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ミシュナ『Me'ilah』研究 第2回:yotzeiにおけるme'ilah・piggul・nosar・tameiの適用の是非──ラビ・エリエゼルとラビ・アキバの論争

*本稿は口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim(コダシーム)』に属する『Me'ilah』の第2回目の解説である。

 今回は『Me'ilah』1章2節を取り上げ、Kodshei kodashimの肉が祭壇へのzerikahの前にyotzeiした事案を巡り、ラビ・エリエゼルとラビ・アキバの見解を比較する。


前回の振り返り:me'ilahの定義と賠償原則


 前回は、レビ記5章15~16節及び「Me'ilah」1章1節を参照し、聖別されたものを不注意で私的に転用してしまった場合のme'ilahの基本的な知識、また不適法のavodahが行われた場合のいけにえがme'ilahに該当するかの是非、me'ilahの包括的な原則などを解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】me'ilah(メイラー)の定義と賠償

 「me'ilah」とは、聖別されたものを過って(不注意で)私的に用いてしまう罪を指す。この罪を犯した場合、以下の2つの償いが求められる。

①元本に5分の1の割増分を加えた賠償額の支払い

 100の価値のものを費消した場合、25を加えて計125を支払います。この「25」は全体の5分の1に相当するため、計算上は元本の4分の1を加えることになります。

②asham(賠償の献げ物)を献げること

 聖所で定められた2シェケルの価値に相当する、無傷の雄羊を献げなければなりません。

【2】神殿奉仕(avodah)と聖性の分類

 me'ilahを理解する前提として、いけにえの奉仕と聖性の分類の知識が必要である。

①4つの枢要な奉仕(avodah:アヴォダー)

shechitah:屠ること。

kabbalah:血を受けること。

holachah:血を運ぶこと。

zerikah:血を振りかけること。

 この通りavodahは4つあり、いずれも日中に行う必要がある。

②聖性の分類

kodshei kodashim(至聖物): 焼き尽くす献げ物などで、祭壇の北側で屠る必要がある。

kodashim kalim(軽き聖なるもの): 和解の献げ物などで、神殿敷地内のどこで屠ってもよいとされている。

③無効要件

 食べる制限時間を越える意図を示してavodahを行った場合、いけにえはpiggulになり、トーラで定められた場所以外で食べる意図を示してavodahを行った場合、いけにえはpasulとなる。いずれの場合も、いけにえは献げ物として無効になる。

【3】不適格な奉仕とme'ilahの適用

 ミシュナ『Me'ilah』1章1節では、avodahに不備があった場合でもme'ilahの掟が適用されるかどうかが議論されている。

 例えば、kodshei kodashimを祭壇の南側で屠ったり、夜間に血を振りかけたり、不適切な意図(piggul等)をもって屠ったりした場合、そのいけにえは献げ物としては無効になるが、依然として「神のもの」としての地位を保持している。

 従って、これらの不適格ないけにえから1ペルーター(最小貨幣単位)以上の利益を得た場合は、me'ilahの罪に問われる。

【4】ラビ・ヨシュアの一般原則(不可逆性の法理)

 ラビ・ヨシュアは、me'ilahの適用範囲について重要な原則を示している。

①原則

「祭司に許容される時を持つならme'ilahに従わず、持たないならme'ilahに従う」

 この原則は、いけにえの血が祭壇に振りかけられ(zerikah)、一度でも祭司が食べることが許可された状態になれば、その肉はもはや「神のもの」ではなく「祭司のもの」となり、me'ilahの対象から外れることを意味する。

 この変化は不可逆的であり、その後に肉が汚れて祭司が食べられなくなったとしても、再びme'ilahの対象に戻ることはない。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Me'ilah』研究 第1回:トーラにおけるme'ilahの規定と神殿奉仕(avodah)における聖性・不可逆性の法理

https://note.com/mishnah/n/nfd80347c6c8e

yotzeiの定義と場所的境界線


 今回はその続きで、口伝律法ミシュナ「Me'ilah」1章2節である。本文に入る前に少し前提知識を整理する。

 献げ物となるいけにえは主に3つの部分から構成されている。すなわち血、emurin(エムーリン:祭壇上で焼かれる脂肪や内蔵のこと)、肉である。

 血、emurin、肉が献げ物として不適格になる条件の1つにyotzei(ヨツェ)がある。

 yotzeiとは、「律法上定められた場所の外に出てしまうこと」を意味する。

 血とemurinに関しては、azarah(アザラー:イスラエルの庭や祭司の庭などを含む神殿の内庭全体)よりも外に出してしまったら、yotzei(ヨツェ:外に出た無効なもの)となり、祭壇に献げて義務を果たすことは出来なくなる。

 肉に関しては、yotzeiによる失格の基準は献げ物の種類によって異なる。kodshei kodashimの肉は神殿のazarahの敷地内で食べなければならず、そこから持ち出されると失格となる。

 一方、kodashim kalimの肉は、エルサレム市内のどこで食べてもよく、城壁の外へ持ち出されない限り失格にはならない。

 一度肉がyotzeiとして失格になると、たとえ規定の場所に戻されたとしても、もはや食べることは出来ない。

 以上の知識を前提に、口伝律法ミシュナ「Me'ilah」1章2節を引用する。

ミシュナ『Me'ilah』1章2節:ラビ・エリエゼルとラビ・アキバの論争

 神殿の敷地から出たkodshei kodashimについて、それが祭壇に振りかけられる前であるなら、ラビ・エリエゼルは言う、「me'ilahである。piggul、nosar、tameiの為に有責にならない。」ラビ・アキバは言う、「me'ilahではない。piggul、nosar、tameiの為に有責になる。」

(Me'ilah 1:2)

 本節は、kodshei kodashimの献げ物の肉が、その血の祭壇へのzerikahよりも前にazarahから持ち出され、それによってyotzei(
規定の場所から外に出ること)として失格となったシナリオを論じている。

 通常、kodshei kodashimの肉は、zerikahが行われるとme'ilahの禁止から除外される。ここでの論点は、yotzeiとして失格となった肉も、zerikahが行われた際にme'ilahから除外されるかどうかである。

ラビ・エリエゼルの法理判断:me'ilahの成立とkaret免除の論理


 この点に関して、ラビ・エリエゼルは「それはme'ilahである」と述べている。

 ラビ・エリエゼルは、zerikahの前にyotzeiとして失格となった肉の場合、その後のzerikahには、その肉をme'ilahの禁止から外す力はないと主張しています。

 通常、zerikahによって、kodshei kodashimの肉が祭司たちにとって許されるものとなる。肉を「神の聖なるもの」のカテゴリーから外し、それによってme'ilahから免除するのは、有効なzerikahである。

 今回のケースでは、肉がazarahの外に出された時点で、恒久的にいけにえとして失格となり、食べることが禁止される。

 従って、この場合、祭壇に血を振りかけても、肉をme'ilahから免除するために必要な「祭司に許可される瞬間」を一度も持たなかったことになる。

 更にラビ・エリエゼルは「piggul、nosar、tameiの為に有責にならない」と述べている。まずpiggulから解説する。

piggul(不適切意図による時間超過)における免除


 piggul(ピッグール)とはavodahの奉仕の中で、許容される時間を越えて食べる意図を表明した場合の肉である。

 通常、piggulになった肉を意図的に食べるなら、karetの対象になる。ここでラビ・エリエゼルは、zerikahの前にyotzeiとして失格となったkodshei kodashimの肉を食べる者は、piggulの禁止に関連するkaretの罰に問われないことを言っている。

 piggulの罰則(karet)が適用されるためには、奉仕自体は(意図を除いて)有効である必要がある。ここではzerikahが終わる前に、肉はyotzeiとして失格になったので、その後のzerikahは無効であり、piggulの要件は満たされていないという解釈である。

 同様に、yotzei(規定の場所から外に出た)の肉を食べる者は、nosarやtameiの禁止規定に関連するkaretの罰を免除される。

 tamei(タメイ)とは「祭儀的に汚れている状態」ことを表す。反対語はtahor(タホル)であり、「祭儀的に清い状態を」を表す。

 nosar(ノサール)とはトーラで定められた「食べてよい時間制限」を越えてしまった肉である。

 先にtameiについて解説する。汚れた(tamei)状態にある者がいけにえの肉を食べるなら、karetになる。

 しかし、この規定が適用されるのは、avodahの4つの奉仕すべてが適切に行われた場合に限られる。

 本節の場合、肉はyotzeiとして失格となっているため、その後のzerikahは無効であり、tahorの人であってもそれを食べることは出来ない。

 従って、tameiの者がその肉を食べたとしても、tameiの禁止規定には違反せず、karetも科されない。

 nosar(規定の時間を過ぎて残された犠牲の肉)を食べることに対しても、karetを伴う禁止規定がある。このnosarの禁止は、gezeirah shavah(ゲゼイラ・シャヴァ:類推解釈)を通じて、今のtameiの禁止と比較される。

 nosarの禁止もまた、制限時間が過ぎてしまう前から、既にtahorの人にとって禁止されていた肉には適用されない。

 今回のミシュナのケースでは、肉はyotzeiとして失格となった時点で、nosarになる前に既にtahorの人にとって禁止されている。

 従ってラビ・エリエゼルによると、yotzeiによって失格になった肉に関して、piggul、nosar、tameiは問題にならない。

ラビ・アキバの法理判断:外部的要因(場所的失格)とzerikahの効力持続


 ラビ・アキバは異なる見解を示している。彼は「(zerikahの前にyotzeiとして失格になった肉は)me'ilahではない。piggul、nosar、tameiの為に有責になる」と述べる。

 ラビ・アキバによると、yotzeiの場合、失格の原因は肉そのものの本質的な失格ではなく、その場所といった外部的な要因によるものである。

 この失格は比較的付随的なものであるため、いけにえの血の奉仕の完全性に悪影響を及ぼすことはないと解釈する。従って、その後のzerikah(祭壇への献血)は、献げ物をme'ilahの対象から外すのに十分な効力を持つと見なす。

 ラビ・アキバも、yotzeiによって、zerikahの後に肉が食べてよいものになるわけではない点に同意しつつも、zerikahが祭司に対して肉を一時的に許可したかのようにみなし、それゆえにme'ilahから免除する力を持つと主張する。

 よってラビ・アキバの見解をまとめると、yotzeiによって失格になった肉はme'ilahから免除される。同時にpiggul、nosar、およびtameiの禁止規定が適用される。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Me'ilah』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8ab1e0588261


 全記事の目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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