ミシュナ『Machshirin』の法理研究 第1回:レビ記におけるhechsher(ヘフシェル)の成立要件ーー7種の液体・土地付従性・所有者の満足
本稿は口伝律法ミシュナ第6部『Tohorot(トホロット)』に属する『Machshirin(マフシリン)』の第1回目の解説である。
今回はシリーズの概論として、レビ記11章34節および37~38節に端を発する、食品が汚れ(tumah)に対して感受性を獲得するプロセス「hechsher(ヘフシェル)」の成立要件を網羅。
hechsherを有効化する7種の主要液体(Machshirin 6章4節)の列挙から、作物の土地付従性の問題、ヘブライ語聖書テキストの異読(yutan/yitein)から演繹される「所有者の満足」の客観的判断基準、および中世注解者(Rashi, Rambam, Rash, Rosh)によるneveilahの鳥を巡る汚れ、汚れへの感受性論争を網羅する。
『Machshirin』総論:レビ記11章における「hechsher(準備)」の定義と機序
今回から数回に渡って、口伝律法ミシュナ「Machshirin」を扱う。ミシュナ本文に入る前に概論から述べる。まずはトーラを引用する。
この器の中の水がかかった食物はすべて汚れる。
37それらの死骸の一つが種もみに落ちた場合、種もみは清いままである。 38しかし種もみが水に浸されていて、その上に死骸が落ちた場合、種もみは汚れる。
トーラのこの2つの箇所は、水気がかかった食べ物が汚れることを示している。食品は特定の液体によって濡らされるまでは、汚れの源と接触してもtameiにはならない。液体によって濡らされることを「hechsher(ヘフシェル:準備)」と呼ぶ。
以下、hechsherが成立した場合、「汚れに対して感受性を持つ」という表現を用いる。まだhechsherが成立しておらず、汚れの源に触れても汚れない状態については、「汚れに対して感受性を持たない」、あるいは「汚れに対して耐性を持つ」という表現を用いる。
口伝律法ミシュナ「Machshirin」はhechsherに関する細則を扱っている。すなわち具体的に如何なる場合にhechsherが成立し、如何なる場合には成立しないかである。
この細則はシナイ山におけるモーセの伝承(Halachah LeMoshe MiSinai:ハラハー・レモーシェ・ミシナイ)によって受け継がれてきたものである。
食べ物におけるhechsherの要件は、道具が完全に完成してから初めて汚れを受ける状態になるという規則に似ている。職人がデザインを彫り終えたり、磨き上げたりして最終段階に達していない道具は、tameiにならない。
同様に、律法は食品を濡らすことを「仕上げの工程」と見なしており、一度も濡れていない食品は「完成した食品」とは見なされず、不浄になることはない。
hechsherを有効化する7種の主要液体(ミシュナ『Machshirin』6章4節)
有効にhechsherとする液体は何でもよいのではない。「Machshirin」6章4節には次のように書かれている。
7つの液体がある。露、水、ぶどう酒、オリーブ油、血、ミルク、蜂蜜。
これらの7つの主要な液体はトーラの次元でhechsherを成立させると見なされている。その他これらから派生した液体はラビの規定レベルでhechsherを成立させるものであり、サブカテゴリーとして扱われる。サブカテゴリーとしての液体については、「Machshirin」6章5節で扱われる。
注意点として、7つの主要な液体であっても、「献げ物の血」や「肉を洗うために使われた水」など、特定の液体はhechsherを成立させない。
汚れに対する感受性(感受性維持の永続性)と土地付随性の法理
hechsherが成立する為には、食べ物全体が濡れる必要はない。食品のほんの一部でも濡れれば、食品全体が汚れに対して感受性を持つようになる。一度濡れた食品は、その後乾いたとしても、tumah(トゥマ:汚れ)に対する感受性を維持し続ける。乾燥したら汚れなくなるということはない。
特定の液体で濡れることの他に、幾つかの重要な原則がある。
まず農作物の場合、作物が土地に付従している間は、hechsherは成立しない。例えば刈り入れ前の小麦畑に雨が降っても、作物にhechsherは成立しない。
収穫前に濡れた産物は、収穫後も不浄に対して耐性(汚れを受けない状態)を維持する。ただし、収穫後に再び濡れた場合、その他の場合はhechsherが成立する。
hechsherは、濡れた時点で、その物が「食べ物」としての地位を確立している場合にのみ有効である。例えば生きている動物が川を渡って濡れても、その時点ではまだ「食べ物」ではないため、hechsherは成立しない。しかし、屠殺された瞬間にまだ体が濡れていれば、その水分が(皮を剥ぐ際などに)肉に滴ることで、その時点でhechsherが成立する。
液体および農産物の「土地からの切り離し(分離性)」の原則
作物だけでなく、使用される液体自体も土地から切り離されている必要がある。泉の水や貯水池、水たまりに溜まった雨水などは「土地に付随している」と見なされる。
他方で器に汲み置かれた水や、天然の状態で土地に付随することのない他の液体(ぶどう酒、油など)は「切り離されている」と見なされる。
例えば食べ物を泉(土地に付随する水)で洗ったなら、洗っている時点でhechsherは成立しない。しかし、食べ物を水から引き上げた際、付着している水は「土地から切り離された」ことになるため、その瞬間にhechsherが成立する。
「所有者の満足」原則と聖書テキスト(yutan / yitein)の解釈学的演繹
次に重要な原則は「所有者の満足」である。液体は所有者の意図や満足なしには食品をhechsher状態にすることは出来ない。例えばA氏の所有している作物が収穫され、保管されている時、B氏がA氏の意図に反してそれらを濡らしても、hechsherは成立しない。
この原則はトーラから引き出されている。
しかし種もみが水に浸されていて、その上に死骸が落ちた場合、種もみは汚れる。
この内、「 しかし種もみが水に浸されていて」の部分の原文を直訳すると「種もみに水が与えられ」となる。「与えられ」のヘブライ語は「yutan(ユータン)」であり、翻訳の通り受動態である。
しかしこの綴りを変えずに「yitein(イテン)」とも読むことが出来る。「yitein(イテン)」は「与える」という能動態になる。
この箇所の動詞の読み方については、シナイ山におけるモーセの伝承(Halachah LeMoshe MiSinai)により、受動態で読むこととされているが、2つの仕方で読めるという事実から、次のように演繹されている。
すなわち所有者が主体的に濡らした場合、食べ物にはhechsherが成立することは勿論である。他方で他者が濡らした場合であっても、所有者が満足するような状況であるのなら、hechsherが成立するという事である。
所有者が満足するような状況であるのかどうかは、所有者の主観よりも客観的な状況に従って判断される。具体的に如何なる状況で所有者が満足すると見なされるのか、様々なケースが「Machshirin」の中で検証されている。
所有者は、食品が濡れている間中ずっと満足している必要はない。食品が乾くまでの間のどこか一時点でも満足していれば、hechsherは成立する。
所有者の意図を無効化する例外:tamei(不浄)の液体による汚染
この「所有者の満足が必要である」という規則には、重要な例外がある。hechsherをもたらす液体自体がすでにtameiである場合、所有者の満足の有無にかかわらず、その食品は直ちに汚れる。
例えばA氏の所有している作物が収穫され、保管されている時、B氏がA氏の意図に反して、tameiの液体でそれらを濡らした場合、作物は汚れてしまう。この作物を神殿に献げたり、祭司へのterumahとして分けることは出来ない。
清い状態(tahor:タホル)の水であれば、所有者の意図や満足がなければ食べ物は汚れを受け付けない。しかし液体自体がtameiである場合は、人間の意図の有無にかかわらず直接作物を汚すことになる。
hechsherを免除される対象:聖別(terumah)による地位の格上げ
次に特定の食べ物は、hechsherを経ていなくても、汚れ(tumah)に対して感受性を持つことについてである。
その代表的な例は、聖別された食べ物である。物が聖別されると、その物は自動的に「完成した」食べ物としての地位に引き上げられる。
食べ物を濡らすことは「仕上げの工程」として機能するが、聖別された物はそのプロセスがなくても、不浄への感受性を持つ。例えばterumahとして聖別した作物に、汚れを帯びた人が触れるなら、まだ湿気を与えていなくてもterumahは汚れる。
重度の不浄源における解釈論:レビ記11章・17章の統合と中世注解書論争
もう1つ細かい事案であるが重要なのは、重い汚れの原因になるものである。その代表的な例は鳥の死骸である。kosher(コシェル:適切に屠ったら食べてよい動物)の鳥が適切に屠られず、neveilah(ネヴェイラー:死骸)となっている場合、それを食べた者本人も、着ている服も汚れる。
トーラには次のように書かれている。
死んだ動物や、野獣にかみ殺された動物を食べる者は、土地に生まれた者であれ、寄留者であれ、その衣服を水洗いし、身を洗う。彼は、夕方まで汚れるが、その後は清くなる。
トーラ本文では「動物」と書いており、「鳥」とは言っていない。しかしこれが鳥であると解釈されるのには理由がある。レビ記11章に次のように書かれている。
食用の家畜が死んだとき、その死骸に触れた者は夕方まで汚れる。その死骸の一部でも食べた者は、その衣服を水洗いせよ。その人は夕方まで汚れている。またその死骸を持ち運んだ者も衣服を水洗いせよ。夕方まで汚れているからである。
家畜(牛、羊、山羊)のneveilahについては、触れただけで汚れることが言われている。しかしレビ記17章15節では「食べたら服まで汚れる」と書いている。すなわち食べなければ汚れない。そこでこの2箇所は区別され、レビ記17章はレビ記11章で語られていない動物、つまり鳥であると解釈されている。
neveilahの鳥に代表される「重い汚れの原因になり得るもの」は湿気を加えていなくても、汚れを受ける状態であると見なされている。この点でRash, Rosh, Rambamなどは、それらは一度も不浄な物に触れていなくても、既に汚れを帯びているものと見なしている。
他方でRashiなどは、これらはhechsherなしで不浄への感受性は持つものの、実際に不浄な物と接触するまではtameiにはならないとしている。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Machshirin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n36a7a5cdda45
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
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