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ミシュナ『Eruvin』の法理研究 第1回:『Eruvin』1章1節~2節における空間境界の法理──mavoi(路地)の構造的調整措置とTzurat ha-Petach(門の形)、lavud(連結)のハラハー的考察


 本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Eruvin(エルーヴィン)』の第1回目の解説である。

 今回は『Eruvin(エルーヴィン)』1章1節〜2節を取り上げ、路地(mavoi)において安息日(Shabbat)の運搬禁令を回避するための空間調整措置について、開口部の数、開口部の幅、横木の高さ、および例外規定となる「門の形(Tzurat ha-Petach:ツーラット・ハペタフ)」の境界ハラハーを解説する。

 Beit Shammai、Beit Hillel、ラビ・アキバらによる論争から、「ラヴド(lavud:3手幅未満の連結)」の微細な空間法理に至るまで、日本語圏において聖書学・ユダヤ教ハラハー研究の最高解像度で詳解する。


空間概念の定義:chatzer(中庭)とmavoi(路地)


 1つ前の記事は「Shabbat」16章1節を研究したものであったが、更に先に進む為には、「Eruvin」の知識が必要であるという認識に至ったものである。

 実際に「Eruvin」1章1節に入る前に、ミシュナ時代におけるイスラエルの民の特徴的な家の配置や庭の配置を復習する。まずは写真を見て欲しい。

ミシュナ時代のイスラエルにおける住居構造とハラハー空間論の相関図。黄色で囲まれた共有中庭(chatzer)と、緑色で囲まれた公道へ通じる路地(mavoi)の配置および境界線を示す。

 黄色で囲ったスペースがchatzer(ハツェル:中庭)であり、緑で囲ったスペースがmavoi(マヴォイ:路地)である。

 複数の家が「chatzer(ハツェル:中庭)」に向かって開いており、chatzerを共有している形になる。複数の「chatzer(ハツェル)」は「mavoi(マヴォイ:路地)」に通じている。

 人々は家から出たらchatzerに入り、更にmavoiを通って公道へと出ることになる。

『Eruvin』1章1節:横木の設置における高さ制限(20キュビット)の法理


 以上を前提に口伝律法ミシュナ「Eruvin」1章1節に入る。まずは本文を引用する。

 20キュビットを越える高さの路地は低くしなくてはならない。ラビ・ユダは言う。その必要はない。

(Eruvin 1:1)

 「路地」は上に説明した「mavoi」のことである。ミシュナ本文によるとmavoiの高さが20キュビット(約10メートル)を越える場合について扱っているように読めるが、ここで問題になっているのは、路地の上に渡された横木の事である。下の写真の赤い部分が横木である。

mavoi(路地)の入り口に架けられた横木による境界調整措置──地面から20キュビット以内の設置制限と「しるし(境界認識)」の法理

 ミシュナは地面からこの横木の高さを問題にしている。Tanna Kammaはこの高さが20キュビットを越えている場合、低くしなくてはならないと述べている。

 横木そのものの高さを変えるか、あるいは地面を嵩上げすることによって達成される。

 横木の機能は、その路地が公的な領域とは異なる別個のものであると認識させるための「しるし」である。20キュビットより高い位置にある横木は目立たず、この目的を果たしていないという判断による。

 横木全体が地面から20キュビット以内にある必要はない。ミシュナの意図は、入り口(地面と横木の底面との間の空間)が20キュビットを越えてはならないということであり、横木の底面がちょうど20キュビットの高さになるように設置することは出来る。

「門の形(Tzurat ha-Petach:ツーラット・ハペタフ)」による例外規定とラビ・ユダの異論


 ほとんどの注釈者は、20キュビットの制限は横木だけ設置されている場合に限り適用されると考えている。路地に垂直の柱も設置され、柱と横木で鳥居のような形を形成している場合、そのような高さ制限はない。

 再び写真を見て欲しい。赤い部分が横木であり、入口両側の青い部分が柱である。柱と横木で鳥居の形を構成している。

鳥居型の構造物による「入り口の形(Tzurat ha-Petach:ツラト・ハ・ペタフ)」──柱と横木の組み合わせで空間の境界を定義するハラハーの立体法理

 このように柱と横木が一体となって「門の形」を成しているため、この路地には20キュビットの高さ制限は適用されない。

 ラビ・ユダ(Rabbi Judah)はこの点で異論を述べている。そのような高さ制限は必要ないという事である。

 ラビ・ユダが高さ制限を必要としない理由については、2つ考えられている。

①横木は人々に対する「しるし」として機能するのではなく、「法的な仕切り」として機能するため、20キュビットを越える高さであっても有効である。

②ラビ・ユダはそもそも20キュビットを越える高さの横木であっても、人々に対する「しるし」として有効に機能すると考えている。

『Eruvin』1章1節後半:開口部の幅制限(10キュビット)と「入り口」のハラハー定義


 続きには次のように書かれている。

 10キュビットを越える幅も狭くしなくてはならない。しかしドアの通路の外観を備えているなら、10キュビットを越えていても、狭くする必要はない。

(Eruvin 1:1)

 もしも開口面が10キュビットを越える幅であるなら、せいぜい10キュビットの広さになるまで、余分な幅を柵などで囲わなければならない。

 一般的に「入り口」は10キュビットを超えないものとされているため、それより広い開口部は「入り口」とは見なされず、4番目の側面が「完全に崩壊している」と判断される。そのため、幅を縮小しない限り、柱や横木を設置する調整措置は認められない。

 次の「ドアの通路の外観を備えているなら」という条件は、2本の垂直な柱とその上に水平に置かれた横木が設置されている状態を指している。上記の「門の形」、「鳥居の形」を形成している場合である。

 このような場合は「10キュビットを越えていても、狭くする必要はない」とされている。

 以上のミシュナ本文から、次のような原則を見ることが出来る。

 ハラハー(ユダヤ法)上、通常の「垂直の柱」や「横木」は路地を区切るための目印として設置することが出来るが、これらは簡易的な調整措置と見なされる。

 そのため、これらが有効なのは、開口部の幅が10キュビット以下、かつ高さが20キュビット以下である場合に限られる。この条件であるなら、上記の通りハラハーにおいて「入り口」の範疇と判断されるからである。

 しかし、柱と横木で「鳥居のような形(門の形)」を作った場合は、その設置空間が「入り口」としての通常の寸法(幅10キュビット・高さ20キュビット)を超えている状況であっても、例外的に有効な境界線とみなされ、公道から区別することが出来る。

 従って、20キュビットより高い場所にある横木であっても、あるいは10キュビットを超える幅の端に置かれた柱であっても、このように「門の形」で枠組みが作られているならば、高さを低くしたり幅を狭くしたりする必要はない。

『Eruvin』1章2節:「閉鎖された路地」における調整要件と諸学派の対立


 次節に進む。

 路地の調整について-Beit Shammaiは言う。「1本の柱と横木である。」しかしBeit Hillelは言う。「1本の柱か横木である。」ラビ・エリエゼルは言う。「2本の柱である。」

(Eruvin 1:2)

 本節のミシュナが言及しているのは「閉鎖された路地」、すなわち三方が囲まれ、4番目の側面だけが開いている路地である。2つの側面(3番目の側面と4番目の側面)が開いている路地は、まず3番目の側面に鳥居の形、ドアの形を設ける必要がある。

 この状態の路地にchatzerから物を持ち込む為の要件が論じられている。以下のようにまとめられる。

①Beit Shammaiの見解

 柱と横木が必要である。

②Beit Hillelの見解

 柱と横木のどちらか一方のみで十分であり、選択は個人に委ねられる。

③ラビ・エリエゼル(Rabbi Eliezer)の見解

 2本の柱を要する。

*ラビ・エリエゼルが2本の柱だけを要するとしているのか、それに加えて横木も要するとしているのかは定かではない。

路地幅「4キュビット」をめぐる争点:ラビ・イシュマエルとラビ・アキバの分析的対比


 続きには次のように書かれている。

 1人の弟子が-ラビ・アキバの前で-ラビ・イシュマエルの名前において言った。「Beit ShammaiもBeit Hillelも、4キュビットに満たない路地に関しては、それが柱や横木で調整されるべきか意見の相違はない。問題は4キュビット以上、10キュビット以下の路地についてである。」

(Eruvin 1:2)

 ゲマラ(Gemara)は、ここで言及されている「ラビ・イシュマエルの名において述べた弟子」とは、ラビ・メイル(Rabbi Meir)のことであると伝えている。

 彼は若い頃、ラビ・アキバの深遠な講義に入ろうとしたが、まずはラビ・イシュマエルに師事して広範な知識を習得し、その後ラビ・アキバのもとに戻って彼の分析手法を吸収したとされる。

 ラビ・メイルが主張していることは、開口部が4キュビット(2メートル)未満で非常に狭い場合、Beit ShammaiもBeit Hillelも、柱か横木のどちらかを設置すれば十分である点で一致しているという事である。

 ラビ・メイルによると、Beit ShammaiとBeit Hillelの見解が異なるのは、路地の幅が4キュビット以上であり、かつ10キュビット以下の幅である場合についてである。

 もし幅が10キュビットを越えているなら、開口部を10キュビット以下に狭めない限り、どのような方法でも調整(ハラハー上の閉鎖)を行うことは出来ないとする。

 続きには次のように書かれている。

 Beit Shammaiは言う。「1本の柱と横木である。」しかしBeit Hillelは言う。「1本の柱か横木である。」

(Eruvin 1:2)

 この箇所はラビ・メイルが語ったラビ・イシュマエルの見解の具体的な内容である。ラビ・イシュマエルによると、Beit ShammaiとBeit Hillelは次のように主張している。

①Beit Shammaiの見解

 幅が4キュビット以上10キュビット以下の場合、柱と横木が必要である。

②Beit Hillelの見解

 幅が4キュビット以上10キュビット以下の場合、柱と横木のどちらか一方のみで十分であり、選択は個人に委ねられる。

 続きには次のように書かれている。

 ラビ・アキバは言った。「どちらのケースでも異なっている。」

(Eruvin 1:2)

 ラビ・メイルによるラビ・イシュマエルの見解の引用を聞いたラビ・アキバは、幅が4キュビットに満たない場合でもBeit ShammaiとBeit Hillelの見解は異なっていると主張する。これはTanna Kammaが本節の冒頭で提示した見解に一致する。

タルムード(ゲマラ)における解釈:ラヴド(lavud:3手幅未満の連結)の空間法理


 ではラビ・アキバの見解とTanna Kammaの見解の相違はどこにあるのか、その点については明らかにされていない。

 タルムードによると、両者の見解の相違は「幅が4手幅(32~40センチ)より狭い路地」に調整が必要かどうかの点にかかっている。しかしどちらがどのような見解を持っているのか、明確にはされていない。

 ただし、開口部の幅が3手幅(24~30センチ)未満である場合、調整は一切必要ないという点では全員が一致している。これは「ラヴド(lavud)」というハラハー上の原理に基づく。

 3手幅未満の間隔で離れている2つの表面は、法的に「連結している」と見なされる。すでに壁として連結している空間とみなされるため、路地を仕切るためのそれ以上の調整(柱や横木の設置)は不要となるのである。

 しかし、3手幅から4手幅の間の幅についても調整が必要であるか、または不要であるかという点について争いがある。この点の議論が非常に細かくなるため、ここでは立ち入らず、機会があったら触れることにする。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Eruvin』法理研究

https://note.com/mishnah/n/ncb2fc95494d1


 全記事の目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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