見出し画像

安息年の法的構造とミシュナ「Sheviit(シェヴィイート)」による実務的規定 第3回:収穫・商行為の制限から「biur」の地域規定、および「prozbul」による負債免除の法理

*本稿は、ミシュナ「Sheviit」第8章から第10章を軸に、安息年の法的実務を完結させるものである。前回の振り返りとして商取引・収穫制限の原則を確認した上で、保存作物を公共に開放する「biur(除去)」の厳格な地理的基準を詳述。さらに、経済的困窮を防ぐための法的転換点である「prozbul(プロズブル)」の構造と、債権免除のハラハー(律法)的解釈を提示する。日本語圏の形骸化した言説を排し、原典の法理を冷徹に記述した専門論考である。


前回の振り返り

【1】商業的取引の禁止(第8章3節)

 安息年の産物は「通常の商売」で扱ってはならない。

 長さ、重さ、数といった商業的な単位を用いた販売は禁止されている。例えば、通常は重さで売るいちじくを数で売るなど、単位を変えても認められない。

 Beit Shammaiは「束にすること」自体を禁止したが、Beit Hillelは、玉ねぎのように慣習的に束ねるものは市場でも認めるという、より柔軟な立場を取っている。

 商売としてではなく、3回分の食事程度の少量であれば取引が許容される場合がある。

【2】硬貨の聖性と債務支払いの禁止(第8章4節)

 安息年の産物を売って得た硬貨には「聖性」が移ると見なされる。

 借金の支払いは商業的行為であるため、聖性の宿った硬貨を借金の返済に充てることは出来ない。

 代金を明示せずに商品を受け取ることは習慣的にツケと見なされるが、「後で野菜を持ってくる」といった交換の約束であれば許容される場合がある。

【3】役務(サービス)対価への充当禁止(第8章5節)

 安息年の産物を仕事の報酬や利用料として支払うことは禁止される。

 井戸掘り、風呂屋、床屋、ボート屋などへの支払いに用いてはならない。

 「飲水」のためであれば交換が認められる。また、所有権放棄と共有という安息年の本質に適合する「贈り物」として与えることは許容される。

【4】非効率な収穫・精製方法の義務付け(第8章6節)

 安息年には「通常の仕方」で収穫・精製を行わないことで、土地に安息を与えていることを示す。

 いちじくを専用の刃ではなく「剣」で取る、ぶどうを圧搾機ではなく「こね鉢」で潰すなど、意図的に非効率な方法を用いる。

①Rambamの見解

 全ての場合において、少量を手作業で収穫すべきである。

②Rashの見解

 収穫制限は、本来開放すべき畑を違法に囲い込んだ者に対する罰則的な意味合いが強いとする。

③ラビ・シモンの見解

 通常の圧搾機を使用してもよいとする、比較的緩やかな立場を取っている。それでも大量生産(商業的行為)は認めない。

 この内容に不安を感じる方は、以下のリンクから確認して欲しい。

◉安息年の法的構造とミシュナ「Sheviit(シェヴィイート)」による実務的規定 第2回:商行為の禁止原則と収穫・精製における変則的運用の規定

https://note.com/mishnah/n/n134cc477b371

「biur(除去)」の適用基準:イスラエル全土の地理的・植生的境界規定


 今回はまず「Sheviit」9章の節を幾つか扱う。

 biurに関して、3つの地域がある。ユダヤ、ヨルダン川の向こう、ガリラヤ。それぞれ3つのエリアから成っている。上ガリラヤ、下ガリラヤ、谷;つまりケファル・ハナニヤから高地へ、どこであれ、プラタナスが育たないところは上ガリラヤ、ケファル・ハナニヤから下、プラタナスが育つところは下ガリラヤ。ティベリアは谷である。ユダヤ;山々、低地、谷。

(Sheviit 9:2)

 このシリーズの記事でbiurについては既に解説した。安息年の間、人は野にある作物を収穫して家に保存出来る。

 しかし、その作物が「野(自然界)」から消えた瞬間、家の中に保管している分も、もはや個人の所有物として保持することは許されず、家の外に出して誰でも取れる状態にしなくてはならない。

 これが「biur(ビウール)」である。

 少し考えれば分かる通り、これはイスラエル全土に一律の基準で適用したら広すぎる。またある作物に関しては既に無くなっているものの、まだ野に残っている種類の作物もあるだろう。

 「Sheviit」9章2節は、この内の地域割りについて言っている。以下のようにまとめられる。

(1)ガリラヤ

 ガリラヤは植生によって明確に区別される。

①上ガリラヤ

 ケファル・ハナニヤより北の高地。プラタナスが育たない寒冷な地域。

②下ガリラヤ

 ケファル・ハナニヤより南の低地。プラタナスが自生できる温暖な地域。

③谷

 ティベリア周辺などの低地。

(2)ユダヤ

 地形によって3つに分けられる。

①山々(山岳地帯)

 エルサレム周辺など。

②低地(シェフェラ)

 ロドの低地などが含まれる。

③谷

 エリコ周辺など。

(3)ヨルダン川の向こう(トランスヨルダン)

 本文には記されていないが、ここも同様に、山岳、低地、谷の3つに分けられる。

 これがbiurを考慮する上での基準となる地域割りである。

 細かく地区割りしているなら、大きな3つの地域はなぜ必要なのであろうか?それが次のミシュナで示される。

 ではなぜ3つの地域があると言うのだろうか?人々が安息年の作物を、それらの地方の全てから消えるまで、食べてよいように。

(Sheviit 9:3)

 小さい地区において、1つの作物が野から無くなったとしても、同じ地域内の別の地区に残っているなら、まだ所有してよいという趣旨である。

 続きには以下のように書かれている。

 ラビ・シモンは言う、「彼らは3つの土地をユダヤにおいてのみ語っている、全て他の土地は王の山として扱われる」。全ての土地は、オリーブとヤシに関しては同一である。

(Sheviit 9:3)

 ラビ・シモンの見解は、上述の「3つの地域×3つの地区」に対する異論である。彼に拠ると、3つの地区に分かれるのはユダヤだけである。

 他の地域については、地域全体が1つの地区としてそれぞれ見なされる。

 最後の「全ての土地は、オリーブとヤシに関しては同一である」については、この2つの作物に関しては、イスラエルは1つの地域と見なされるという事である。

 次である。

混合保存された作物におけるbiurの判定とハラハーの帰結

 もし3つの野菜を1つの樽の中に保存しているなら、-ラビ・エリエゼルは言う、「最初のものに従って食べてよい。」ラビ・ヨシュアは言う、「最後のものである。」ラッバン・ガマリエルは言う、「如何なる野菜であれ、畑から消えたものは樽から出さなくてはならない。」そしてhalachahは彼の見解に従っている。

(Sheviit 9:5)

 これは異なる野菜を1つの樽の中で保存していたが、それぞれ異なる時期でbiurが到来した場合である。

 以下のようにまとめられる。

【1】ラビ・エリエゼルの見解

 樽の中のどれか一種類でも野から消えたら、樽全体の所有が認められなくなる。

【2】ラビ・ヨシュアの見解

 樽の中の最後の一種類が野から消えるまで、樽全体を保持して食べてよい。

【3】ラッバン・ガマリエルの見解

 biurの到来した種類は、出さなくてはならない。

 「halachahは彼の見解に従っている」とは、ラッバン・ガマリエルの見解がhalachahであるという事である。

 次に進む。

負債免除の法的性質:債権の免除と「店のつけ」の例外規定

 1七年目ごとに負債を免除しなさい。 2負債免除のしかたは次のとおりである。だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除の布告をされたからである。 3外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。

(申15:1~3)

 作物に関する安息年の掟は土地に関わっている。従ってイスラエルのみに適用される。この点借金の帳消しは異なる。土地に関係しないからである。

 借金は安息年の終了と共に効力を発する。それはエルールの月の末尾の終了と共にという事である。

 幾つか具体的に事例を挙げる。

 安息年は負債を免除する、それらが文書に記録されているのであれ、記録されていないのであれ。店のつけは帳消しにならない。しかしもしそれを負債に振り替えるなら、免除される。

(Sheviit 10:1)

 文書で記録されているものであれ、記録されていないものであれ、安息年の終了と共に負債は免除される。

 しかし店のつけは帳消しにならない。店主は金を貸す為に商品を売ったのではない。ただそれを借金に振り替えるなら、免除の対象になる。

 続きである。

賃金債権の扱いと安息年を跨ぐ労働報酬の法的解釈

 ラビ・ユダは言う、「以前のつけは免除される。」労務を提供した者の賃金は免除されない。しかしもしそれを負債に振り返るなら、免除される。ラビ・ヨセは言う、「如何なる仕事であれ、安息年に終わる仕事については免除される、しかし安息年に終わらない仕事は免除されない。」

(Sheviit 10:1)

 まず、ラビ・ユダの見解は、つけの後に何かを買ったのなら、前につけにしたものは借金になると理解する。

 労務を提供したが、給料を貰っていない者は、賃金を受ける権利を失わない。それを借金に振り替えるなら、免除される。

 ラビ・ヨセの見解は、安息年の内に終わる仕事であるなら、自動的に借金と見なされ、帳消しとなる。

 安息年をまたいで仕事が続く場合、まだ仕事が完了しておらず、報酬は「確定した負債」とは見なされない。そこで安息年が明けても支払い義務は残る。

 最後にprozbul(プロズブル)について述べる。

社会的融資停滞の打破:ヒレルによる「prozbul(プロズブル)」の法理と要諦


 安息年によって借金が帳消しになることが分かっているので、当然貸す方は貸したくない。そこで貸し倒れを恐れた富裕層が貧困層への融資を拒むという社会問題が起きたものである。

 ヒレル(Beit Hillelの創設者)は「貧困層が資金を借りられなくなる」という事態を防ぐ為、法的に負債を維持する仕組みを作った。

 それが次のミシュナに記されている。

 prozbulは帳消しされない。これはヒレルによって定められたものの1つである。彼は人々が金を貸し渋り、トーラに書かれていること「『七年目の負債免除の年が近づいた』と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい」(申15:9)に違反していることを見て、prozbulを定めたのである。

(Sheviit 10:3)

 ヒレルは人々が貧しい人に貸し渋り、トーラの掟に従っていないことを見た。そこでprozbulの制度を作ったのである。

 そのprozbulの本質は、次のミシュナに記されている。

 これがprozbulの要諦である。「私はあなたに告げます。どこどこの町の判事誰々と誰々に、私が望む時はいつでも回収できる全ての貸付金を譲ります。」そして判事たち、もしくは証人たちが文書の一番下に署名する。

(Sheviit 10:4)

 これは貸し付けた者が所有している債権を、法廷に譲渡する形式を取ったものである。

 法廷が所有している債権は、安息年と共に免除されない。prozbulとは以上の内容を記した法廷による公式の文書であり、判事たち、証人たちが署名する。

権利放棄のプロトコル:法的強制力と所有者による自発的宣言


 ただ、このような迂回ルートを認めると、今度は安息年の掟自体が骨抜きにされる。そこで次のような規定も置かれている。

 もし誰かが安息年に借金を返そうとするなら、彼は彼に言うべきである。「私はその貸付金を放棄しています。」もし彼が彼に「それでも」と言うなら、彼は返済を受けてもよい。

(Sheviit 10:8)

 たとえ返済を受ける権利を持っていたとしても、貸し付けた者はまず「私はその貸付金を放棄しています」と言うべきである。

 借りた者がそれを聞いてもなお、「受け取って下さい」と言うなら、受け取ってよいというものである。

 以上で簡単にではあったが、安息年についての連載を終える。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sheviit』法理研究

https://note.com/mishnah/n/nef4129b1101f


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

いいなと思ったら応援しよう!