと言う事が、あからさまに私に対する態度が雑になってきて、口調も横柄になり、見下す感じになってきたので、付き合っていてだんだん楽しくなくなってきました。
でも当時の私は脳内お花畑(初カレシ)だったので「そうは言っても付き合ったら結婚するものだろうし、ご両親はそのつもりだし、その準備もしているし、こいつ(元カレ)も不平不満があるならちゃんとそう言えばいいのに」となっていました。
私にネチネチと「お前母さんが優しいからって調子に乗るなよ?」と当たってくる度に「私の立場的に断れないんだから、不満があれば私じゃなくてご両親にいいなよ?」と言えば「お前が気を利かせろよ?」とキレられるので、平行線でした。
今なら言える。
早く別れろと、お互いに「結婚するしなあ」となっていたので、ギスギスと健全じゃない関係になっていったんですよね。
そんな経緯もあり、元カレが浮気をした時も「悲しい辛い別れたくない」より「何コイツ面倒な事をしてくれとんねん」となった訳です。
後、元カレも不平不満で浮気するなら別れてからしろ。
浮気の経緯は裁判話で書きましたが、その前からも上記の経緯もあり、元カレの態度や行動から「コイツ(元カレ)浮気してないか?」と容易に推測していた為、動かぬ証拠(彼氏の携帯電話に深夜電話したら浮気相手の女が出た)を目の当たりされた際に「嫌なら別れる?(ニヤニヤ)」と元カレから言われて「ここで別れると結婚直前だしご両親の事もあるし色々と面倒だなあ」と悩んだ訳です。
でも結局の所、愛も恋も情も尽きていた事が判明しただけだったので、皆さんにご存知の通り、元カレとサクッと別れた訳です。
しかしまあ、元カレと別れたら別れたで、そこから預けていたお金を返して貰う迄、いや、裁判に踏み切る迄、このご両親との関係もあり難航した訳ですよ。
別れた後の話
まずお母さんが号泣。
「私がどうにかしますから、どうか(元カレと)よりを戻して下さい!」と泣き崩れる程に懇願されました。
正直心が痛かった。
しかし元カレがアレだったのと、結局の所お母さんが一人頑張られても「元カレ自身は浮気を反省しない」「元カレは私に謝罪しない」「元カレはお金を返さない」「お父さんは静観を決めた」「お母さんが代わりにお金を用意できない」と言う感じで、時間だけが無為に過ぎ、お金が返ってくる目処が立たなかったので、お母さんとは「もう無理です」とお伝えしてさようならをしました。
お父さんは至ってドライでした。
「もう本人も成人していますし、一緒に住んではいますが、独立したと私は思っているので、浮気も、離別も、お金を返さないのも、
その結果あなたから訴えられるのも、自己責任です。私は息子の味方も、あなたの味方もしません。お好きになさって下さい」と言われました。
まあその通りの正論なんで、むしろ元カレの味方をせず、私に慰留もせずで、助かったくらいです。
そしてお父さんがこの件で一切動かないので、お母さんはお父さんに経済的に依存していた為、結果として何もできなかったんですよね。
お母さんがひたすらに泣き崩れて毎夜メールや電話をしてこられたのが、本当に心が傷んで修羅場でした。
まあ全部元カレが悪いんですけどね!(仕方ない)
そんな訳で、当時の私は裁判に踏み切りました。
そんな別れてから裁判迄、準備含めて半年かかった理由でした。
まあ浮気する男はもうゴリゴリなのと、ここ迄結婚前提でガッツリと付き合ったのに、結果別れ話でご両親に迷惑かけるわ、預けていた金を勝手に使っているわ、裁判になる迄金は返さないわ、心身ともにほとほと疲れたのと、それとは別に血が繋がった血縁と縁を切るような関係性も相まって、「結婚」や「家族」に何一つ期待を持たなくなった私は、時々恋人は作りますが、基本的に荒川区で一人暮らしを謳歌するに至った訳です。
他人同士で付き合うなら、せめて楽しいだけでいましょう。
苦しいを分かち合ってもいいですが、無理なら、嫌なら別れましょう、他人なんですからと言う人生観、恋愛観に至った、私の経緯詳細でした。
後今日誕生日なんで、皆さんどうか盛大に私の誕生日を祝いましょう!
と言うか祝ってね?
これは毎年「コイツ本当に欲しい物しか書いてない」と定評な私のガチで欲しい物リストを置いときます(何)

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